赤い十字 の商品レビュー
タチャーナの語りを聞いてると、百年の孤独のウルスラを彷彿とするのはなぜか? イライラしながらも先が気になる物語である。
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ベラルーシのミンスクで語り手であるサーシャと、彼に自分の生い立ちを語る老婆タチヤーナ。 タチヤーナの語る話は、第二次大戦前のソ連に生まれ、戦争に夫をとられ、夫がナチス・ドイツの捕虜となり、つまり、「虜囚の辱め」に甘んじた裏切り者となったため、反逆者の妻としてとらえられ、娘と引き離...
ベラルーシのミンスクで語り手であるサーシャと、彼に自分の生い立ちを語る老婆タチヤーナ。 タチヤーナの語る話は、第二次大戦前のソ連に生まれ、戦争に夫をとられ、夫がナチス・ドイツの捕虜となり、つまり、「虜囚の辱め」に甘んじた裏切り者となったため、反逆者の妻としてとらえられ、娘と引き離され、、、という重なる悲運に満ちた人生だった。 そのような悲惨なソ連の状況を生んだ張本人はヨシフ・スターリンなのだが、そのスターリンが死に、その悪行が明らかになっても、やがて時間が経つと、スターリンを持ち上げる人々が生まれてくるのだという予言が語られるが、タチヤーナの人生の最後にあっても、その亡霊の様に蘇るスターリンの影響が明らかになる。 ソ連という国の底の知れない恐ろしさのようなものを感じずにはいられない。 そして、戦前戦後の日本にも似たようなものを感じてしまう
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戦争の被害者を扱った、後味の悪い作品である。しかし題材が戦争ということなだけあって、 実際は、人間としての生き様、ほこり、ある出来事に対して立場の違う個人が感じる差。 あまりにひどい出来事が身の上に起こった時に人間が取る行動、そういう人間の心の揺らぎ、を考えて見て欲しいといった、...
戦争の被害者を扱った、後味の悪い作品である。しかし題材が戦争ということなだけあって、 実際は、人間としての生き様、ほこり、ある出来事に対して立場の違う個人が感じる差。 あまりにひどい出来事が身の上に起こった時に人間が取る行動、そういう人間の心の揺らぎ、を考えて見て欲しいといった、作品に感じた。 アルツハイマーだから忘れたくない大事なこと。同時に思い出したくもない辛いこと。 作品としては重たくなく暗くもなく、読みやすい。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
ロシアからベラルーシのミンスクに引っ越してきたサーシャは同じフロアの91歳の老人・タチアーナの懐古話を聞く羽目になる。最初は嫌々だったものの段々と自ら彼女の人生を聞きに行くようになる。 恵まれていた子供時代、初恋、外務人民委員部での書類処理の仕事、恋愛結婚、そして開戦。 赤十字から送られる捕虜の扱いに関する手紙を処理する仕事の最中にタチアーナは捕虜リストの中に夫の名前を見つけ、彼女は大胆な行動を取る。1945年7月、夫の帰りを待っていた彼女は逮捕され娘を取り上げられた上、収容所へ送られてしまう。 ソ連の人間の尊厳を微塵も大切と思わないお粗末極まりない手段に辟易してしまう。現在の戦争にも通じるものだと感じた。 ロシアに近いベラルーシの作家の作品。とても読みやすい。新人作家さんがこうして台頭されてくるのは嬉しいですね。 あと、やはりロシアのことを知りたければロシア系の作家さんの作品を読むというのは近道であり必然と再認識しました。各国における「○○は△△のことを暗喩する」などは他国の人間は知識として知っていても情を込めて書くことは難しいんじゃないかと。その土地で暮らして生きている人間にしか書けないものがあるんじゃないかと思いました。
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奈倉さんの訳という事で触れた当作。思った以上の素晴らしい内容、展開、心が打たれた。 読みながらも胸のビブラードがふるえ、サーシャの心中、タチヤーナの本懐がすれ違う様で、クロスして行くプロセスに、笑えない現実の重さを感じさせられた。 彼女が経験してきた人生航路の壮絶さは語りの軽や...
奈倉さんの訳という事で触れた当作。思った以上の素晴らしい内容、展開、心が打たれた。 読みながらも胸のビブラードがふるえ、サーシャの心中、タチヤーナの本懐がすれ違う様で、クロスして行くプロセスに、笑えない現実の重さを感じさせられた。 彼女が経験してきた人生航路の壮絶さは語りの軽やかさと反比例して居るだけに、圧倒されんばかりの熱が地中で迸っている・・静かなるマグマの様に。 ただでさえ「鉄のカーテン」が惹かれたソ連、外務省、翻訳という業務・・・そして捕虜名簿。 フィリペンコという冷たく熱い才能の作家を知れたことは幸い~「理不尽ゲーム」を是非読みたいと思った。 この数年、ロシアは遠くて未知の国という感覚だった。それを導いてくれたのはスヴェトラーナ、その彼女が絶賛する彼の存在は現代、ますます世界が複雑化して行く時間で重要な存在になって行くと思われる(ロシアの立ち位置が、否応でも世界全体にとって、スルーすることが出来ない存在であるだけに) ドフトエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフ、ソルジェニツィン辺りしか触れず、全く無知だったロシアの現代の会話に触れ始めて思う事は~何という語彙の豊饒さ。 良くも悪くもののしり、皮肉、罵倒する、無視する類の言葉を投げつけている事か。 公の聴取でも「このクソアマ」から始まり、あほバカブスのような我が国の言葉のを遥かに凌駕するセンテンス。 持ってくる比喩の例えの多さ~だるま船に乗せられて生きたまま水死させられた白軍兵、ホロモドールの死者、「この地域では人間以外あらゆるものを食べて来た」記録、デカブリストの妻ごっこetc限りないその言葉 感想が次から次へと溢れて頁を閉じ、余韻に浸る。 スターリンの銅像・・当初はサイズ違いで壊され、次のは妙にでっかい頭がつけられた。作中、継父がタチアーナに投げつけた言葉・・スターリンが妙な民主のやつらに悪党呼ばわりされたとある。死後100年が経つというのに甦るスターリンの姿が不気味。 一番脳裏に染み付いた図は赤十字。 タチヤーナが自分の部屋のドアを見分けるために書いた赤い十字の印⇔錆びた鉄パイプで作った墓碑の十字⇒筆者は、タチヤーナはこれにキリスト教的な意味合いは持たせていない・・が戦地に置いてともすれば被害も出たという悲しい標的の歴史があったらしい。⇒タチヤーナが修正後悔する事になった「捕虜名簿の書き換え」と捕虜というものに対する国の考えが作品の最大の関心テーマとして残った。 生きて虜囚の辱めを受けず―捕虜になったモノは国家の裏切り者である・・まだまだ、この問題は日本は無論、ウクライナ問題とロシアに取り組んでいく時点で答えを見つけて行かねばならぬ。 21世紀は20世紀の「戦争の世紀」のあとに続く平和の時間とする・・なるはずだった。がロシア侵攻を基に書くと第三次大戦のタイムスイッチが押される恐怖の時間に有る今だ。終戦記念日で必ず言われる「語り継ぐ人々が消えて行く」中で、私達は記憶を引き継いでいく義務がある・・と。翻ってタチアーナはアルツハイマーの自分を「神様のやさしさの影だ」と居直った。「あたしゃ、何も忘れはやしないよ」と。
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ベラルーシで何が起こっているのか、少しでも知る手がかりがあるのでは、と思い読んだ。 著者のサーシャ・フィリペンコは国外で暮らしているそうだ。かつて見たドキュメンタリー番組でも、同じように心あるベラルーシの人々は、リトアニアに脱出していた。ルカシェンコ大統領の不正選挙の後、民主化...
ベラルーシで何が起こっているのか、少しでも知る手がかりがあるのでは、と思い読んだ。 著者のサーシャ・フィリペンコは国外で暮らしているそうだ。かつて見たドキュメンタリー番組でも、同じように心あるベラルーシの人々は、リトアニアに脱出していた。ルカシェンコ大統領の不正選挙の後、民主化運動へ息を潜め、ルカシェンコ政権のもと、自由な発言は国内ではできない状態だ。もちろん、ロシア連邦の中でも同様だ。 どんな発言が許されないのか。 社会主義の大義に反すること。そして、独裁者の意に背くこと。 この小説でも、アレクシェーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」でも、逢坂冬馬「同志少女よ敵を撃て」でも同様に描かれていたのは、 「戦中に階級章を外す、後方に退く、敵に降伏するといった行為をおこなった軍人や政治指導員は悪質な脱走兵とみなし、その家族も、忠誠を破り祖国を裏切った者の家族として逮捕する」こと。 ソ連兵には前進しか許されなかった。 ソ連の強制収容所はスターリンがやろうとしていた「新しい人間を作る実験」場であった。しかし、その実験の具体的内容は粛清である。「新しい実験」など、全てが「戯言」であると、この小説は語る。 そして、今はまたこの事実を小説にすることに大きな危険を伴う時代になってしまった。 神の存在の必要性を語るタチヤーナの語りは圧巻。 「収容所で起きていることはなにもかも愚かで残酷で救いようがなくて、心の支えになりうるのは超越的な存在だけだった」 「看守が受刑者の苦しみを嬉しそうに眺めているのを見ながら、あたしはどこか高い高い空の上でこの悪を奨励している神様がいるのを感じていた」 「収容所の所長も、かの惨めったらしい強欲な悪党スターリンさえも、どうでもよかった。神様が必要だった、全ての責任をとれるのは神様だけだから」 神の存在をこのように捉える発想は初めてだ。 文学作品としても優れた小説だと思う。
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認知症のタチヤーナばあさんが、向かいの部屋に引っ越してきた青年サーシャに自身のこれまでのことを語る。戦時下のソ連で夫は捕虜になって帰らず、当局の粛清に怯えて暮らすうち、突然逮捕されて幼い娘と引き離され収容所に送られる。 当時のソ連が自国民を粛清し、外から差し伸べられる手を無視し続...
認知症のタチヤーナばあさんが、向かいの部屋に引っ越してきた青年サーシャに自身のこれまでのことを語る。戦時下のソ連で夫は捕虜になって帰らず、当局の粛清に怯えて暮らすうち、突然逮捕されて幼い娘と引き離され収容所に送られる。 当時のソ連が自国民を粛清し、外から差し伸べられる手を無視し続けたことなどがタチヤーナの語りと電文で伝えられる。淡々としているようだが彼女の国家に対する疑問や怒り、深い悲しみが静かに胸に迫ってきた。 タチヤーナの認知症は、こうした体験が語られることなく風化していくことの象徴なのか?そしてまた似たようなことが繰り返される。
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サーシャは幼い娘と暮らすため、アパートへ越してきた。隣の部屋に住むおばあさんタチヤーナは、アルツハイマーで最近の事は忘れてしまうことが多いという。ソ連時代に外務省で働いていたタチヤーナは、サーシャに第二次世界大戦中に自分がしたことを話して聞かせる。 ソ連の粛清を恐れて文章の改ざん...
サーシャは幼い娘と暮らすため、アパートへ越してきた。隣の部屋に住むおばあさんタチヤーナは、アルツハイマーで最近の事は忘れてしまうことが多いという。ソ連時代に外務省で働いていたタチヤーナは、サーシャに第二次世界大戦中に自分がしたことを話して聞かせる。 ソ連の粛清を恐れて文章の改ざんをしたタチヤーナ。長い投獄生活を送り、行方不明の夫と娘を探し続けたタチヤーナ。そして、最後にわかった真実。厳しくも悲しい人生だ。
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「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」かつて日本が戦時中に兵士たちの訓戒とした言葉だ。それはソ連も同じだった。 2000年、ベラルーシの首都ミンスクのとあるアパートに青年サーシャが引っ越す事から物語が始まる。同じ階に住む老婦人タチヤーナは91歳でアルツハイマーを患...
「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」かつて日本が戦時中に兵士たちの訓戒とした言葉だ。それはソ連も同じだった。 2000年、ベラルーシの首都ミンスクのとあるアパートに青年サーシャが引っ越す事から物語が始まる。同じ階に住む老婦人タチヤーナは91歳でアルツハイマーを患っており強引なコミニケーションで自らの半生を語りだす。彼女が第二次世界大戦で夫が戦地で捕虜になり彼女の生活は一変され放浪されていった。経験した者が話す血の通った話に、青年は引き込まれていってしまう。
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著者と同じ名前の主人公、サーシャは、30歳の青年。ロシアからベラルーシの首都、ミンスクに越してきたばかりだ。 家族に大きな不幸があり、母親が再婚相手と暮らしているこの街に住むことになったのだ。 だが越してきた早々、階の入口ドアに奇妙な赤い十字が描かれているのを見つける。苛立ちなが...
著者と同じ名前の主人公、サーシャは、30歳の青年。ロシアからベラルーシの首都、ミンスクに越してきたばかりだ。 家族に大きな不幸があり、母親が再婚相手と暮らしているこの街に住むことになったのだ。 だが越してきた早々、階の入口ドアに奇妙な赤い十字が描かれているのを見つける。苛立ちながらそれを消すサーシャに、同じ階に住む老婆が話しかけてくる。十字は老婆が描いたもので、アルツハイマーを患っているため、自分の家の目印にするつもりだったのだという。 自分の不幸で手一杯で辟易気味のサーシャに、老婆は強引に身の上話をし始める。 それはソ連の暗部にまつわる、強烈に皮肉な人生の物語だった。 老婆、タチヤーナは、ロンドン生まれ。父に連れられ、1919年にソ連に移住した。数ヶ国語に通じていた彼女は、大学卒業後、外務省に勤めることになる。 その後、結婚。娘にも恵まれた。 産後、職場に復帰した彼女の身の回りは、徐々に不穏になっていく。戦争が忍び寄ってきていたのだ。 やがて開戦。夫は戦地に送られた。 彼女は外務省で書類の翻訳にあたっていた。赤十字からはしばしば、捕虜の名簿を添えて、敵国捕虜との交換を促す手紙が送られてきた。 しかし、ソ連上層部はそれを無視し続けていた。捕虜になるような兵士は腰抜けで、国家の敵だ。交換になど応じる必要はない。 国家は捕虜に冷たいだけではなかった。捕虜になったことが知られれば、国に残っている家族も人民の敵と見なされ、逮捕されることすらあるのだ。 そんな日々の中、タチヤーナは、捕虜名簿の中に、夫の名を見つける。 よかった、生きていた。安堵するとともに、恐怖が押し寄せる。これが上層部に見つかったら。夫は人民の敵とみなされてしまう。機密文書を扱う立場にいる自分が、人民の敵の妻だと知れたらどうなるのか。娘もろとも逮捕されてしまう。 恐怖に動転した彼女は、必死に考え、1つの策を思いつく。 それが、彼女の残りの人生の枷になるとも思わずに。 それほど長くはない作品だが、背後にはおそらく膨大な資料がある。 タチヤーナは架空の人物だが、同じような経験をした人物はそう少なくはないはずだ。 強圧的な政権の下、一度狂った人生は元に戻ることはない。 1つの誤った選択は、誤った道へとつながり、その先のどの道を選んでも、深い森の奥へと迷うばかりだ。 だが、いったい、彼女はどんな選択をすればよかったのだろうか。 薄れゆく記憶を抱えながら、老婆タチヤーナは運命に抗い、神に挑む。 彼女が扉に記した赤い十字は、不幸のきっかけになった赤十字を思わせるようでもあり、死者を悼む十字架のようでもあり、「敵性国家」の国旗を思い出させるようでもある。 神がもしも忘れろと言っても、けっして忘れない。 それは、小さく弱いものの、ささやかだが断固とした決意表明だったのかもしれない。 自身も深い悲しみを背負うサーシャは、次第に老婆に寄り添っていく。 タチヤーナの墓碑に刻まれる言葉は、すべての抑圧された人々の言葉のようでもある。
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