純粋な人間たち の商品レビュー
人によって考えの違いはあるだろうが、誰かを傷つけたりするようなことに関しては、自分の考えではなく、自分の感情は抑えて相手を優先するべきなのだろう。 今正しいとされていることがいつから正しかったのか、正しいとされていることがいつまで正しくあり続けるのか分からない。 この本の出来事が...
人によって考えの違いはあるだろうが、誰かを傷つけたりするようなことに関しては、自分の考えではなく、自分の感情は抑えて相手を優先するべきなのだろう。 今正しいとされていることがいつから正しかったのか、正しいとされていることがいつまで正しくあり続けるのか分からない。 この本の出来事が絶対に日本でも起こり得ないとは言えない。 ある出来事を前にして畏怖の念を抱き、心底動転し、その後すぐには快楽に身を任せて悲劇のことを忘れてしまう。こんな風に怪物の弟と天使の妹とをくるくると、あるいは同時に体現して見せるのは人間だけだ。
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「同性愛嫌悪主義じゃないけど、この国で同性愛や同性愛者が普通だとみなされるのが嫌だ」「その"文化"はこの国の価値観・伝統には馴染まない」等セネガルの厳格なムスリムが放ったセリフは、日本でも恐らく共感する人が少なからずいるもので、遠い国の他人事の物語としては捉え...
「同性愛嫌悪主義じゃないけど、この国で同性愛や同性愛者が普通だとみなされるのが嫌だ」「その"文化"はこの国の価値観・伝統には馴染まない」等セネガルの厳格なムスリムが放ったセリフは、日本でも恐らく共感する人が少なからずいるもので、遠い国の他人事の物語としては捉えられなかった。二国間の違いは、もちろん大きな違いではあるものの、公権力に拘束される可能性の有無、私刑の程度などで、国家自体に根付くホモフォビアの深刻さは同程度なんじゃないかと思う。隣人が上記のような発言をナチュラルに繰り出してしまう危うさがこの国にはまだまだあるし、だから自己を開示しきることが怖い。 再発見したアイデンティティで生きていく、ンデネの最後の歩みは、少なくとも現状では破滅的な希望になるのだと思う。
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厳格なイスラム文化のセネガルで実際に起こった同性愛者に対する事件をヒントに書かれた小説。フランスの権威あるゴングール賞を受賞したセネガル生まれの若き小説家の作品。翻訳者の力もあるんでしょうが、その筆致に感心します。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
実際にセネガルであったおぞましい事件を題材に、同国での同性愛への過酷な差別を描いた小説。 主人公は凡庸な無関心さを事件に対して示して恋人になじられる。そしてそれだけでなく、大学の講義で(彼は文学教員)ヴェルレーヌを扱っただけで大学での立場が悪くなる…。 イスラム社会での同性愛の扱いと、その社会の中で生きる人間としての良心、主人公の本来的な優しさとどう折り合うか。 また、「僕にとってあらゆる幸福は女性のうちにある」と語っていた、異性愛者としての自我の意外な脆さに揺らぐ主人公が気の毒になる。 一方、僕自身のこの小説への距離感というか、同時に読んでいた川上未映子『黄色い家』の登場人物への感情移入(あちらの小説はしんどくて途中で読むのを止めてしまったがこちらは淡々と読んだ)の違いに戸惑う。 「同性愛者は、人間なのだ」「人間に固有の暴力がもたらす運命の前に他のあらゆる人間と等しく孤独で、脆くて、取るに足らない存在であるという点において同じ人間なのだ」「人間性に殺されうる彼らは、人間性に駆逐されうる彼女らは、人間らしさを分かち合っているのだ」
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セネガルで、同性愛者(と噂された)の男性の遺体が村の人々によって墓から掘り起こされ、その動画がインターネット上に出回った。皆と同じ墓地に埋葬することを拒絶された母親は、腐敗していく我が子の遺体をたった一人で家の庭に埋葬した。一連の出来事を知って感情を揺さぶられた若き文学教員は、...
セネガルで、同性愛者(と噂された)の男性の遺体が村の人々によって墓から掘り起こされ、その動画がインターネット上に出回った。皆と同じ墓地に埋葬することを拒絶された母親は、腐敗していく我が子の遺体をたった一人で家の庭に埋葬した。一連の出来事を知って感情を揺さぶられた若き文学教員は、しかし、自分の動揺の原因がわからない。当たり障りのない授業を繰り返すだけの淡白な日々だったのに、この一つの事件になぜそれほど興味を掻き立てられ、執着してしまうのか。それまでまったく疑問を持たなかった同性愛=罪という認識は、本当に揺るぎないものなのか。どうしても薄れない動揺の原因を探るため、バイセクシャルのセフレ、厳格なイスラム教徒である父、遺体を掘り起こされた男性の母親、懇意にしている教員の上司たちと対話を重ねていく。実際に起こったセンセーショナルな事件を元にした物語。 作者は30代のセネガル人の詩人。この本では同性愛者への暴力やリンチなど衝撃的な出来事が起こる一方で、イスラム教の伝統的な集会や同性愛者たちの祭典の艶やかな様子が美しい文体で描かれて、さすが詩人という印象。先日、イランに住む友人が、イランは景色も国民の心も美しい国だと感じる一方で、独裁国家によって生活が困窮しているという苦しい側面もあると嘆いていた。セネガルも同様で、作者はその二面性を鮮やかなコントラストで表現していると感じた。 「同性愛=罪」という、それまで当然のことと思っていた認識が揺らいだときの主人公の心境が綴られた箇所が最も心に残ったので、以下に引用する。 --- 少し前は、僕はまだ他の大半のセネガル人と同じだった。同性愛者を毛嫌いしていて、存在自体が恥ずかしいような感覚さえあった。嫌悪していたのだ、要するに。今もまだそうなのかもしれない。なぜかといえばつまるところ、この種の嫌悪感は自我の極めて奥深いところに根を張っているからで、ことによると母の胎内で臍の緒に絡みついたのかもしれない。でも確信していることがひとつあった。たとえ僕の同性愛者嫌悪が変わっていないとしても、過去の自分にはできた――そしてやっていた――こと、すなわち同性愛者が人間である事実を否定することは、現在の僕にはできなくなっていた。同性愛者は、人間なのだ。誰に憚ることなく人間の一員を成しているのであって、根拠はごく単純だ。同性愛者は人類の暴力の歴史の一部なのだから。p.142 --- 自分の根底にある同性愛嫌悪が変わらなくても、行動は変えられるし変えていくべきなのだと思う。本当にいろんな人が共に生きている今の世界で、争いや対立、互いを傷つけてしまうような状況を生まないためには、本当のところどう思っているかはさして重要ではなくて、自分とは違う価値観や主義主張を持った相手と対峙したときにどういう対応をすることができるかが大切なのだと思った。根底にある自分の芯のようなものまで変える必要は、たぶんない。
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