青と緑 ヴァージニア・ウルフ短篇集 の商品レビュー
ヴァージニア・ウルフの本は2冊目。 ウルフは「意識の流れ」という文学的手法を使ったことで有名。 調べてみたら、意識の流れとは、人物の思考や感情が、川の流れのように途切れなく変化していく様子を表現する方法。出来事を客観的に書くのではなく、人物の主観的な視点から、思考や感情の動きを...
ヴァージニア・ウルフの本は2冊目。 ウルフは「意識の流れ」という文学的手法を使ったことで有名。 調べてみたら、意識の流れとは、人物の思考や感情が、川の流れのように途切れなく変化していく様子を表現する方法。出来事を客観的に書くのではなく、人物の主観的な視点から、思考や感情の動きを直接的に書くことが特徴。 という説明があったけど、個人的には客観的に感じちゃったな。 思考や感情が途切れなく変わっていくところがのめり込めなかったのか、フィルターを通して世界を見ているような、夢の中にいるような、そんな感覚がずっと続く。 話は入ってきにくかったから読み切れるか心配だったけど、読み心地は嫌いじゃない。 意識の流れを使ったものから、ファンタジー、ゴースト・ストーリー的な作品など、短編20作。
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物語の起点から語られる事象は、ウルフの研ぎ澄まされた感性の紡ぎや意識の流れに揺蕩い、想像の羽織を纏う。羽毛の白を湛えた月の光、闇を紡ぐ木々、星々を薄紗で覆う空、紫の星のような花々…詩のように美しい短篇たち。愛おしい世界。 ウルフのさまざまな彩り世界が堪能出来る美しい短篇集。透明さ...
物語の起点から語られる事象は、ウルフの研ぎ澄まされた感性の紡ぎや意識の流れに揺蕩い、想像の羽織を纏う。羽毛の白を湛えた月の光、闇を紡ぐ木々、星々を薄紗で覆う空、紫の星のような花々…詩のように美しい短篇たち。愛おしい世界。 ウルフのさまざまな彩り世界が堪能出来る美しい短篇集。透明さの純度の高さが、ウルフにしか見えない世界を紡ぎだします。詩のような散文のような言葉の連なりがとても好き。 「ラピンとラピノヴァ」「青と緑」「外から見たある女子学寮」「憑かれた家」「壁の染み」などお気に入り。(2022年2月3日読了)
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ヴァージニア・ウルフそのものが小さい宇宙のよう。不思議すぎるし、狂気めいたものを感じるが美しい。そして小説ってこんなに自由でいいんだと思った。 目に見える描写でなく心が見る描写。皆と同じものを見てもウルフは違うものを見ているのかも。感覚が繊細すぎて狂ってる。 面白いとかではないし...
ヴァージニア・ウルフそのものが小さい宇宙のよう。不思議すぎるし、狂気めいたものを感じるが美しい。そして小説ってこんなに自由でいいんだと思った。 目に見える描写でなく心が見る描写。皆と同じものを見てもウルフは違うものを見ているのかも。感覚が繊細すぎて狂ってる。 面白いとかではないしストーリー性が〜とかでもないし何を表してるのかもわからないけど言葉の連なりがただただ美しい。 10ページにも満たない短い作品ばかりなので、読み終えるとまた初めから読んで、うーんわからんとなる。そしてなぜか恍惚とした気分になる。
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代表作「キュー植物園」など20篇を収録した短篇集。 以前から唱えている〈ヴァージニア・ウルフ=少女漫画説〉が、この短篇集を読んでより自分のなかで強固なものになった。小動物や植物、世間的には取るに足らないとされる小さなものたちにシンパシーを感じ、そこに個人的な象徴や啓示を見いだ...
代表作「キュー植物園」など20篇を収録した短篇集。 以前から唱えている〈ヴァージニア・ウルフ=少女漫画説〉が、この短篇集を読んでより自分のなかで強固なものになった。小動物や植物、世間的には取るに足らないとされる小さなものたちにシンパシーを感じ、そこに個人的な象徴や啓示を見いだしていくモチーフの使い方。ディテールに注ぐ偏執的な凝視。言葉になる前の不定形な感情をとらえようとしてあふれだす、言いさしのような未然の文体。 これらはみな、萩尾望都や大島弓子などの作品にある謎めいたほのめかしや、わかりきれないけど「わかる」と思わされてしまうモノローグの魅力にとても近いのではないか。漫画家が絵と言葉を組み合わせて表現するものをウルフは言葉だけで表したと思えば、目指していた場所はかなり接近しているという気がする。文章で「バナナブレッドのプディング」を書いたような人だということだ。 たとえば表題作「青と緑」は、マントルピースの上に飾ったものたちの世界を異様なクロースアップで幻想を交えながら描写する。「乳母ラグドンのカーテン」ではカーテンのなかに世界が広がり、「壁の染み」ではたったひとつの染みに対して数多の可能性が検討される。空想というより妄想と言うべきその世界は、家という静の空間で自らも静の存在となって対象を凝視している語り手の窒息感みたいなものが伝わってくると思うのだ。 最初に置かれた「ラピンとラピノヴァ」は新婚カップルの蜜月期を描いたユーモラスな作品だが、ラスト一文の切れ味といったらない。ロザリンドはアーネストと一緒に窒息感からの逃げ場所を作ったのに、それが崩壊してももはやアーネストはひとりで新聞を広げて読みだすだけ、という完全な断絶に、ロザリンドと同じく読者も絶望する。 男が新聞を読む描写は他作品にもくり返し現れる。女性がこまごまとしたインテリアを見つめて意識の〈内〉の世界へ飛んでいくとき、男性は新聞やホイッティカー年鑑を読んで〈外〉の世界へ飛んでいる。この断絶。だが、「堅固な対象」の主人公は男性でありながらも小さくてくだらないものの側につく。そのために彼は政治という世間的な価値のある世界からは離れていく。 前時代的な家観に息苦しさを感じながら動けずにいる人びとを書く一方、「外から見たある女子寮」は恋の予感に浮き足立つ少女の一夜を描いた瑞々しい作風で他と違う印象を残す。この作品はシチュエーションも含めてかなりストレートに少女漫画っぽい。女性同士の同性愛という、従来的な"家"からは逸脱する関係をほのめかしているということも重要だろう。 あるいは、他の誰かになりかわることが一種の解放をもたらすこともある。「サーチライト」では、偶然漏れ聞こえてきた声すら即興的に取り込んでしまうほど巧みな語り部が、サーチライトと望遠鏡の類似に幻惑されて自分が語る話のなかに入りかけてしまう。語っているのか語られているのか曖昧になり、演者自身が自分の台詞を信じ始めてしまうような演劇空間の神秘が、サーチライトに照らされた夜の庭に幻出したのだ。少し乱歩の「押し絵と旅する男」を連想させるところがある。 訳者解説によるとウルフの作風は「不安を惹起させる Unsetting」と評されているという。たしかに、一匹の蝸牛をねっとり見つめたかと思うと来園者の話に聞き耳をたて、最後には天高い視点から植物園を睥睨する「キュー植物園」の語り手は語りの対象との遠近感がめちゃくちゃで得体がしれないし、死者と生者が鏡合わせのように語られる「憑かれた家」も、不思議なあたたかさがありつつ落ち着かない気分にさせられる。土地の精霊[ゲニウス・ロキ]的な存在が人や生き物に自由に出入りして思考をのぞいているようだと言えばいいのか。読心ができたら世界はこんなふうなのかもしれない。 原題がそのままSympathyな「同情」という一篇からもわかるように、ウルフは知的でありながらも自他境界をたやすく踏み越えてしまうような女性もよく描く。共感力の高さによって浮遊霊のように人や動物やものたちに乗り移り、その意識に同調する。それが〈意識の流れ〉という方法でウルフが捉えようとしたものなのではないだろうか。そしてそういう魂を持った人が社会的にあるいはジェンダー的に自身の肉体に縛られている苦しみと虚しさ、それが私には昭和の少女漫画家が身を削って描きだした世界の在り様と完全に重なって見えるのである。
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半分以上は「どういうこと?」という感想だが、私も普段思考があっちこっち行くのでそれを可視化できる意識の流れが書かれている話は面白かった。
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今の自分には合わず、半分ほどで挫折。 でも「堅固な対象」がものすごく好きで、これだけでも手元に置きたいと思った。
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もちろん後からの私たちは、彼女の最期を知っていて読むわけで、つい儚さとか弱さとか繊細さとか脆さとか…をイメージしながら読んでしまうのだけれど、意外にもしっかりとした強さをも感じる。
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