読書の森で寝転んで の商品レビュー
何の前情報も無く、言わずもがな葉室さんの著作も本書が初めて。お亡くなりなられている事も知らなかった程の無知状態での読了。そうか、これはエッセイ集だったのか。 とは言え、このエッセイの中には様々な作品が登場するので、それぞれのエピソードを読むと、物語の試し読みをしているような楽し...
何の前情報も無く、言わずもがな葉室さんの著作も本書が初めて。お亡くなりなられている事も知らなかった程の無知状態での読了。そうか、これはエッセイ集だったのか。 とは言え、このエッセイの中には様々な作品が登場するので、それぞれのエピソードを読むと、物語の試し読みをしているような楽しさがあった。 印象的だったのは『蜩ノ記』の映画製作秘話。 故・黒澤明監督の遺志を継ぐ小泉堯史監督のリアリティの追求の徹底ぶりに舌を巻いた。作中ではほぼスポットライトの当たらない様な小道具だったりその中身であったり。そういう細部まで綿密に作り上げる事で、役者陣の芝居にも更なる説得力が出てくる。製作陣のこの情熱、そしてそれを体現していく役者陣には感服である。 その他にも心に留めておきたいフレーズに沢山出会えたので、ここに登場する作品にも触れてみたい。
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総合図書館で見つけ クマザワ書店で即購入。五十代でデビューした時には、もう完成された作家でした。葉室麟がどのような読書体験をして形成されたのか醸し出されたのか知るのによい本です。 なくなる前に葉室版「坂の上の雲」を書きたいと言って早世されたのは残念です。
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中年以降に小説を書く仕事についた人間には、時間に対する特別な思いがある。作品を書くため、自分に許されている時間は一体どのくらい残されているのだろう、と考えてしまうからだ 自分が生きていく意味と言うのは、自分たちの親や、その親、さらに何代も前の先祖たちが生きてきた歴史の中にあるはずだ。そこにどうたどり着いていくのかと言うことを、考えなければいけない
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著者、葉室麟さん、どのような方かというと、ウィキペディアには、次のように書かれています。 ---引用開始 葉室 麟(はむろ りん、1951年(昭和26年)1月25日 - 2017年(平成29年)12月23日)は、日本の小説家。福岡県北九州市小倉生まれ。本名・本畑雄士。 --...
著者、葉室麟さん、どのような方かというと、ウィキペディアには、次のように書かれています。 ---引用開始 葉室 麟(はむろ りん、1951年(昭和26年)1月25日 - 2017年(平成29年)12月23日)は、日本の小説家。福岡県北九州市小倉生まれ。本名・本畑雄士。 ---引用終了 で、本作の内容は、次のとおり。 ---引用開始 最後にして最高のエッセイ集! 人生という戦場に出るには 読書という武装が欠かせない―― 人間、歴史、本を語り尽くした 最後のエッセイ集。 絶筆「我に一片の心あり」収録。 「寺山は登場したときから、 すでに完成していたのかもしれない」。 寺山修司の愛読者・葉室麟も、 五十歳を過ぎてデビューした時、 すでに完成されていた。 直木賞受賞前後から逝去までの間に 発表した書評、随筆、小説講座、 掌編などをふんだんに収録。 人生の苦渋と他者への敬愛、 そして読書が遅咲きの国民作家を 完成させたと知る一冊。 第一章 読書の森で寝転んで 第二章 歴史随想ほか 第三章 小説講座で語る 第四章 掌編、絶筆 ---引用終了 この本の中では、「第一章 読書の森で寝転んで」が良いです。 2016~2017年にかけて、毎日新聞に書かれたもので、過去に読んだ本で印象深い本について書かれています。 登場する作品を読んでみたくなりますね。
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深い知識と、美しい文章、あたたかみ感じるお人柄。 作者の魅力をたっぷりと感じられるエッセイ。 「近頃、本が売れないのは、人生に挑む気合が欠けているからではないかと思うが、どうだろう。人生という戦場に出ていくからには、読書という武装が欠かせないと信じていたが、いまは違うのだろうか...
深い知識と、美しい文章、あたたかみ感じるお人柄。 作者の魅力をたっぷりと感じられるエッセイ。 「近頃、本が売れないのは、人生に挑む気合が欠けているからではないかと思うが、どうだろう。人生という戦場に出ていくからには、読書という武装が欠かせないと信じていたが、いまは違うのだろうか。」 多読の人から、本気で問いかけられたような 凄みのある問いかけに、深く考えさせられた。 「小説を書くというのは心の歌をうたうこと」と語る 著者の本当の心の歌を聴き、人生を深めるために もっともっと他の作品も読みたいと思った。
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2017年に逝去した著者の、最後のエッセイ集。 第1章は、新聞に連載した書評集。司馬遼太郎の『韃靼疾風録』から小林秀雄の『本居宣長』まで、29篇。 第2章は、「歴史随想ほか」で、新聞や雑誌に掲載されたエッセイでなっている。この中で、著者が最近に出版不況について、「近頃、本が売れな...
2017年に逝去した著者の、最後のエッセイ集。 第1章は、新聞に連載した書評集。司馬遼太郎の『韃靼疾風録』から小林秀雄の『本居宣長』まで、29篇。 第2章は、「歴史随想ほか」で、新聞や雑誌に掲載されたエッセイでなっている。この中で、著者が最近に出版不況について、「近頃、本が売れないのは、人生に挑む気概が欠けているからではないかと思う」と論じる。そして「人生という戦場に出て行くからには、読書という武装が欠かせないと信じていたが、いまは違うのだろうか」と、懸念を示している。同感するブログ子も多いことだろう。 第3章は、小説講座の講師としての対談からなる講義録。ここで、葉室氏は「残り時間を考えるので、やれる仕事はやる、と決めていますから。生き急いでいると言われればそれまでですが」と、早逝を予感するようなことを述べていることに、哀しい思いが生じる。 第4章は、絶筆『我に一片のこころあり 西郷回天賦』が掲載されている。『大獄 西郷青嵐賦』の第2部とのこと。完成した作品を読みたかったとの思いが募る。 さらに、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の葉室版も構想していたそうで、早逝が惜しまれる気持ちがさらに増す。
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目次 ・読書の森で寝ころんで ・歴史随想ほか ・小説講座で語る ・芦刈 ・我に一片の心あり 西郷回天賦 ・葉室麟 最後の言葉 読もう読もうと思いながら、まだその作品を読んだことのない葉室麟のこの作品を買ったのは、もちろんタイトルに惹かれたから。 『読書の森で寝ころんで』 こんな至福はあるまい。 時代小説を書く人だ、という認識しかなかったので、その書評にコナン・ドイルやカートヴォネガット・ジュニアがあるのに驚いた。 もちろん時代小説・歴史小説について書かれたものが多いのだけれど、それは想定内。 まさか彼から、コナン・ドイルが晩年スピリチュアルな世界へ傾倒していった理由を知ることになるとは。 それから、奈良時代を舞台に描いた作品が多いということを知り、これはもうアンテナを高くしないとならんな、と思う。 奈良時代や飛鳥時代はなかなか小説にされにくく、作家が書こうとしても「売れませんよ」と編集に停められてしまうのだとか。 この本のなかにも藤原不比等についての考察があり、ちょっと前にNHKの番組で不比等についてみたばかりだったので、俄然興味が沸くというか沸騰する。 初めて読む葉室麟の作品は、だから『芦刈』ということになる。 能の「芦刈」をモチーフに書かれた作品は、多分愛し合っていたと思われる夫婦であれ、10年別の生活を送ったことによる溝の、小さくても越えられない断絶を、冷徹なまでにくっきりと示す。 10ページの作品だったけど、ずしんと来る面白さだった。 西郷隆盛についても、いくつかふれているのだけど、ずっと私が知りたいと思っている、無血開城の後なぜ執拗に幕府をあおって戊辰戦争に持って行ったのか、は、やっぱりわからなかった。 私の中ではこれだけが、西郷どんらしくない行為に思えてしまうので、絶筆の『我に一片の心あり 西郷回天賦』の完成を読みたかった。 50歳を過ぎてからの作家デビューで、残り時間にどれだけ書けるのかをいつも考えていらした著者の病床での最期の言葉に「西郷のあとは、坂の上の雲。がんばらないと。」とあって、その早すぎる死を残念に思う。 葉室麟の麟は、勝麟太郎から取ったとあって、思わずにやり。 絶対趣味合いそうだなあ。
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【作家・葉室麟を作った数々の本と人】50歳過ぎてのデビュー時に既に完成されていた“葉室史観”。敬慕され続ける作家を涵養した本、人との出会いが綴られたエッセイ集。
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