十七八より の商品レビュー
ちょっと難しかった。何を言っているか分からないところもあった。これは単に自分の能力の問題です。「旅する練習」のほうがまだ読みやすかったので、その印象で読みはじめたら面食らった。 焼肉屋の家族の会話は面白かった。 色んな文学作品に触れてまた再読したら違ったものが見えてきそうな作品で...
ちょっと難しかった。何を言っているか分からないところもあった。これは単に自分の能力の問題です。「旅する練習」のほうがまだ読みやすかったので、その印象で読みはじめたら面食らった。 焼肉屋の家族の会話は面白かった。 色んな文学作品に触れてまた再読したら違ったものが見えてきそうな作品でした。
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1行で終わるところを3、4行かけて描写する。そして匂わせるばかりではっきり描かない所はこの手の作品を読みなれない人には何を読まされてるのか?となるかも。好きな人にはたまらない。
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そういえば、私も少女だった!いまもなお、ふとした時にあらわれて、平凡なおばさんになった私を苦しめます(笑)読んでいて気持ち良すぎてびっくりした。とてもすき。ありがとう。
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十七八って、青春謳歌って言うけれど、実際はもっとおどろおどろしくて、混沌としていたことを思い出させる。 彼女?少女?姉?みたいな文学少女は、こういう方向なんだろうけれど、方向や志向が違ってもきっとこういうことなんだという雰囲気は感じられた。 正直、ずっと頭が晴れる感じはなかったが、やめられない文章だった。
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一言でいえばすごく難しい。 言葉遊びにずっと付き合わされているようですごく難解。 しかし、意味など理解するのではなく真っ正面から思春期の女子の揺れに付き合うべきなのかとも思った。(著者は男性だが…) 揺れ、危うさ、幼さゆえの冒険… すべてが十七八というタイトルに込められているよ...
一言でいえばすごく難しい。 言葉遊びにずっと付き合わされているようですごく難解。 しかし、意味など理解するのではなく真っ正面から思春期の女子の揺れに付き合うべきなのかとも思った。(著者は男性だが…) 揺れ、危うさ、幼さゆえの冒険… すべてが十七八というタイトルに込められているようにも思う。 しかしやはり難解である。
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なんでしょうねぇ、この表紙の写真 岡上淑子 「ダンス」1951年 1950年からわずか6年間のみ美術界に姿を現し、幻の作家とも言われている彼女のコラージュ作品 最初に叔母の亡くなる時の話がある。 主人公は女子高生。過激な事をわざと口走ってしまったりし、学校で嫌な事が起こると帰...
なんでしょうねぇ、この表紙の写真 岡上淑子 「ダンス」1951年 1950年からわずか6年間のみ美術界に姿を現し、幻の作家とも言われている彼女のコラージュ作品 最初に叔母の亡くなる時の話がある。 主人公は女子高生。過激な事をわざと口走ってしまったりし、学校で嫌な事が起こると帰りに寄る、叔母のいる眼科の受付 叔母は相談に乗るようで、解決してるのかどうか私にはわからない。 叔母との関係は「口に放り込んで味わいかける瞬間のあめ玉のように気を逸らす役割を担っていた」らしい 文学に詳しく、相談した時の返事も文学から。 古文教師の朗読会での教師と生徒の関係、そしてそこにいる男子1名。この男子が、自分は邪魔だから…といったあとに言うセリフが好きです。 その他家族のシーン、病院のシーンなど色々細かい描写が良かったです。 どちらにしてもどの話にも結論はなく、それが文学っちゃあ文学なんですが、もやもやは残るかも この主人公家族は、この後の作品、『最高の任務』にまた出てきます。 このおばさんとちょっと喋ってみたい。
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たまたま書店で文庫化されているのを知った。著者の作品は「最高の任務」を読んで以来、ずっと好感を持っていくつかを読んできたが、この作品は未読だった。 著者の「最高の任務」や「旅する練習」を読んで、端的に言ってしまうと、私はいずれも、「既に故人である親族への温かみのある眼差し」のようなものを感じ取っていた。文体こそあえて晦渋な、わざとらしく理屈っぽいようなものだが、その文体に隠されているのは、どちらかというと読者にとっても身近な、理解のしやすい、家族に対する割と直線的な感情なのではないかとも思っていた。それで、本作にもそういった要素を期待してしまっていたのが正直なところであった。 つまり、本作を読むことで、私はまた、今あげた2作で感じたような「身内への温かみをもった眼差し」を再体験したかったのだと思う(もちろん、そういったある効果を狙って本を選ぶことにはリスクがあるけれど)。しかし本作では、読了後にそうした印象はなかった。架空の語り手の彼女自身にしか意味が取れないような文は、もともと著者が多用するところだが、この作品では全体にわたって、そんな調子だった。親族の特定の誰かにあてた視線ではなくて、本作では、かなり変則的ではなるけれどやはり「少女」にとっての一種の青春の、成長?の過程の物語なのではないかとも思う。しかしそこでは、叔母その人の人物像は、ウィットの効きすぎている会話の中に埋もれて良く見えなかった。もちろん、そういう意図なのかもしれないが。 世阿弥をめぐる講義の内容は例外的に分かりやすかったし、それに、焼き肉屋の家族の会話の場面も理解しやすく、それに、生き生きと描いている感じもする。あの焼き肉屋の会話の場面は、この作品では表層的なシーンなのかもしれないけれど、私は素直に著者の書くああいう場面も心待ちにしてしまっていたのかも、と思う。 「性」もここでは大きなテーマだったと思う。女性が主人公だから、理解しきれていないところもあるかもしれないけれど…。個人的なことであって、だからただの感想になってしまうようだけれど、のちに東大に進学したという男子生徒との最後の会話の場面は、興味深かった。あの場面でも、誘いに乗らない、あるいは乗れないで、どちらかというと男子生徒の方が冷静に思えるようだけれど、…。高校生の時点で、性的なことに対して、どんな体験をして、どんな姿勢だったかによって、どういう違いがあったのだろうか。 自分が読んできた著者の作品は、かなり「判りやすく」?書かれている方なのだと思った。再読したり、読んだ人と話し合ってみたい作品だと思う。
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「ミック・エイバリーのアンダーパンツ」で果てしのない饒舌さに挫折し、「皆のあらしばり」を会話の応酬の末のストーリを堪能し、なんだか知らないうちに気になる作家No.1になってしまった乗代雄介。次なるターゲットは「旅する練習」と決めていましたが、文庫でデビュー作を見つけ、途中下車読書...
「ミック・エイバリーのアンダーパンツ」で果てしのない饒舌さに挫折し、「皆のあらしばり」を会話の応酬の末のストーリを堪能し、なんだか知らないうちに気になる作家No.1になってしまった乗代雄介。次なるターゲットは「旅する練習」と決めていましたが、文庫でデビュー作を見つけ、途中下車読書しました。第58回群像新人文学賞受賞の作品ということです。デビュー作には、その作家の特質がすべて込められている、と誰かが言っていたような、言っていなかったような…しかし、この「十七八より」には乗代雄介の作家としての文学観が決意表明として表されているような気がしました。(すいません、読み始めたばっかりなのに、すべてを知っているような言い方、まずいですね…)感じたのは「ミック・エイボリーのアンダーパンツ」と「皆のあらしぼり」の真ん中に位置する小説であるということ。世の中での自分の置き方を持て余している若者と、独特な自分を社会の中で飼いならして来た年長者とのスペシャルな関係。答えの用意されていない溢れ変える感情。そして、その感情の入れ物になったり、物差しになったりする文学作品。これ、今のところの乗代フォーマット。たぶん、作者はこうやって文学や文章と付合って来たのかもしれません。「あの少女」は作者です、きっと。
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これは意味わからなかった。全くもって理解不能。何がいいのこれ? というところで評価出来ないが、最後まで読んだというところは凄くないですか? 普通は途中でやめるし。笑
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