教養としての上級語彙 の商品レビュー
宮崎哲弥さんの魅力に触れてみたくて読み始め、知識の広さと、言葉選びの巧みな理由が、とてもよくわかる本でした。正直、ここで出てくる言葉が自分のものになるかというと、それは否だと思うので、ここで触れた言葉は入り口だと思って、読書を続けて、物語の流れの中で上級語彙が登場した時に、身に入...
宮崎哲弥さんの魅力に触れてみたくて読み始め、知識の広さと、言葉選びの巧みな理由が、とてもよくわかる本でした。正直、ここで出てくる言葉が自分のものになるかというと、それは否だと思うので、ここで触れた言葉は入り口だと思って、読書を続けて、物語の流れの中で上級語彙が登場した時に、身に入るような気がします。
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難しい言葉をひけらかしたくなる衒学趣味 一番不便なのは、ダウンロードしないと索引を使へないこと。語彙集としては欠点中の欠点。 内容としても、てっきり斟酌とか剴切とか蓋然性とか、あまり使はないが有用な言葉が載ってゐるかと思ひきや、濫觴だの耳朶だの、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやだ...
難しい言葉をひけらかしたくなる衒学趣味 一番不便なのは、ダウンロードしないと索引を使へないこと。語彙集としては欠点中の欠点。 内容としても、てっきり斟酌とか剴切とか蓋然性とか、あまり使はないが有用な言葉が載ってゐるかと思ひきや、濫觴だの耳朶だの、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやだの、いつ使ふの?といふ文学的な言葉が多い。いくらボキャ貧でも、こんな単語は無用の長物である。もっと本書でいふ「使用語彙」を増やしたらどうか。 読書猿はこの本を書評してゐるが、こんな上級語彙を使はずにわかりやすく物事を伝へることを基本にしてほしい。
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自分がよく知らなかった日本語について気づくところはあったが、自分にとってはトリビア的な楽しみしかなく、考えが変わったり、行動が変わったりと言うきっかけになるような種類の本ではなかった
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宮崎哲弥(1962年~)氏は、慶大文学部社会学科卒、博報堂嘱託研究員、中央大学非常勤講師、京都産業大学客員教授等を経て、相愛大学客員教授。研究開発コンサルティング会社・アルターブレイン副代表。多数のメディアに出演する、評論家、コメンテーター。 私はこれまで、著者の本では、随分前に...
宮崎哲弥(1962年~)氏は、慶大文学部社会学科卒、博報堂嘱託研究員、中央大学非常勤講師、京都産業大学客員教授等を経て、相愛大学客員教授。研究開発コンサルティング会社・アルターブレイン副代表。多数のメディアに出演する、評論家、コメンテーター。 私はこれまで、著者の本では、随分前に『新書365冊』(2006年)を読み、それを参考に何冊かの新書を手に取った記憶があるが、所謂書評本であるその本のクオリティについては考えたことがなかった。ところが、最近たまたま松岡正剛の伝説の書評サイト「千夜千冊」を見ていたときに、『新書365冊』が取り上げられており(そもそも、書評のプロである松岡氏が自らの書評サイトで書評本を取り上げること自体、前代未聞と思われる)、しかもその中で「365冊の新書をずらりと並べたことにも驚くが(とりあげられた新書からみて、すべてはこの数年の読書なのである)、そのすべてに付された10行から50行ほどのコメントが、ただものじゃない。・・・本書を読んで、宮崎哲弥という人物の本の読み方は並大抵ではないことがすぐにわかった。このあと少し紹介するけれど、すこぶる適確な読書力と判断力をもっている。」とべた褒めで、また、「すぐれた批評家は、その多くがすぐれた熟語を発する編集能力の持ち主でもある。宮崎も本書のなかで、適宜、巧みな熟語をもって一冊の内容をしばしば切り取っている。」と、その言語力に触れていたのだ。(残念ながら、それを知ったときには、同書は既に手放してしまっていたのだが。。。) そして、そのことが頭に残っている中で本書を書店で目にし、躊躇うことなく入手した。 拾い読みをしてみると、私としては、収録されている言葉の7~8割が「理解語彙」(=文章を読んだり、話を聞いたりしたときに意味のわかる言語群)で、2~3割が「使用語彙」(=実地で書いたり、喋ったりして、能動的に使うことのできる言語群)のような感触を持ったが、そのバランスもよく、また、語彙事典のようにシチュエーションや言葉の意味から調べられるだけではなく、前から順に読んで行けるような工夫された記述になっているので、一度通読してみたいと思う。 また、私は近年、短歌を詠み始め、気の利いた語彙(特に和語の)を増やしたいと思っているのだが、本書では漢語だけではなく和語も多く含まれているので、参考になりそうである。
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