終戦日記一九四五 の商品レビュー
「ケストナーの戦争日記」という邦題で刊行された「青い本」の該当個所との異同や加筆個所が結構あるので「青い本」を元にした日記風の文学作品と見なした方がよさそうだ。「アンネの日記研究版」や「福音書対観表」のように「終戦日記」と「青い本」の該当個所を対照にした本があればいいのに。少なく...
「ケストナーの戦争日記」という邦題で刊行された「青い本」の該当個所との異同や加筆個所が結構あるので「青い本」を元にした日記風の文学作品と見なした方がよさそうだ。「アンネの日記研究版」や「福音書対観表」のように「終戦日記」と「青い本」の該当個所を対照にした本があればいいのに。少なくとも「青い本」との異同個所を注に記したらどうだろうか? 邦訳者は旧訳の邦訳者の高橋健二を日本文学報国会の幹事や「大政翼賛会文化部長の要職にもついていた」と批判しているが「青い本」に引き摺られたのか?初刷ではグデーリアンの記者会見を記した個所で「そのひとつを朗読した」を落としている。担当編集者はドイツ語が出来なくても高橋健二訳を参照すれば気がついただろうに読んでいなかったのだろうか?そもそも岩波書店は刊行していたケストナーの本を高橋健二が訳していなかったのだろうか? 興味深いのはグデーリアンの邦題「電撃戦」に書かれている彼が宣伝省次官のヴェルナー・ナウマンが上司のゲッベルスから依頼された記者会見の記述が「終戦日記」にある。グデーリアンが言及していない(当然ながら出来ない?)「「ガス室といった悪魔のかまどなど病んだ空想の産物」であり、ロシア侵攻中まったく気づかなかったという」発言は「青い本」にも書かれている。グデーリアンの邦題「電撃戦」は大木毅の「戦車将軍グデーリアン」で批判されているように問題がある本だが、どうやら大木毅は「終戦日記」を読んでいないらしく一切言及していない。
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敗戦色濃い祖国で、亡命せずに過ごしていたケストナー。ケストナーの『こわれた時代』のあとに読んだ。書くことを止められた作家がどんな生活を送っていたのか。どんな噂を聞き、どんなものを見て、何を感じていたのか。何故、祖国に留まったのか? 『1945年を銘記せよ』
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
描写が鮮やかで、「偽物映画を撮っている滑稽な絵面」も含め、全体が映画のように頭に浮かんだ。 ツィラータール鉄道の終着駅、マイヤーホーフェンはいつかTVで見たように思う。 金色の草原に立ち、眉をひそめてこちらを見送るケストナーを、列車の窓から見ているような読後感である。
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1945年ドイツにおける終戦前後の著名作家(反政府的とみなされていた)の生活状況と考察を書いた日記。日本同様ドイツでも終戦前後の混乱はあったようだがその様相は若干違うよう。人名・地名等になじみがないこと、歴史・思想に対する知識不足により少々読みにくかった。それでも全体的な動きは大...
1945年ドイツにおける終戦前後の著名作家(反政府的とみなされていた)の生活状況と考察を書いた日記。日本同様ドイツでも終戦前後の混乱はあったようだがその様相は若干違うよう。人名・地名等になじみがないこと、歴史・思想に対する知識不足により少々読みにくかった。それでも全体的な動きは大体理解できたと思う。戦争というものを考える時にその時代の(ほぼ)生の証言は必要であろう。
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戦争末期から終戦後にかけて書かれたドイツの作家ケストナーの日記。ナチスドイツでの人々の様子が、作家の細やかで皮肉のこもった筆致で書かれていて、同時代史料としてとても興味深かった。終戦後に強制収容所を生き延びた人物からホロコーストの実態を初めて聞いた際の驚きを極めて冷静に書き残そう...
戦争末期から終戦後にかけて書かれたドイツの作家ケストナーの日記。ナチスドイツでの人々の様子が、作家の細やかで皮肉のこもった筆致で書かれていて、同時代史料としてとても興味深かった。終戦後に強制収容所を生き延びた人物からホロコーストの実態を初めて聞いた際の驚きを極めて冷静に書き残そうとした様子がうかがえる。 ケストナーが「一九四五年を銘記せよ。」と記したように、このような時代を書き残すことは作家にとっての責任なのかもしれない。
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"数字が生きたり、死んだりするだろうか。ポーランドの広場でドイツ軍の機関銃の前に並ばされたとき、ユダヤ人の母親たちは泣いている子どもたちを慰めた。母親たちの列は数列と同じだろうか。 その後、精神科病院に入院させられた親衛隊分隊長は数字だろうか。"(p.14) ...
"数字が生きたり、死んだりするだろうか。ポーランドの広場でドイツ軍の機関銃の前に並ばされたとき、ユダヤ人の母親たちは泣いている子どもたちを慰めた。母親たちの列は数列と同じだろうか。 その後、精神科病院に入院させられた親衛隊分隊長は数字だろうか。"(p.14) "自他ともに理解することが必要だ。といっても、理解することは納得することではない。すべてを理解することとすべてを許すことは、決して同じではないのだ。"(p.241)
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『飛ぶ教室』や『エーミ-ルと探偵たち』の作者として知られるドイツ人児童文学者エーリヒ・ケストナ-(1899-1974)が、第三帝国崩壊の寸前から連合軍占領までの記録を通して、混乱を極めた社会の様相や戦争の愚かさについて綴ったドイツ1945年の終戦日記。ナチの暴虐無尽、迫害、焚書事...
『飛ぶ教室』や『エーミ-ルと探偵たち』の作者として知られるドイツ人児童文学者エーリヒ・ケストナ-(1899-1974)が、第三帝国崩壊の寸前から連合軍占領までの記録を通して、混乱を極めた社会の様相や戦争の愚かさについて綴ったドイツ1945年の終戦日記。ナチの暴虐無尽、迫害、焚書事件など同時代への強烈な批判や比喩、皮肉をこめた論調には、祖国ドイツへの憐憫と深い悔恨の念に駆られる〝ドイツ人には美徳や才能が欠けている。ドイツ人には国民になる素質がないのだ〟と嘆き〝生ける屍〟とすら書き留めている(45.7.9)
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