1,800円以上の注文で送料無料

「昭和鹿鳴館」と占領下の日本 の商品レビュー

4

1件のお客様レビュー

  1. 5つ

    0

  2. 4つ

    1

  3. 3つ

    0

  4. 2つ

    0

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2022/09/07

 1945年8月にダグラス・マッカーサーが降り立った厚木飛行場は、宮城事件と並ぶ「8・15」に対する反抗として著名な海軍厚木302航空隊の根拠地でもあった。    本書は、宮城事件に比べてあまり語られてこなかった厚木302空事件の顛末と、一刻を争った占領軍受け入れの現場で「活躍」...

 1945年8月にダグラス・マッカーサーが降り立った厚木飛行場は、宮城事件と並ぶ「8・15」に対する反抗として著名な海軍厚木302航空隊の根拠地でもあった。    本書は、宮城事件に比べてあまり語られてこなかった厚木302空事件の顛末と、一刻を争った占領軍受け入れの現場で「活躍」した土建業者・安藤明が、日本敗戦後に旧軍・皇族・政治家・GHQを結び付けるフィクサーとして成り上がり、やがて没落していった経緯を描いていく。 ・ 誰が降伏軍使を引き受けたか? 外務省は岡崎勝男、陸軍は河辺虎四郎、海軍は横山一郎(Ref.岡部英一『緑十字機決死の飛行』)。 ・ 米軍の厚木到着は1945年8月26日からスタートする予定だった。しかし、台風のため日程が2日間延期に。この「天佑」で何とか受け入れ準備を整えることができた。 ・ 厚木302空事件の経緯と展開。8月14日、小薗保名は「玉音放送」前に徹底抗戦を主張する電文を海軍各部署に発信。ラジオ放送後も東京・横浜方面で同趣旨のビラをばらまく。『大佛次郎敗戦日記』の8月16日条にそのビラに関する記述がある。

Posted byブクログ