物語のあるところ の商品レビュー
吉田篤弘さんが、月舟町に「おもむき」、月舟町シリーズの登場人物たちと語り合う形で、「物語論」が展開される、という本ですが、懐かしいキャラクターたち、取り分け、ジャンゴと再会できて、私はとにかく嬉しいです。 〈切実な犠牲者〉について語る章で、私が小説を読む時に時折感じる苦手感の正体...
吉田篤弘さんが、月舟町に「おもむき」、月舟町シリーズの登場人物たちと語り合う形で、「物語論」が展開される、という本ですが、懐かしいキャラクターたち、取り分け、ジャンゴと再会できて、私はとにかく嬉しいです。 〈切実な犠牲者〉について語る章で、私が小説を読む時に時折感じる苦手感の正体が分かりました。タモツくんの映画観と同じだったのです。
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この作品すら、心地よかった。 と言うのも、サブタイトルの 「月舟町ダイアローグ」とあるように、月舟町での対話。的な随筆。 物語論の随筆。論説。論文。 そう論文なのです。 心地よい論文なんてそうそうあるもんじゃない。 論文ですら心地よい。のです。 著者の吉田篤弘さんが、実際に...
この作品すら、心地よかった。 と言うのも、サブタイトルの 「月舟町ダイアローグ」とあるように、月舟町での対話。的な随筆。 物語論の随筆。論説。論文。 そう論文なのです。 心地よい論文なんてそうそうあるもんじゃない。 論文ですら心地よい。のです。 著者の吉田篤弘さんが、実際に物語の舞台「月舟町」に行き(もちろん頭の中だけで)、物語の登場人物と対話していく形式で進んでいく。 作者自身が、物語の中へ。 月舟町3部作を読んだ人なら、ワクワクが止まらない展開なんです。 古本屋の店主、デ・ニーロの親方、果物屋の青年、雨降りの先生、食堂のサエコさん、女優の奈々津さん、帽子屋さん、月舟シネマの直さん、初美さん、ジャンゴ……みんな出てくるんです。 ウルトラスーパーコンビニエンスストアのタモツさんも笑。 忘れちゃいけない、リツくんも当然出てきます。 そして、作者の吉田篤弘さんと、 著者トーーーーーク 本編は、135ページほど。 かつ行間も広いので1時間ほどで読めます。 が、 中身はみっちり。吉田篤弘さんの物語の作り方、物語への想いが伝わります。 対話をしながら、物語が紡がれ、 対話をしながら、考えが構築、推移する。 村上春樹さんの「職業としての小説家」に通じるところがある作品だと思いました。 吉田篤弘さんの方が分量、雰囲気など大分ライトだけれども。 物語を生み出す「型」、「フォーム」の「種明かし」が、素直に書かれてる。 いいの? そこまで言ってくれて?って感じ。 あぁ、でもそう言えば、大学の先生もしてるんだもんなぁ。教えるわけだ。 キーワード 余白、あそび、キャラクターの赴くまま、規定されない、決めつけへの抵抗、デタラメと即興、意図してないものを引きずり出す。 ダークなもの、お守り。 読めば、わかります。 書きながら、考えも醸成されていく感じ。 意見を交わし合っていくうちに、新しい考えが出てくる感じ。軽々しく言えないのことは重々承知ですが、「わかるなぁ」と思いました。思考の進み方として、あるなぁと。 とにかく、月舟町シリーズを読んだ人には、超オススメです。 物語の舞台裏、役者の素顔、裏側なんかを知りたくない派の人は、やめといてもいいかなぁ………。 否、ファンは、読みましょう。 ファンファンは、必ず読みましょう。 私的には、今作は、星6です。 ものすごくシンクロしました。 ものすごく吉田篤弘さんを身近に感じることができました。 2次元の紙に書いた物語を読むことが、頭の中の世界を3次元的空間へ拡大し広がっていく、拡張していく。もっと先の4次元的… 吉田篤弘さんの作品を読んでると、そんな想像の羽が広がって羽ばたいてる感覚に陥ります。 やっぱり心地よいのです。
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本書は、吉田篤弘さんの作家生活20周年・ちくまプリマー新書400巻記念作品です。月舟町とプリマー新書つながりで、珍しく吉田篤弘さん作品を続けて読みました。 300巻記念の『雲と鉛筆』は、「ぼく」の一人称によるモノローグでしたが、本書は副題が「月舟町ダイアローグ」とある通り、...
本書は、吉田篤弘さんの作家生活20周年・ちくまプリマー新書400巻記念作品です。月舟町とプリマー新書つながりで、珍しく吉田篤弘さん作品を続けて読みました。 300巻記念の『雲と鉛筆』は、「ぼく」の一人称によるモノローグでしたが、本書は副題が「月舟町ダイアローグ」とある通り、著者(小説家の「ぼく」)が、何度も舞台として描いた架空の「月舟町」におもむき、おなじみの登場人物たちと対話します。 「物語を書くにあたっての問題」を追究するには、ああでもないこうでもないと主張する2人が必要で、対話し考えが動いていくことで物語が動き始める、と記しています。面白い設定です。 この問題の具体として、物語のこだわり、感情移入、人称、意図と誤読、さらには、これらの問題に答えを出すことが、果たしていいことなのかどうか、という問題等々‥を挙げてますが‥。 しかし、吉田さん!答え合わせしちゃってます! 自ら「答えはいつもふたつある」としてます。 つまりは、吉田さんは、決めつけられることに抵抗し、当然、登場人物にも物語にも余地がほしいのですね。物語は読み手の私たちに委ねられ、正解はなく、読み方も自由なんだと。これが吉田篤弘さんの考え方・姿勢なんでしょう。 打つ手がないような状況が多い世の中ですが、最短時間と最短距離で着地点を探すのではなく、地道になすべきことに励む‥こうした姿勢を重んじる吉田さんから、「物語を創る」ことを通して、夜をほのかに照らす灯りを点けてもらった気がします。
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吉田さんが〈月舟町〉へおもねき、登場人物達と語り合う物語論。4つの月舟町シリーズを読み終わってからが、おすすめの1冊。 雨降りの先生、帽子屋さん、デ・ニーロの親方、犬のジャンゴ、リツくんなど、懐かしい人達が、次々と登場。小説の中の人物と吉田さんが、語り合うという面白い趣向だった...
吉田さんが〈月舟町〉へおもねき、登場人物達と語り合う物語論。4つの月舟町シリーズを読み終わってからが、おすすめの1冊。 雨降りの先生、帽子屋さん、デ・ニーロの親方、犬のジャンゴ、リツくんなど、懐かしい人達が、次々と登場。小説の中の人物と吉田さんが、語り合うという面白い趣向だった。 帽子やさんとは、登場人物が作者の意図からはずれて、自由にふるまい始めることがあるのではないか?という問題について、語り合う。その後も吉田さんらしく、私が思ってもみないことに疑問を持ち、語り合う。それを読むのは、私にとってとても心地よく楽しかった。そして、物語が終わったあとに、さらにどうなったか知りたいという少しの希望は、私も欲しいと思った。 この本の中のイラストの人達は、今回登場している人達ではないそうだ。彼らの月舟町での物語が、これからどう作られていくのか楽しみだ。
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月舟町シリーズの番外編。 作者である吉田篤弘さんが月舟町へ赴き、これまでの登場人物と語り合うという不思議な設定。 「噛み砕いて言えば、ぼくが月舟町で考えたことであり、それはそのまま自分が物語=小説を書きながら考えたことになる。」 「考えを動かしていくために、今宵も誰かと誰かが町の...
月舟町シリーズの番外編。 作者である吉田篤弘さんが月舟町へ赴き、これまでの登場人物と語り合うという不思議な設定。 「噛み砕いて言えば、ぼくが月舟町で考えたことであり、それはそのまま自分が物語=小説を書きながら考えたことになる。」 「考えを動かしていくために、今宵も誰かと誰かが町の片隅で話し始める―。」 吉田さんが登場人物たちと「私」について考えたり、どうして小説を書きたいのか、書くことの面白さ…について語り合う。 月舟町を巡りながら、吉田篤弘さんという作家の奥へ奥へ。 「錯覚かもしれないけれど、前へ進みつつのぼってゆくことが、考えの進み行きに拍車をかけるような気がする。」 これまでの多くの登場人物たちが出てきて語ってくれるので楽しい。 「物語とはなんだろう」 対話を通じて深まってゆくテーマ。 これは吉田さんが登場人物たちと語り合う小説論。
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吉田篤弘氏が、自身の書いた小説の中に出てくる「月舟町」におもむいて、おなじみの登場人物たちと物語論を展開します。 冒頭の部分で〈りんご箱〉が登場するのですが、段ボールではない木製のりんご箱、これひとつでデ・ニーロの親方と果物屋の青年の話がとりとめもなく広がっていて、吉田さんの物...
吉田篤弘氏が、自身の書いた小説の中に出てくる「月舟町」におもむいて、おなじみの登場人物たちと物語論を展開します。 冒頭の部分で〈りんご箱〉が登場するのですが、段ボールではない木製のりんご箱、これひとつでデ・ニーロの親方と果物屋の青年の話がとりとめもなく広がっていて、吉田さんの物語力に驚いてしまいました。 物語という奥行きのある世界に入り込むのは、とても楽しい。 そして、小説や詩や物語というものは、食堂の皿とおんなじで、よくわからないものを皿に載せて届けようとしているのだそうです。 簡単に言えないものを、なんとか手渡そうとする、その努力に読者の心が動かされるのだそうです。 作者の吉田篤弘さんが、「月舟町」で暮らしていたとしても、何の違和感もなさそうでとても嬉しくなりました。 一人きりで自問自答しながら、登場人物たちを傍らに、これからも永遠に物語を書き続けてくれそうです。
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「月舟町」三部作の記憶がまだ鮮明なうちにと思い読んだ。 吉田篤弘さん自身が物語の登場人物と話をしに行くという設定で、「ぼくはこんなふうに小説を書いてきた」という思いを語っている。 本書は、物語論とか小説論といった範疇のものだが、誰かに依頼されて書いたのではない。 20年も小説を...
「月舟町」三部作の記憶がまだ鮮明なうちにと思い読んだ。 吉田篤弘さん自身が物語の登場人物と話をしに行くという設定で、「ぼくはこんなふうに小説を書いてきた」という思いを語っている。 本書は、物語論とか小説論といった範疇のものだが、誰かに依頼されて書いたのではない。 20年も小説を書き続けているのはなぜなのかを「自問自答」するために書いたものだ。 吉田篤弘さんは「自問自答」が好きで、それを登場人物たちと話し合いながら考えてきたという感触を持っているそうです。 「問題に対する答えはいつも二つあることにしている」 「そこで、「ああ」と主張する者と、「こう」と主張する者、二人の登場人物が必要になる」 「物語を動かすために、今宵も誰かと誰かが町の片隅で話し始める――」 吉田篤弘さんの小説からは、確かに、自問自答って感じが伝わってきます。 書いていて「そんなの当たり前じゃないか」と言われそうでも、「あたりまえ」のことをあらためて考えてみることが必要で、その「あたりまえ」が脅かされる時に物語が生まれる。 小説家は読者の「あたりまえ」を覆すところで勝負しているとも言えそうですね。 本書では、「レインコートを着た犬」のタイトルで誤解を生んでしまった理由を白状していた。 多くの人が(私も)読み始めには「レインコートを着ている犬」と解釈したようだ。 「本当はレインコートなんて着たくなかったけれど、いろいろあって、レインコートを着ることになった犬」だと読み終わると分かる。 吉田篤弘さんも最初は「レインコートを着ている犬」として書き始めたが、物語を書いているうちに意図していなかった展開になってしまい、タイトルの解釈が変わってしまったらしい。 内容についても、物語の意図が読者に伝わらない「誤読」に関する考えが書かれていた。 小説には余白や行間があり、書きすぎると読み手の解釈の自由度を奪ってしまいかねない。 そもそも自分の意図したことなど大したものではないと思っていて、意図していなかったものが現れた時に面白いと感じるそうだ。 自分が面白いと感じないものは、読者が面白いと感じるわけがないとも思っている。 どうして小説を書きたいのか? 一つは「いろいろな「私」と出会いたいから」で、もう一つは「書くことでいろんな考えが生まれてくるのが楽しいから」らしい。 小説に限らず、作り手のメッセージを代弁させられている人物が登場する物語に遭遇することがある。 それまで物語の流れにうまく収まっていたのに、急にキャラが変わって長々と主張し始めるというやつ。 作家の多くがこれを「演説」と呼んで避けているのだそうだ。 吉田篤弘さんもそれが分かっていながら、古本屋の親方に長々と「アンタが小説を書きたいってのは、こんなことじゃねえのか」と語らせている。 本書は「月舟町」の物語の外にあるので、あえてそうしているのだろう。
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吉田さんと言えば、月舟町四部作(正確には三部作+番外編かな)。 その吉田さんが、自ら創作した月舟町を訪れ、その住民達と交わす物語論です。 懐かしい人達がたくさん登場します。古本屋のデ・ニーロ親方、夜更かしの果物屋、帽子屋、舞台女優の・奈々津さん、雨降りの先生、リツ君、犬のジャンゴ...
吉田さんと言えば、月舟町四部作(正確には三部作+番外編かな)。 その吉田さんが、自ら創作した月舟町を訪れ、その住民達と交わす物語論です。 懐かしい人達がたくさん登場します。古本屋のデ・ニーロ親方、夜更かしの果物屋、帽子屋、舞台女優の・奈々津さん、雨降りの先生、リツ君、犬のジャンゴ。 答えはいつも二つある。最初にそう書かれているように、「あらかじめストーリーや結末を決めて書き出すか、結末は登場人物に委ねるか」「一人称か三人称か」「犠牲者(ダークなもの)のない物語は可能か」、そんなテーマで吉田さんと住民の一人が、あるいは住民同士がディベート(副題は「月舟町ダイアローグ」)します。もちろん吉田さんですから激昂などしません。静かなものです。答えを出すことより、それぞれの長所短所を語り合うこと自身が目的のようです。ナルホド、小説家・吉田篤弘はこんなことを考えながら小説を書いているのですか・・・。 私は何冊かの感想に「もともと装幀家の吉田篤弘さん、最近は作家としての仕事が増え、その分上手になったのでしょうが、読者としての私はどこかに置き去られたような気になる作品が多くなりました。」と書いています。ところが「あとがき」を読むと吉田さん自身は小説が主で装幀が従のようです。ただ、本文中にある様に「結末は登場人物に委ねる」方向が強いようで、私はしばしばそれを「発散した/置き去られた」と感じてしまう様です。 それにしても、実に吉田さんらしい、月舟町らしい一冊です。
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あとがきで吉田先生が月舟町シリーズの続きを書く気が皆無じゃないっぽいこと書かれててそれだけでヤッタ~~~~!!なるよね…
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
〇物語について考える 自分はどんな物語を読みたいと思ってるのかな ちくまプリマー新書400 ◎吉田篤弘さんが「月舟町」の住人たちと交わした会話。 1:皿の上には何がある? 考えるために、ぼくは月舟町へおもむいている。 〈りんご箱〉 デ・ニーロの親方と果物屋の青年。本を読むシチュエーションについて意見を交わす …私はまわりの情景ごと覚えている本もあれば、情景が消えてしまうほど没頭することもある。両方かな 〈登場人物〉 雨降りの先生と作家。 …一人称とは 〈いろいろな「私」〉 主人公の「私」は、主人公なのか作者なのか …作り手の葛藤?疑問? 〈でたらめと即興〉 帽子屋さんと作家。即興とデタラメ …楽譜はデタラメを縫い付けたものといえるのかも? 〈よく分からないもの〉 デ・ニーロの親方と作家。小説に意図とテーマは必要か …書く意図があれば読む意図もあるのかな 2:遠くに見えている灯り 月舟シネマの番犬ジャンゴは耳を傾ける、考える。 レインコートを着た犬 〈切実な犠牲者〉 直と初美とジャンゴ。映画の主人公には試練が必要か …何も考えずに観たいときはオーソドックスなのを観るなあ。 演説はダメなんだな 〈オーサー〉 リツくんは、お話を書きたい …物語のセオリーってなんだろう 〈ハッピーエンド〉 デ・ニーロの親方と作家 …『遠くの方に小さく見えている灯り』が見えるお話を
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