それで君の声はどこにあるんだ? の商品レビュー
2015年、ニューヨーク。ジェイムズ・H・コーンの著作を通して黒人神学から強烈な影響を受けた著者は、コーンが所属するユニオン神学校の門を叩く。トランプの大統領就任やブラック・ライヴス・マター運動でアメリカ社会が激動に揺れるなか、黒人差別とキリスト教の歴史を学び、神学の意義を問うた...
2015年、ニューヨーク。ジェイムズ・H・コーンの著作を通して黒人神学から強烈な影響を受けた著者は、コーンが所属するユニオン神学校の門を叩く。トランプの大統領就任やブラック・ライヴス・マター運動でアメリカ社会が激動に揺れるなか、黒人差別とキリスト教の歴史を学び、神学の意義を問うた日々を綴ったエッセイ。 コーンの問いかけはキング牧師とマルコムXの対比から始まり、マルコムを理解しなければキングをも捉え損ねるとゼミ生たちに忠告する。本書はキングかマルコムかと言えば完全にキング的方法論で書かれている。どこまでも己の学びと反省に話が収斂していって、読者には居心地の悪い思いをさせない文章だ。 だがそれでいいんだろうか。私は黒人差別に関する本を読むたびに、藤本和子の『塩を食う女たち』でトニ・ケイド・バンバーラから、アジアン・コミュニティはブラックカルチャーから言葉を借用して済ませてしまっている、と指摘されていたことが頭をもたげるのだ。他のアジアの国のことはわからないが、日本においては様々なマイノリティの問題について自分たちで言葉を創りだすことができていない現状がある。著者は勿論そういう問題意識を持っているからこそ、コーンの言葉から「それで君の声はどこにあるんだ?」をタイトルに選び、自分自身に問いかけ続けているのだろうけれど。 本書に登場するもう一人の教授コーネル・ウェストは、私にはコーン以上に鮮烈だった。黒人霊歌の「グローリー、ハレルヤ!」をめぐる問い、アメリカにおける黒人の歴史を表す「土曜日の霊性」という概念、十字架にかけられたキリストと木に吊るされた黒人奴隷の共通性。ヤロスロフ・ペリカンの『イエスの二千年』では南北戦争、インド独立、公民権運動では「解放者としてのイエス」が掲げられたとしていたが、つまりはイエス自身が虐げられ苦しめられる弱者だったからこそ、同じ苦しみのなかにあるコミュニティの解放のシンボルにもなれるという逆説がここにはある。 極限状況で神学に何の意味があるのか。教会に通っていた子ども時代から不思議に思っていた問いではある。けれどコロナ禍を経て、私自身は宗教を持つ共同体と持たない共同体の差を歴然と感じた。神とは内なる他者だ。人間がいつも神の声を正しく聞き取れるわけではないが、その努力によって目の前の人に手を差し伸べられるようになることもある。他者の声に耳を澄ますことと自分の声を見つけだすこと。二つを高い次元で両立させるには宗教が必要なのだと思う。
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文章の熱にアジテートされる。だが作者が知的に誠実なため、ナルシスティックな左翼本、ポリコレ本にはならない。マイノリティに憑依してルサンチマンに溺れたいのに溺れることができない葛藤として読んだ。いま研究しているという沖縄についても結局は同じ越えられない矛盾にぶつかるのではないかと懸...
文章の熱にアジテートされる。だが作者が知的に誠実なため、ナルシスティックな左翼本、ポリコレ本にはならない。マイノリティに憑依してルサンチマンに溺れたいのに溺れることができない葛藤として読んだ。いま研究しているという沖縄についても結局は同じ越えられない矛盾にぶつかるのではないかと懸念するが、その矛盾に苦しむこと自体が彼の生きる目的なのかもしれないとも思う。
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自分のルーツを知り、それが歴史的になにをして、なにをされたのか、一度立ち止まり考えて、自分が今どこに立っているのかを認識しないといけないと思った。 第5章の「アリマタヤのヨセフ」で著者からヒントをいただいたような気がする。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
翻訳家の押野素子さんのツイートや最近聞いている代官山蔦屋書店のポッドキャストで知って読んだ。いわゆるブラックミュージックが好きで、そこには大なり小なりキリスト教の存在がある。それらが全部本著にあるような内容を背景に持つとは言い切れないかもしれないが、音楽における強力なエンパワメント性に対する影響が大いにあるのでは?と思うほど刺激を受けた。そして何よりも著者の読ませる文章の素晴らしさもあいまって自分にとって大切な1冊となった。 著者がNYにあるユニオン神学校へ留学し、ジェイムズ・H・コーンという神学者から教えを乞うというのが大筋で、エッセイ兼黒人進学の入門書のような構成になっている。黒人神学に対して外様である著者が悪戦苦闘しながら何とか少しでも本質に近づこうとする様が生活の状況含めて描かれておりとても読みやすい。宗教となると身構えてしまうこちらの姿勢を解きほぐしてくれる構成だと思う。キングとマルコムの比較がたくさん出てきたり、キリスト教における土曜日の議論が出てきたり本格的なキリスト教の話ももちろん書かれているのだが学問としてのキリスト教なので少し距離がある。それによって門外漢でもキリスト教の考えについて理解しやすくなっていると思う。そして著者がユニオン神学校で勉強する中で学んだことを通じて吐き出される論考の数々が本当にエンパワメントに溢れていて個人的にはそこに一番やられた。文字通り着の身着のままでNYにきて藁にもすがるような気持ちで勉強に打ち込んでいく、その真摯な姿勢にも胸を打たれた。以下刺さったラインを引用。 *私たちは様々な境界線を同時に持ち得るし、何よりも刻一刻と変えていくそれらがどのように作用するかは、多分に、私たちと他者との関係性に依存している。そんな関わりあいを通して、私たちは自分が誰であり、誰でないのかを、問われつつ学び、学び捨て、そして学び直していく* *スタイル、声とは、自分を追い、自分を待つ歴史との絶え間ない対話から生まれる。それは自分の声でありながら、自分の所有物ではあり得ず、常に関係性の中に存在する。そこにあって真摯に問われなければならないのは、自分は何の後を生きているのか、ということだろう。自分の存在は過去のいかなる連環によって規定されているのか。* 外様ゆえの苦労も描かれており、コーンから「黒人以外の人間が、黒人の苦労を理解するのは難しい」という自分だったら心折れそうな強烈なことを言われながらも、それを受け止めて自身のルーツへと回帰していく流れも好きだった。足元が大事というのは言われれば分かるけど、やっぱり一度外に意識を向けた後に足元の重要さを認識する方がより気づきが多いと思うから。 「宗教を信仰する」となると、何かを「信じる」わけだけど、日本ではこの「信じる」ことに対する心理的安全性が極端に低く感じる。なんでもかんでも相対化(悪くいえば冷笑)して距離をおくことは役立つ場面も当然あるが、最近はそれがSNS含め加速しすぎていると思う。それらを押し退けて理想や希望はもっと大きな声で語られるべきだと読んで感じた。そしてそれが「私の声」でありたい。
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あまり馴染みのない神学の話。 ちょっと文章に稚拙なところもあるけど、アツい想いは伝わってくる。 アメリカ社会に対する思いは、いろいろあるのだけれど、考えさせられるものがある。
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