フランスの街の夜 の商品レビュー
キリスト教徒の作者らしい考えを知る事ができて、面白かったです。タイトルの通り、フランスでの生活の事や戦後の日本の事も書いていて、貴重な体験を数多くした方だったのだなと思いました。
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「誰もが一度は味わってみたいとお思いになるフランスの魅力の一つを少し考えてみたいと思います。」から始まる表題のエッセイ。 イメージとかけ離れたところは私の感じたことと共通する。決して「おしゃれ」とか、「きれい」なところばかりではないという…。 彼から見た「今」も今は昔。 それ...
「誰もが一度は味わってみたいとお思いになるフランスの魅力の一つを少し考えてみたいと思います。」から始まる表題のエッセイ。 イメージとかけ離れたところは私の感じたことと共通する。決して「おしゃれ」とか、「きれい」なところばかりではないという…。 彼から見た「今」も今は昔。 それでも「読書について」の他、主に新聞に掲載されたエッセイは、さすがに読みやすく面白いと思いました。 特に 「文学碑不要論」 「修学旅行」 「大学入試の文章」 「しゃべれぬ外国語」 はフムフム、と。 その他にも「良夫賢父の弁」はユーモアがありました。 2023年は遠藤周作生誕100年とのことで、また他の本も読んでみようと思います。
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1950年代から1990年代に書かれたエッセイ。再掲もありますが多くは遠藤周作文学館の資料室で見つかったものだそう。遠藤周作が語る書籍、映画など当時の文化を感じられる。個人的に印象に残ったものをピックアップ。 ※巻末の初出一覧から発表年を書き出しました。 ・フランスの街の夜 表題作。再掲。戦後が色濃く残る1951年。周囲の小国から入ってきた人たちの悲しみ、フランス人自体の悲しみが空気となり存在している。 「誰もが一度は味わってみたいとお思いになるフランスの魅力」(P12) とありますが1951年発表のエッセイなので今の若い人にはもうそういった感情はないかもしれませんね。私もフランスは好きなのでちょっと寂しい。 ・時間励行 1955年。時間を守るイギリス人と守らないフランス人と日本人。この頃は日本人も時間にルーズだったのかな。 ・若さの情熱ーその生命のみずみずしさ 1959年。 「有名なプルーストの言葉に「安定は情熱を殺し、不安は情熱をたかめる」というのがあります。けだし至言というべきでしょう。」(P44) ・一人の若い作家として 1956年。自分の体験を書き綴る作家に対し 「だが他人にとっては彼の苦悩や孤独など、犬にでもたべられてしまえである。」(P48) ばっさりいきすぎ(笑)現代は「共感」が大切にされているので新鮮に感じました。 ・読書について 1959年。遠藤先生の読書論。 「自然の風景一つを描写した部分から作者の人生観を読みとるのは(これが小説の読み方である)文中の思想的会話を読むよりももっと大切な場合がある。そのためにには一つの小説を三、四度読み返してこそ感得できるのだ。」(P51) すみません…と謝ってしまいたくなる。10年後ぐらいからそういった読み方をする予定です。今は自分にとっての良書を探しているところなのです(汗) ・外国文学にみる「愛の告白」 1954年。 世間の恋人達をみるがよい やつと告白がはじまると もう彼らは嘘言を強ひられてゐるのだ。 P56の引用はリルケから。 西洋文学における愛の告白の淵源とは 「中世の騎士が貴婦人たちをほめたたえ、美化する頌歌から始まっています。つまり、陶酔を土台にした愛の告白です。」(P62) 少女漫画みたいだなぁ。 ・世界映画の「つながり」の中で 1957年。 「「映画は生まれつつある思潮のもっとも鋭敏な触覚だ」とは武田泰淳氏の言葉だが、私もそれには賛成なのだ。」(P138) 私も諸手を挙げて賛成です。 ・変質者の時代ーあらゆる世界に草加次郎的人物がいる 1963年。草加次郎という人物を初めて知りました。同性愛については古い考え方ですが、犯罪者については現代と変わらない、ああ、怖い…。 「変質者が我々に与える恐怖はこのナチの使った偶然の恐怖に似ている」(P182) こういった内容の中にさらっと 「私は子供の時、関心ある女の子の髪の毛をひっぱったり、馬糞を放りつけたことがあったが、それはその女の子が憎いからではなく、彼女の関心を惹きたいためだった。」(P186) さくっとこういう文章を入れてくる狐狸庵先生(笑)私は馬糞を放りつけてくる男性は好きにはならないなぁ。 ・歩き歩き、物思う… 1992年。蕪村の句について。味わい深い。
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遠藤周作先生の若き日から晩年近くまでに書かれた短文を集めたエッセイ集。没後四半世紀を過ぎてまだ新刊が出されることにまずは深い感慨を覚えます。 やはり文体に深みを感じます。人間くさく美しい話ではない内容であっても文体には品を感じると言いますか。その品とは上品下品の品ではなく自分の人生、そして自身が関わる様々の人生に向き合う姿勢の真摯さというようなものでしょうか。先生自身の性質やカトリック信仰者であったことはもちろんあるでしょうがやはり戦後間もない時節に留学された体験が生きることに真摯にならざるを得ない人生にさせたのでしょう。今とは全く違う世界情勢の中でたった一人で日本では得られない全てを体験し伝える人も側になく、遠い他国で病にも侵さながら暮らすということの孤独は想像を絶します。 そして時代を感じさせないというか今でも十分に通じる、むしろ今だからこそ染みるのではというような内容の文がたくさんありました。 今の自分に強烈に染みる一文がありました。p100「自分にはどんなに弁解できるものであっても、善意や肉体的精神的弱さがあっても、社会は行為の結果で当人をきびしく評価するのが普通なのです」 いや言われてみるとその通りでしかないですが、状況の困難さや不当な判定を受けるなどの了解し難い事態に直面したとき、誰でも近視眼的視点になりがちだと思います。言い訳したくなるというか理由をちゃんと聞いてほしいとか。しかしそういうことには意味がないとこの文は教えてくれました。この文には「はっ」とさせて視点をぐっと引いてくれる力があると感じました。今の自分がまさにそうで、この言葉に出会うために本書に出会ったと思いました。 また、p197〜199の浄化の願いについての短文は、キリスト信仰者らしい考え方とも言えると思いますが、私は宗教信仰者ではないですがこの考えに深く賛同しました。そう言葉にして意識しなくても大なり小なり浄化されたいという心情は誰の心のうちにもあるだろうと私も思います。それは自分だけでなく関わる人たちの幸せを願ったり喜んだりする心情とそう遠くはないだろうと思うからです。 遠藤先生の、人間の存在に対する愛のようなものを深く感じる短文集でした。この本を世に出してくれた関係者の方々に深く感謝します。
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若い頃の遠藤周作のエッセイ フランス留学後は、研究室に入ろうと思っていたが 途中で観たり、体験したことから 小説家として生きる決心をする 結核でつらい思いもして、あと10年生かして欲しいと願った若き日々 1650年から60年台の作品 時代を考えさせられた。 凄い人間性だ
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海と毒薬、沈黙、同じ手から生み出される作品ではあるが、こちらは遠藤周作という人物の成長と人となりが垣間見れるエッセイ。 初期のものからというが、自分を投影するその言葉一つ一つはとても完成度が高く、空気まで運んでくるよう。 遠藤周作と言えばキリスト教。宗教じみていないキリストとの...
海と毒薬、沈黙、同じ手から生み出される作品ではあるが、こちらは遠藤周作という人物の成長と人となりが垣間見れるエッセイ。 初期のものからというが、自分を投影するその言葉一つ一つはとても完成度が高く、空気まで運んでくるよう。 遠藤周作と言えばキリスト教。宗教じみていないキリストとの関係を書くエッセイもまた魅力。 過去に読んだ中でも取り上げられていた、テレーズでルケルーも登場して、お蔵入りした書棚が読まなければと思い出した。 遠藤周作の言葉から発せられると、とても興味深くその感覚を共感したくなってしまうから不思議。 このエッセイには遠藤周作の家族や、若き日の海外暮らしも知ることができ、小説家遠藤周作が身近な存在に思えるものだった。
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周作の知の深さを初期から感じる。戦後最初の公費留学生とは、なんと優秀な。数々の作品を送り出したその後を思うと、その経験は、何倍もの価値を生み出した。その価値観が独特かつ面白い。
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