三島由紀夫論 の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
「仮面の告白論」 主人公の彼が、『悪』よりも『恥』を重視している事を非常に感じる小説であった。 戦争で生き残ってしまった苦悩が、生きたい→生きなければならない→園子を愛さなければならない、へと駆り立てていたのか。 園子への愛が本物であるように見えたが、彼の肉領域では同性愛なのは不変であったから、園子を実は愛していないのではないかと疑ってしまった。しかし、肉領域と精神領域での愛が異なることがあり得る事に合点がいった。
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オレは、三島由紀夫には興味がないのだが 平野啓一郎には、やや興味があり 平野啓一郎が興味を抱く三島由紀夫には、ハッキリと興味がある。 三島由紀夫はなぜあのような死に方をしたのか? 三十代後半から、3つの作品が不評で、立て続けに文壇内外のトラブルに巻き込まれ、大江健三郎など次世...
オレは、三島由紀夫には興味がないのだが 平野啓一郎には、やや興味があり 平野啓一郎が興味を抱く三島由紀夫には、ハッキリと興味がある。 三島由紀夫はなぜあのような死に方をしたのか? 三十代後半から、3つの作品が不評で、立て続けに文壇内外のトラブルに巻き込まれ、大江健三郎など次世代の作家の活躍が盛んになり、四十代を目前にして、スランプを自覚していたとか。 そうだったのか。 知らなかった。 三島が、川端の次のノーベル文学賞は、大江健三郎だ、と言ったのは知っていたが。 一人称で書かれた作品は 『仮面の告白』 『金閣寺』 『音楽』 の3つしかないんだって。 あれ? ぜんぶ読んでるぞ。 21 二十代で、ラディゲのように夭折することを望んでいたんだって。 85 三島は同性愛者であることをカミングアウトしたことがないんだって。 異性愛者として生きてたんだって。 ・・・・・・・・そうだっけ? 86 猪瀬直樹は三島を異性愛者として描いたんだって。 美輪明宏 「あなたは同性愛者じゃない、バイセクシャルだ」 三島由紀夫 「オレはホモじゃなかったんだ」って喜んだんだって 261 三島はバタイユに言及している 272 『文化防衛論』における文化主義への嫌悪 三島はバタイユ経由で聖テレジアに興味を持っていた 276 二・二六事件と天皇 365 唯識における輪廻 三島はディオニソス的なものに興味を持っていた 平野啓一郎は『日蝕』で三島由紀夫の再来と言われた。 だから、瀬戸内寂聴、横尾忠則、美輪明宏、高橋睦郎から親しくしてもらった、って。 たしか、高橋睦郎こそ、三島の恋人だった人だよね?違ったっけ? 644 平野啓一郎の「分人」の考え方において「三島はなぜあのような死に方をしたのか」という問いは、意味を持っていたんだって。へー。
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なかなか難しかったが、なんとか読み終えた。 先ずなりより豊穣の海を最後に読んだのは20年以上前であり、それを思い出しつつ、この本の文章をできる限り理解しつつ、自分の中で納得させるのが大変だった。 著者は金閣寺に衝撃を受けたとのことだが、私はこの600頁を超える論文の半分を占める豊...
なかなか難しかったが、なんとか読み終えた。 先ずなりより豊穣の海を最後に読んだのは20年以上前であり、それを思い出しつつ、この本の文章をできる限り理解しつつ、自分の中で納得させるのが大変だった。 著者は金閣寺に衝撃を受けたとのことだが、私はこの600頁を超える論文の半分を占める豊饒の海が一番好きだ。とても詳細な解説で大いに納得した。 ただ豊穣の海を読むには輪廻の物語であり、大乗仏教や阿頼耶識や唯識といった仏教系の知識が欲しかったところだ。 今まで三島作品でなんとなく感じていたことが、明確な言葉として書き記されている。 ”三島文学には「罪悪感」という主題が根本的に欠落しているという事実に突き当たる。主人公たちは自らの犯した悪を倫理的に反省する、ということがない。彼らが苦悩し自己否定に陥るのは、罪悪感ではなく恥辱に於いてである” 豊穣の海についていえば、清顕、勲、ジン・ジャン、透による転生を主題としているのに、清顕以前に遡らせず、転生主体が転生前の生を記憶していないという作意があるという。この大長編は大きな円を描いて第一巻冒頭(日露戦役のことをよく覚えていない)と結ばれる。 確かにそんな風に読んでいた。これが作意によるものとは驚く。 そして途中はもう飛ばして、衝撃のラストである。最初読み終えたときは本当に呆然としたものだ。 阿頼耶識は「一瞬一瞬惜しげもなく世界を廃棄して更新する」本多の理解ではその一瞬一瞬に、世界は「究極の道徳的要請」に従って実在している。しかし個人が唯識性への悟入に至るならば、道徳的要請の必然はなくなり、この世界が実在している必要もなくなる、はず。 三島は「小説の結末が悟りになってはならないから、悟らないようにしなくてはいけない。これがむずかしい」と語っていたという。 自分なりに納得できたと感じる。良かった。 武士道精神と国防の章にはこうある。「武士道」の倫理性が維持されなければ、集団的自衛権の行使に於いては、「アメリカの傭兵」となり、「アジア人をしてアジア人と闘わしめる」戦争に利用されてしまう懸念があるのである。 自民党による統治は盤石となって、三島は死の機会を逃してしまった。これが「実に実に不快だった」 このような考えは実に納得感があるのだが、今保守を自称している輩には全く理解できないであろうなぁ。エセ保守が運営する国に未来はあるのだろうか。 追伸 「英霊の声」論の最後に、三島が割腹自殺という方法に期待したのは、死によるあらゆる矛盾の解消と同時に、死による<絶対者>との一体化、更にはその<絶対者>への批評ではなかったか。とある。これってあの人類補完計画だよなと思った。
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もちろん、まずは著者の三島愛をたっぷり感じる。しっかりした骨格と、丁寧な調査と文献の読み込み、そして考察が同じ熱量で670ページ続く。論文とは、評論とは、こう書くもんだよね、と感服させられる思い。
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