建築と触覚 の商品レビュー
著者のユハニ・パラッスマーは建築だけではなく、現象学的な視点から建築を捉え作品を制作している。本書は現象学の分野である「知覚の問題」から生まれたものであり、自身の主張を論じている。 パラッスマーは一貫して「視覚よりも触覚」を主張し、建築には形而上学的な基礎があると示している。...
著者のユハニ・パラッスマーは建築だけではなく、現象学的な視点から建築を捉え作品を制作している。本書は現象学の分野である「知覚の問題」から生まれたものであり、自身の主張を論じている。 パラッスマーは一貫して「視覚よりも触覚」を主張し、建築には形而上学的な基礎があると示している。視覚が優位と数多くの学者や研究者が論じている中で、触覚を支持する学者、研究者の言葉を引用しつつ、自身の主張をさらに飛躍させている。また昨今の世界では視覚的イメージを用いた身体体験が蔓延っているため、その懸念もしており、視覚と触覚の比較、諸感覚と建築についての考察をしている非常に面白い一冊。 特に第二部「身体中心」の冒頭から2〜4ページ辺りが興味深い。 作中引用ヘーゲル「触覚は物体の質量、抵抗、三次元の形状を感じ取るものであり、ひいては事物があらゆる方向へと広がって行くことを認識させる。」 作中引用著者「視覚は既に触覚が知ってる事柄を明らかに示す。触覚は無自覚の視覚と考えられることもできる。」 まとめると視覚を通して事物を視覚的に掴み、過去に触覚で得た体験と照らし合わせ、事物がなんであるかを明らかにする。そしてそのようなプロセスを経て経験へと変換される。だから視覚は触覚の手助けが必要なのである。視覚だけでは事物の説明は出来ないし、視覚は必ず触覚を介していることが分かる。 これらの一連の流れを分かるために、光を用いた現代芸術家であるジェームズ・タレルがとても良い例に使えると思った。作品である直島「オープンフィールド」や21世紀美術館「ブループラネットスカイ」で説明が出来るのではないだろうか。 「オープンフィールド」用いて説明すると、作品の平面にみえるスクリーンが実は空間の入り口なのである。視覚では平面的にみえるが、その空間を歩いて初めて入口であることが認識される。足で歩き、地面を捉えた感覚、手のひらで触れた壁から推測した空間の輪郭。触覚を通して初めてこの空間が立体であることを認識するのだろう。そして実際に作品を自身の体で経験すれば一連の流れが分かるだろう。 この本を読み終われば自身の諸感覚に注目し、より高い視点で身体体験をすることが出来ると思う。否、実は読んでいる最中から高度な身体体験は始まっていたのかも知れない。本でこのような体験が出来たのは久しぶりだと思う。
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視覚に依存しすぎていると、ファサードや任意の視点の見栄えを重視するせいか、別の面から見るとのっぺらぼうのようだったり、断絶していたり、空虚だったり、人間の心地よい間合いからかけ離れていたりする。 現在は本が書かれた時よりも、さらに視覚情報の氾濫した世の中になってきているかもしれ...
視覚に依存しすぎていると、ファサードや任意の視点の見栄えを重視するせいか、別の面から見るとのっぺらぼうのようだったり、断絶していたり、空虚だったり、人間の心地よい間合いからかけ離れていたりする。 現在は本が書かれた時よりも、さらに視覚情報の氾濫した世の中になってきているかもしれない。 建築もそれにつられてはいまいか。 身体性に依拠した、温度と湿度と柔らかさと味わいや匂いを感じられる、居心地のよい建築を創造したいと改めて気合いが入った。 読んだばかりなので、咀嚼して読み直しながら再度書評を纏めたい。
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