人はなぜ物を欲しがるのか の商品レビュー
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モノの所有に関する人間的心理について、さまざまな角度で研究結果を踏まえて説明されている。全てを通してみると、人を物の所有に駆り立てる原因は全て関連しあっているということがわかる。 所有欲は他者よりも優位に立ちたいという顕示欲や競争欲が発端。これを基盤に社会が発展したことにより、所有の数で豊かさを図ったり、所有するものによって人を判断したりする社会が広がった。 人は他者との比較でしか自己を認知できない。モノによる比較がある社会では、他者との比較は所有欲を駆り立てる。 そして人間は、自身の所有物に対して自己のアイデンティティとして情緒的愛着を持つ。所有物も含めての自己であるという認識を持ち、モノと自分のアイデンティティを深く結びつけてしまうのだ。 アイデンティティを強めるモノを通して、社会に自分を発信する。しかしこれも結局、社会においては自己と他者との比較・競争につながる。 SNSによって自分よりも優れた(ように見える)人の投稿に不安を煽られたり、広告によって、理想の自己像を押し付けられ、消費を促進させられるなど。 所有欲を断ち切ることは人間の根本的欲求と結びついており、とても難しい。しかしその欲求が向かう先は終わりのない、果てしない競争。満足したと思っても飽き足らず、すぐに新しいモノが欲しくなる。それが人間の性、というのが恐ろしい。 けれど、本書のように生物学的、行動経済学的視点から所有欲の源を知ることで、自分の欲と向き合い、打ち勝ち、より有意義な人生の使い方に目を向けるべきなんじゃないだろうか。社会的にも、変革の時が来ていると思いたい。 すでに自分が持っているものに目を向けて、自分にとって本当に必要なことはなんなのかと、まずは考えるところから始めたい。 消費・所有を促し続ける社会が向かう先はどこなのか。誰も幸せにしないような方向へ進むのはやめるべきだろう。
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人はなぜ物を欲しがるのか:私たちを支配する「所有」という概念。ブルース・フッド先生の著書。所有欲や支配欲から解放されれば人生をきっと楽になる。多くの人が所有欲や支配欲から解放されれば社会はずっとよくなる。人間同士のいざこややいがみ合いも人間関係トラブルも所有欲や支配欲からくるもの...
人はなぜ物を欲しがるのか:私たちを支配する「所有」という概念。ブルース・フッド先生の著書。所有欲や支配欲から解放されれば人生をきっと楽になる。多くの人が所有欲や支配欲から解放されれば社会はずっとよくなる。人間同士のいざこややいがみ合いも人間関係トラブルも所有欲や支配欲からくるものが多い。国同士のいざこややいがみ合いもトラブルも所有欲や支配欲からくるものが多い。所有欲や支配欲をなくすための薬や脳外科手術が完成すれば多くの人が幸せになれるのかもと妄想してしまう。
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「私たちは、所有という悪魔に取り憑かれている」 「どうしたらもっと獲得できるかではなく、どうしたらいま手にしているもので幸せになれるか」 「必要なのはもっと多くのモノではなく、いま手にしているものの価値にきづけるだけの十分な時間」 所有について心理学や法学、歴史学、社会学、行動経済学、しんか生物学、文化人類学、哲学などなど 様々な幅広い分野で検討される 様々な例が載っていてわかりやすいけれども、なかなかな量、、、(^-^; 「所有の追求が幸福に結びつかない」 全ては”足るを知る”という事が、自分にも地球にも優しいと言う事なのかも知れない 今こそ1人1人が考えなくてはならない局面に来ているのだと思う
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所有欲に対して科学的見地からアプローチしていく手法が新鮮に感じられた。 一読しただけでは咀嚼できなかった箇所が多々あるので、間を置いて再読したい。 また、以下とも併読したい。 - 『消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神 (筑摩選書)』 橋本努 #ブクログ https://bo...
所有欲に対して科学的見地からアプローチしていく手法が新鮮に感じられた。 一読しただけでは咀嚼できなかった箇所が多々あるので、間を置いて再読したい。 また、以下とも併読したい。 - 『消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神 (筑摩選書)』 橋本努 #ブクログ https://booklog.jp/item/1/4480017313 - 『ロスト欲望社会: 消費社会の倫理と文化はどこへ向かうのか』 橋本努 #ブクログ https://booklog.jp/item/1/4326603380
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本書の結論(要約の要約) 人はどこまで所有物を増やしても満たされることはない。そして心理的に他人と自分を比べ過大評価、あるいは過小評価しがちであり、その評価は不正確だ。だから完全を求めてあがき続けるのは馬鹿らしい。必要なのはもっと多くのモノではなく、いま手にしているモノの価値に気...
本書の結論(要約の要約) 人はどこまで所有物を増やしても満たされることはない。そして心理的に他人と自分を比べ過大評価、あるいは過小評価しがちであり、その評価は不正確だ。だから完全を求めてあがき続けるのは馬鹿らしい。必要なのはもっと多くのモノではなく、いま手にしているモノの価値に気づけるだけの十分な時間である。 内容 人体、価値観、アイディア、情報、etc…。所有出来るものは多々あり、それらを豊富な事例をもとに語ることで「所有」というものの本質に迫っていくのが本書の主題である。 つきつめれば「所有」とは慣習の一種に過ぎず、つまりは心のあり様なのだと著者は語る。ではその起源はどこにあるのか。 所有の起源についての学説は大きく二つに分けられる。進化論に基づいた説明として、所有は競争本能の遺産で、資源を自分だけが独占できれば生存と繁殖に有利だという説。これは動物界でもよく見られる「占有」である。 対して「所有」は共同体が定住し、政治体制や法制度が発展することで生じる。占有は動物界によく見られるが、所有は人間社会でしか見られないという。 例えばバンクシーの絵は誰のものか、絵を描いたアーティストか?土地所有者である企業か?絵を見つけた人か?あるいは作品を保護する労力を割いた画廊なのか?社会が発展することでその概念は変わっていく。 資金や資源が不足する非常時に人は利己的になりそうだが、実際には逆境は人間の最良の部分を引き出すものらしい。つまり「分け合う」という選択肢に至るのだ。それはグループで一団となるのが最善の解決策だからであり、所有が共同体の中で発展した概念だからこそだろう。では「なぜ人は必要以上に欲しがるのか」。 それは生物の進化に由来する。生存競争は繁殖を成功させるため自分の遺伝子をいかに子孫に伝えるかを目的とする。つがい候補として自分がいかに適切かを相手に伝えるため何らかの特徴を進化させるという目的に。例えばクジャクもそうだ。人間に置き換えるならば所有物によって成功者だとシグナルを送る行為がまさにそれ。だから人は必要以上にモノを増やす。 しかし、人生の満足度と幸福度に関する研究によって、ほどほどの年収に達したあとは、所有物が増えてもそれ以上は幸せにならないことがわかっている。モノ消費であれコト消費であれ、自分は人と違うことを必死で示そうと、ステータスを生存のシグナルとして伝えようとしても一定のラインで幸福度は高止まりする。 これらのことから、いかに人間の論理的思考はあてにならないかがわかる。ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』では、意思決定について、早くて直感的な試行経路が「システム1」、論理的思考と推論によって時間をかけて意思決定に至る「システム2」という分類をしている。そして一般的には情緒的な「システム1」の「勘」に頼ることが多いとされている。 欲しがることは、必要とすることとは違う。欲しがることは「所有する可能性があるもの」から心理的充足感を得ようとする行為だ。だが、意思決定においては、「失う可能性があるもの」が最大の影響力を発揮する。「すでに自分が所有しているモノを失う」場合はさらに影響力は強大だ。なぜなら所有物は所有者のステータスであり、その人を物語るものだから。 人間が非合理な行動をとるのは、所有物を自己と同一視してしまうからだ。しかしそこには矛盾がある。人は自らの所有物を課題評価し、手放すまいとする。だが同時に大半の所有物にすぐ慣れて、さらに多くのモノの獲得に乗り出す。自己をよく見せるために。そこにはモノを蓄えるほど満足感が減っていくというパラドックスが生じる。 人は他人を課題評価、あるいは過小評価しがちで、その評価は不正確だ。それは他者と相対比較することで価値を決め、何かを求める行為に他ならない。完全を求めてあがき続けるのは馬鹿らしい。 必要なのはもっと多くのモノではなく、いま手にしているモノの価値に気づけるだけの十分な時間だ。
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