詩歌探偵フラヌール の商品レビュー
架空の街を舞台に、メリとジュンの二人が街なかに散在する「詩」の断片を探して歩き回る、日常ゆるふわ系物語。「フラヌール」はベンヤミンの『パサージュ論』に出てくる言葉で、日本語にすると「遊歩者」の意味。 主人公であるメリとジュンは、作中の記述からメリが若い女性、ジュンは同年代の男性と...
架空の街を舞台に、メリとジュンの二人が街なかに散在する「詩」の断片を探して歩き回る、日常ゆるふわ系物語。「フラヌール」はベンヤミンの『パサージュ論』に出てくる言葉で、日本語にすると「遊歩者」の意味。 主人公であるメリとジュンは、作中の記述からメリが若い女性、ジュンは同年代の男性と想像したが、そういった設定は物語を読み進めるのにあまり関係がない。どちらも中性的な印象で、作中のセリフをどちらが話していても気にならない。 床に描かれた顔のような落書きから、萩原朔太郎の「地面の底の病気の顔」という詩を見つける。こんな風に、自分の好きなことに引きつけて(メリとジュンの場合は詩歌)、気の合う仲間と連想しながら街なかを歩く時間はとても豊かだなと思う。 「社会に出て役に立たない学問なんて必要ない」などと軽率に語られる世の中で、詩歌のような、何の役にも立ちそうにない営みを楽しむ意味が語られる場面が印象的だった。 ❝「ところが、そういう都会の愉しみなんて、人生の辛さや社会の矛盾の厳しさを見ないでいるだけの浮薄な吹けば飛ぶような無価値なものだなんて、聞かされたりしませんか」 「そこがもう間違っている。深刻なこと、苦しいこと辛いことを描くのも文学だ。だが浮薄な表現も文学の価値に変わりはない」 「好きなことを自由にやっている人は皆、少しずつ浮薄なんだ。たまたま、稀に社会が調子いい時、人は浮薄に生きられる。そこでは奇妙で無意味な言葉が口にされたりする。遊びが始まる。そしてそれらは、もともと物質的な限界の中にいる地上の生物で、いつもそうそう楽には生きられない人間の、稀有な時間の記録なんだ。恥じることも否定することもない。人類の、ほんの僅かな陽射しの中だけの果敢ない戯れなんだ。嘉(よみ)されるべきなんだ」❞ (p.205) おまけ:8篇のうち、個人的には『永遠ハント』が好き。前半で、海外の詩人の作品(ここではランボーの詩)が、同じ作品でも訳者によってずいぶん印象が変わるのを、メリとジュンが、実際の書籍(鈴村和成訳、宇佐美斉訳、小林秀雄訳)を比べるやりとりがあって、本当にずいぶん印象が変わるなあと感じておもしろかった。
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探偵というが物騒なことは一切起こらない、ジュンとメリの2人がいろいろとそぞろ歩き、文学に関わる不思議な人に会ったり謎解きゲームしたりする話。 最初2人はませた小学生くらいに思っていたが、途中で20代だと判明した。付き合ってるのかどうかも不明。
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初めて読むジャンル。 独特な書き方に戸惑って、知らない言葉が多く携帯片手に読んでかなり時間がかかった。 でも、苦にはならずに楽しめました。
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メリとジュンの二人は詩に隠された謎に導かれてふわふわと都市を彷徨う。謎は解けたり解けなかったり。現実と詩歌のはざまをフラヌールする連続短篇集。 『エイリア綺譚集』収録の短篇「林檎料理」の連作化。「林檎料理」は好きな作品だったので、このスタイルを膨らませてくれたのが嬉しい。メリ...
メリとジュンの二人は詩に隠された謎に導かれてふわふわと都市を彷徨う。謎は解けたり解けなかったり。現実と詩歌のはざまをフラヌールする連続短篇集。 『エイリア綺譚集』収録の短篇「林檎料理」の連作化。「林檎料理」は好きな作品だったので、このスタイルを膨らませてくれたのが嬉しい。メリとジュンはめちゃくちゃなジャーゴンで話すのでときどき何の話をしているかわからないんだけど、周辺情報から推理してなんとなく何を指しているのかわかるようになる。そういう小説の読み方自体が詩歌を読む面白さにも通じていて、言葉をめぐって一つには定まりきらない解釈を楽しむのが「詩歌探偵」だ、というお話だと思う。 完成度ではやっぱり「林檎料理」が一番だと思うんだけど、新しいのだと「Dエクストラ」と「きの旅」が良かった。「Dエクストラ」は阿佐ヶ谷姉妹みたいな二人組に渡されたカードの謎を追ううちにヘビメタバンドと仲良くなって、みんなで一緒に天才少女が朗読するエミリ・ディキンスンに聞き入る話。『僕たちは歩かない』とか『サマーバケーションEP』のころの古川日出男みたいだった。「きの旅」はきのこ俳句・きのこ短歌を探してクトゥルフ的な世界に迷い込む話。『日々のきのこ』でしっかりファンタジーしていたところを与太にしてしまうズッコケ感が楽しい。 終盤、プラットル・プロジェクトまで話が広がると、私は少しノれなくなってしまった。そもそも「林檎料理」が好きだったのは、あくまで現実の都市を歩き現実の風景を描いていながら、詩を読んだメリとジュンのフィルターを通すとあの仕上がりになるというところだったので、現実側にファンタジーが持ってこられるとむしろ酩酊感がなくなって素面になってしまう。濃いキャラクターがたくさんでてきて、詩と現実の結節点としてのメリとジュンの役割も薄れてしまうように思った。でも二人のフラヌールに続きがあるならまた読みたい。
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『フラヌール』とは『遊歩者』。タイトルの通り、メリとジュンが詩歌を求めて遊歩するのだが、こんな自由な文章の小説は初めて。出会った詩を読んで、感想はいいね〜で良いの。その時の自分にグッと来るかどうか。ふわふわ出かけて目に入るものを自由に声に出す。この詩を思い出した、いいね〜。詩って...
『フラヌール』とは『遊歩者』。タイトルの通り、メリとジュンが詩歌を求めて遊歩するのだが、こんな自由な文章の小説は初めて。出会った詩を読んで、感想はいいね〜で良いの。その時の自分にグッと来るかどうか。ふわふわ出かけて目に入るものを自由に声に出す。この詩を思い出した、いいね〜。詩ってとても自由なんだ。それを体感した、軽快で奔放な本だった。
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・ヴァルター・ベンヤミンの「遊歩者(フラヌール)」という概念@「パサージュ論」。近代や都市を分析するための概念らしいが、それを転用して、詩歌を探偵する都市散歩者の二人組を描く、という、まずはアイデア勝ちで、それを達成するための文体勝ち。二段構え。 ・そう、文体なのだ。読んでいるだけでポーっと頬が上気するような。この文体、なかなかないぜ。メリとジュンや各話ゲストキャラとの会話文も素敵だが、地の文もまた素敵。この地の文があるからこそ、地面から数センチ浮いたフワフワな二人組の存在に説得力が生まれる。 ・引用される詩人のセレクトも絶妙。萩原朔太郎、大手拓次あたりでは、この作者らしいなと思いきや、最果タヒで、wao! 現在じゃん! と驚かされ、さらに左川ちかで、全集刊行(書肆侃侃房)という出版業界のナウやん! と。高原氏は「新版 うさと私」「観念結晶大系」を書肆侃侃房から出しているので、無関係なムーブではないはず。またコッソリと紫宮透を入れてくるあたり、やりよるな……。 ・氏のツイッターにいわく、自分の作品は「言語探求」「博物誌」「形而上」「奇想」「散歩」「なかよし」という要素で区分できるが、本作は「言語探求・散歩・なかよし」である、と。確かに! またさらに続けて、「以前は自分の守備範囲というものがわからなくていつも違うことばかりやっていて、これでは積み上げにならないのではと思われていたが、実のところ、限られた、しかし複数の要素の繰り返しと組み合わせでできていると知った最近 ある程度数多く作品を世に問わないとわかってこないことがある」……なるほどな。 ・近未来か? ともほんのり思われる「ポエティック・スポット」以後の3短編を、どう解釈するか(善きものか/ディストピアか)で全体の印象は大きく変わると思うが、今回は保留としたい。 ・カバーイラストも、カバーをはがした本体の表紙も、素晴らしい。装幀・名久井直子。装画・カワグチタクヤ。 flâneur 01 フラヌール flâneur 02 林檎料理 flâneur 03 永遠ハント flâneur 04 Dエクストラ flâneur 05 きの旅 flâneur 06 ポエティック・スポット flâneur 07 塔と空と柔毛 flâneur 08 モダンクエスト
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フラヌールとはベンヤミンの『パサージュ論』の中の言葉で「遊歩者」という意味らしい。メリとジュンがふらふらと探索散歩しながら景色や日常、出会う人に様々な「詩歌」を探し出し、見出す。とても楽しく読みました。軽快な文章はスキップしているみたい。作中で引用される萩原朔太郎、大手拓次、ラン...
フラヌールとはベンヤミンの『パサージュ論』の中の言葉で「遊歩者」という意味らしい。メリとジュンがふらふらと探索散歩しながら景色や日常、出会う人に様々な「詩歌」を探し出し、見出す。とても楽しく読みました。軽快な文章はスキップしているみたい。作中で引用される萩原朔太郎、大手拓次、ランボー、ディキンソン、最果タヒ、佐川ちかの詩ににやける。読んでみたい詩集がたくさん増えました。後日、まとてめ買うか図書館で借りるつもりです。最終章の『モダンクエスト』は著者が一番言いたかったことなのではないかな、と感じました。私も詩歌を探して日々の生活でフラヌールしたい。素敵な本でした。
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ちょっと不思議で、ちょっと親しげ、読みやすさにかまけて飛ばしていると、読者であるところの君はきっと文中に秘められた鍵を読み落とすから、慌てずゆっくり味わってよし。 文中に「心地よく秘密めいた場所」というセリフがあって、「あれだ、ネズミが自分の首を猫のあごにのせる……」と途中まで思...
ちょっと不思議で、ちょっと親しげ、読みやすさにかまけて飛ばしていると、読者であるところの君はきっと文中に秘められた鍵を読み落とすから、慌てずゆっくり味わってよし。 文中に「心地よく秘密めいた場所」というセリフがあって、「あれだ、ネズミが自分の首を猫のあごにのせる……」と途中まで思ったのだけれど、そうではなかった。『心地よく秘密めいた場所』はエラリー・クイーンで、"ネズミが自分の首を猫のあごにのせる"のはボリス・ヴィアンの『うたかたの日々』だし、『心地よく秘密めいたところ』はピーター・S・ビーグルだ。もう、私の思考は二重三重に錯誤している(でも、それが楽しい)。 年末の(普段よりも更に)疲れた脳みそにじんわりと沁みるいい一冊でした。
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比較的最近、同じく高原英理さんの著書である『歌人紫宮透の短くはるかな生涯』を読了したので、詩歌熱をそのままに本作も堪能致しました。本書に登場する詩人歌人は、萩原朔太郎を始めとした、モダニズムを彷彿とさせる人達が印象的でした。個人的に好きなお話は『永遠ハント』で、ランボー(またはラ...
比較的最近、同じく高原英理さんの著書である『歌人紫宮透の短くはるかな生涯』を読了したので、詩歌熱をそのままに本作も堪能致しました。本書に登場する詩人歌人は、萩原朔太郎を始めとした、モダニズムを彷彿とさせる人達が印象的でした。個人的に好きなお話は『永遠ハント』で、ランボー(またはランボオ)の「永遠」の詩だけでここまでゆる〜く、かつどこかハッとするような発見をしたのは新鮮でした。この世界を少しだけ気楽に生きるために、これからは私もゆるゆると、本書と詩歌の世界をフラヌールしようと思ったり。
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