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「社会正義」はいつも正しい の商品レビュー

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8件のお客様レビュー

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2024/07/22

障害者と支援者のところが理解しやすかった。ポリコレやDEIに限らず、事態を悪化させるのは当事者ではなくいつもその外野で、さらにその外野はたいてい自分のことを当事者の代理人と信じて疑わないところが問題なんだよなー。同時に、もし糾弾されたら、知らなかった、では済まないこともよく承知し...

障害者と支援者のところが理解しやすかった。ポリコレやDEIに限らず、事態を悪化させるのは当事者ではなくいつもその外野で、さらにその外野はたいてい自分のことを当事者の代理人と信じて疑わないところが問題なんだよなー。同時に、もし糾弾されたら、知らなかった、では済まないこともよく承知しておいたほうがいい(これはわたしへ言っている) 無知は罪なんだよ

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2024/05/28

読み始めは、少々難解だなと感じました。 ですが、読み進めていくうちに、昨今のポリコレに纏わる話を聞く度に感じる違和感の原因がわかった様な気がします。

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2023/04/20

15 現状 26 イタリア、アメリカ、フランスのポストモダニズム 33 近代主義的二分法(客観的普遍性と主観的個人)から、それに対する懐疑主義によって局所的ナラティブ重視=文化構築主義へ 35 ポストモダニズムの原理と主題 40 リオタール 44 ポストモダニズムの左翼性(人類...

15 現状 26 イタリア、アメリカ、フランスのポストモダニズム 33 近代主義的二分法(客観的普遍性と主観的個人)から、それに対する懐疑主義によって局所的ナラティブ重視=文化構築主義へ 35 ポストモダニズムの原理と主題 40 リオタール 44 ポストモダニズムの左翼性(人類がもつ抑圧的権力構造は非難されるべき) 45 反証可能性よりも理論的原則と世界観に依拠 67 クレンショー「インターセクショナリティ」 82 ポストコロニアリズム 110クィア理論 115 リベラルとポストモダニズム 116 規範性を排した接頭辞 hetero cis thin 117 クィア理論とは 121 フーコー 124 クィアの政治目標 127 バトラー 129 パロディの政治 134 セジウィック 137 リベラルフェミニズムやLGBTアクティビズムとの違い 138クィアへの批判 146 白人の人種差別廃止 148 貧困から言説と権力へ 189 リベラルフェミニズム 192 多様性 205 障害の社会構築主義的見方の変遷 7章まで

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2023/02/28

8章まで読み始めたことを後悔しながら読んだ苦労が、9〜10章で報われた気持ちになった。 あえてなのかはわからないが、この訳者でなければもっと違った印象で読めたであろうことが残念。 主著者が女性なのに、なぜわざわざ男性の乱暴な口語体で訳する必要があったのか。 しかしそれを差し引いて...

8章まで読み始めたことを後悔しながら読んだ苦労が、9〜10章で報われた気持ちになった。 あえてなのかはわからないが、この訳者でなければもっと違った印象で読めたであろうことが残念。 主著者が女性なのに、なぜわざわざ男性の乱暴な口語体で訳する必要があったのか。 しかしそれを差し引いても自分も社会も多く問い直せるきっかけになった、読む価値はあったと思える一冊。

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2023/01/23

とにかく読むのが大変だった本。特に序盤、批判対象が何であるのかを掴むのが非常に難しかったけれど、後半に向けて対象が一つに集約されているのでそれは解消された。と同時に、対象が何であるか分かりにくくなるのは対象に明確な定義・名称がない為ある程度仕方のない事だとも納得できた。これまで読...

とにかく読むのが大変だった本。特に序盤、批判対象が何であるのかを掴むのが非常に難しかったけれど、後半に向けて対象が一つに集約されているのでそれは解消された。と同時に、対象が何であるか分かりにくくなるのは対象に明確な定義・名称がない為ある程度仕方のない事だとも納得できた。これまで読んできた書籍の中でも恐らく同じ対象に対してあらゆる名称が使われていたし、対象者自体が同じ言葉を使っていないのだからこの場合は仕方がない。本書では名称は<理論>と呼称している。最終的には面白く読めた、けれど結言にはやや同意しかねる。それと、とにかく全体を通して言葉がきつい。

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2023/01/21

私は2000年代の前半を文学部という環境で過ごした人間であり、いわゆるポストモダン思想の洗礼を浴びたわけであるが、当時、ポストモダン思想を徹底的にコケにしたアラン・ソーカルによる”ソーカル事件”を知ったときは、本当に驚愕したというか、その知的ユーモアに改めて感嘆させられた、という...

私は2000年代の前半を文学部という環境で過ごした人間であり、いわゆるポストモダン思想の洗礼を浴びたわけであるが、当時、ポストモダン思想を徹底的にコケにしたアラン・ソーカルによる”ソーカル事件”を知ったときは、本当に驚愕したというか、その知的ユーモアに改めて感嘆させられた、という記憶がある。 その”ソーカル事件”とほぼ同種の方法によって、人種・ジェンダーなどのアイデンティティポリティクスを徹底的にコケにした著者らの論考が本作であり、私としては自身がアイデンティティ・ポリティクスに対して抱いていた違和感が明晰に言語化され膝を打つ思いで読了した。 前置きが長くなってしまったが、本作はちょっとした人種、ジェンダーなどの発言・振る舞いがSNS上で「当事者への配慮がない」として批判され炎上を巻き起こすような”キャンセル・カルチャー”の流れに対して、ロジカルに反駁する。 極めて乱暴に要約すれば、 ・人種、ジェンダーなどの問題に対する活動は初期の活動家たちによって一定程度成功を収め、少なくとも表面的なレベルでの問題は解消した ・そこで、問題が解消することで自分たちの存在意義が消失することを恐れた一部の活動家は、言説の世界を極めて重視するポストモダン思想を援用することで、”実は問題は解消されていない”というテーゼを打ち立てた(その結果がキャンセル・カルチャーの問題に結実している) ・しかし、彼らが立脚するポストモダン思想はそもそもが明らかに現実世界からは乖離したものであり、むしろ初期の活動家のようにプラグマティックな問題に対しては目を背けることで、かえって問題を大きくしている というのが本書の骨子である、と理解した。 例えば私が心底憤ったのは人種、ジェンダーなどと並ぶアイデンティティの1つとして”肥満”を取り上げ、むしろ”肥満”を肯定的に捉えようとするファット・スタディーズ、という学問一派があるということであった。私は自らがプラグマティックな医療・ヘルスケアの業界で仕事をしているということもあり、無責任に”肥満”を礼賛して肯定するような動きを許すつもりはなく、そのような一派には腹を切って死んで欲しいとする感じている。

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2023/01/19

本書の訳者解説がWEB上から早々にキャンセルを食らったという笑えない話になっていてある意味話題の一冊。これは海の向こうの話ではあるが、日本でもここ二、三十年で左派の色合いが随分変わってきた事に気付かされる。8〜90年代に盛んだったスキャンダルやエロなど何でもありの冷やかし的な姿勢...

本書の訳者解説がWEB上から早々にキャンセルを食らったという笑えない話になっていてある意味話題の一冊。これは海の向こうの話ではあるが、日本でもここ二、三十年で左派の色合いが随分変わってきた事に気付かされる。8〜90年代に盛んだったスキャンダルやエロなど何でもありの冷やかし的な姿勢は影を潜め、ジェンダー周りなど特定の領域で実に活動的で「真面目な」左派が世間に対して非常に攻撃的な言辞を吐く姿が目立ってきた。世界の潮流は確実に繋がっていそうだ。

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2022/12/13

体制の保護下にあってこその、ぬくぬくと作文で飯が食える身分を享受しておきながら「体制は抑圧だ」と批判し、現実に起きている問題の理不尽さは見ようともせずに「本質の批判ができる自分」の賢さ(笑)に酔いしれる、親のスネをかじりながら悪さをすることが格好いいと思っている中学生のような、幼...

体制の保護下にあってこその、ぬくぬくと作文で飯が食える身分を享受しておきながら「体制は抑圧だ」と批判し、現実に起きている問題の理不尽さは見ようともせずに「本質の批判ができる自分」の賢さ(笑)に酔いしれる、親のスネをかじりながら悪さをすることが格好いいと思っている中学生のような、幼稚で滑稽、愚かで無様で有害極まりないリベラルサヨク共のゲバ棒「ポリコレ」。 学生運動の敗北とともに消滅したかに見えた「活動家」共がアカデミズムの世界に侵入し、「人権」を錦の御旗に、言論・学問の自由を盾に、SNSのネットリンチとキャンセルカルチャーを矛にして、自分たちへの批判は絶対に許さず、言葉狩りと思想統制と果てしない謝罪と賠償と特権の要求に乗り出した背景として、ポストモダン思想の「実用化」があった。 当初は学者の言葉遊びに過ぎなかった何だかよくわからないポストモダン思想が、反証の困難さ(相互理解の可能性を否定する)を曲解と揚げ足取り用に都合よく利用され、活動家と狂信者が自由な言論空間を汚染し乗っ取る猛毒のツールに変質していった過程は、何やらの悪魔が召喚されたような感がある。 狂ったポリコレがなぜ広告や創作の世界からタフなヒーローやチャーミングなヒロインを抹殺して気持ちの悪いキャラクターばかりを「強要」し、しかもその「結果」について一切関心を持たないのか、その妄執も歪んだ思想に由来している。(個人的には単なる僻みと嫉妬だと思うが) 人権は重要。当たり前だ。しかし「人権の重要さを本当に理解しているワタシ『だけ』が正しい」という主張は絶対に誤りだ。 「つけあがるな」

Posted byブクログ