海を越えたジャパン・ティー の商品レビュー
日本の緑茶が19世紀後半にアメリカで大きなシェアをもっていたことが驚きだった。明治の日本の生糸と並ぶ輸出品目だったとのことである。 そのシェアをインド・スリランカの英国植民地での紅茶栽培により、ネガティブキャンペーンで失いつつあったこと。日中戦争による日本への悪感情の高まりに、...
日本の緑茶が19世紀後半にアメリカで大きなシェアをもっていたことが驚きだった。明治の日本の生糸と並ぶ輸出品目だったとのことである。 そのシェアをインド・スリランカの英国植民地での紅茶栽培により、ネガティブキャンペーンで失いつつあったこと。日中戦争による日本への悪感情の高まりに、アメリカのシェアを紅茶に奪われつつあり、それを巻き返すために、緑茶にビタミンCが豊富に含まれるなどの健康キャンペーンをし、同時に日本国内での市場が増やしたことで、それまで手軽に飲んでいた番茶から煎茶への転換が起こったこと、太平洋戦争によりアメリカでの市場がほぼ完全に失われたことなどがわかった。 特に明治時代に輸出していた緑茶に、中国人技術者の指導の下、プルシャンブルーが添加されていたこと、その工場が広東にあったことが驚きであった。日本のプルシャンブルーの輸入にはどのように関係していたか、調べてみたい。
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アメリカで緑茶を飲むようになったのは最近のことかと思っていたら、そうではなかった。 19世紀にはアメリカでは、紅茶よりも緑茶を好んで飲む人が多かったそうだ。特にシカゴを中心とした中西部で、人口増加、経済発展により、日本から輸入された緑茶の消費の中心地になった。 ...
アメリカで緑茶を飲むようになったのは最近のことかと思っていたら、そうではなかった。 19世紀にはアメリカでは、紅茶よりも緑茶を好んで飲む人が多かったそうだ。特にシカゴを中心とした中西部で、人口増加、経済発展により、日本から輸入された緑茶の消費の中心地になった。 温かい緑茶にミルクと砂糖を入れて飲んでいたそうだが、アメリカ人に話しても日本人に話しても驚きの反応を見せるそうだ。 1880年代には、緑茶はアメリカのすべての階層にとって手の届く、民主的な商品だったと著者は述べている。 長い歴史があったとは知らなかっただけに新たな発見だ。 お茶の販促活動の一環としてトレーディングカードを利用していたことだ。 トレーディングカードに描かれていたのは、自然の風景、愉快な場面、アメリカ大統領などの著名人の絵柄などだ。 中には時代を感じさせるものもあった。例えば、中国人は、当時アメリカ国内の中国人への偏見を反映していた。それに対して、日本人に関しては、好意的に描かれていたそうだ。 その後、インドとセイロンの紅茶を買わせようと日本と中国の茶は悪いというネガティブキャンペーンで、人気が下がった。 緑茶をめぐる日本とアメリカ社会の事情がわかって興味深かかった。
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