きみの体は何者か の商品レビュー
【目次】 第1章 体の声を聞く 第2章 体、この不気味なもの しゃべれるほうが変。 勝手にやってくれてる ふたつの「ん」 「ん」と「ぶ」のあいだ 体の身になって考える 体のアイデンティティ 第3章 体がエラーを起こす 連発 体が試行錯誤してる 吃音は「あいだ」で起こる ...
【目次】 第1章 体の声を聞く 第2章 体、この不気味なもの しゃべれるほうが変。 勝手にやってくれてる ふたつの「ん」 「ん」と「ぶ」のあいだ 体の身になって考える 体のアイデンティティ 第3章 体がエラーを起こす 連発 体が試行錯誤してる 吃音は「あいだ」で起こる 「伝える」と「伝わる」 楽にどもれている 第4章 恥ずかしいのはいやだ 難発 三島由紀夫『金閣寺』 眠る前の孤独 敵でもあり味方でもある 自分をつくる 第5章 自分らしい体 言い換え 固有名詞の壁 本当じゃない自分が出てくる ずれるから発見する どもることで自分をとりもどす 体の多様性 第6章 メタファーを味方につけよう 体について探求するために 現実の多様な見方 きみだけの「言葉」を獲得する 相手にきみになってもらう 体を信頼する
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素敵な本でした。 群像10月号で「悪は存在しない」の考察をされていたのを読み、どんな方なのかなと、著書を検索し読みました。 気持ちが軽くなりました。 最近思っていたことが出てこない、頭と口が連動していない経験をして、老化かなと思っていましたが、言い換えも頻繁に行っていて、何だかお...
素敵な本でした。 群像10月号で「悪は存在しない」の考察をされていたのを読み、どんな方なのかなと、著書を検索し読みました。 気持ちが軽くなりました。 最近思っていたことが出てこない、頭と口が連動していない経験をして、老化かなと思っていましたが、言い換えも頻繁に行っていて、何だかおんなじ!と。 この本で引用されていた三島由紀夫の金閣寺は再読したいと思いました。こんな表現をされていたとは。発見でした。 また著者の本を読んでみたいと思います。
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30分〜1時間くらいあれば読み切れるくらい、中学生でも読みやすいライトな新書。 最後の章がとてもよかった。メタファーか。考えたこともなかった。自分は左利きなので、ちょっと時間がある時に考えてみようと思う。
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思い通りにならない体と向き合う。吃音を例に話しているが、吃音の症状も向き合い方も一人ひとり違って、「吃音ってこういうもの」って決めつけない姿勢が全てに通じて大事だなと思った。思い通りにならない自分の体に、自分のメタファーを見つけること。鍵の錆びついた扉だったり、果汁たっぷりのゼリーだったり。メタファーは世界の見方を定義する。そして言葉にして自分で客観視できるようになるし、他者とも共有しやすくなる。最後のメタファーの章がとてもよかった。
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伊藤さん自身の吃音体質を例に、たしかに当たり前に行っているが体の動きついて説明できないことの多さ、支配できないことを前提に楽しむ姿勢をしめすような導入の書。
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思いどおりにならない体について、筆者の吃音を例に挙げ、それも個性と受け入れられるような、自分の体のアイデンティティを探求する方法を提案している児童向けの本。 本自体は薄くて読みやすく、上手くまとまっていると感じた。 思いどおりにならない体について恥ずかしく思うのは、なりたい自分...
思いどおりにならない体について、筆者の吃音を例に挙げ、それも個性と受け入れられるような、自分の体のアイデンティティを探求する方法を提案している児童向けの本。 本自体は薄くて読みやすく、上手くまとまっていると感じた。 思いどおりにならない体について恥ずかしく思うのは、なりたい自分をうまく演じられないとき。 ダメなからだや自分を受け入れるためには、体の声を聞くことだという。 吃りの連発は言葉によって次の言葉への移行がスムーズにできないとき、難発はフリーズしたように言葉が出てこないときをいい、パソコンに喩えての説明が、とても腑に落ちた。 メタファーを使うことによって、他人に自分の体の感覚を感じてもらうことで、”自分になってもらう”ということが印象に残ったが、表現力も問われるように感じた。 タイトルから、体の機能や解剖学的な説明をした本かと思ったが、いい意味で裏切られた。
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会話体でするすると読め、吃音について知ることができる。対象読者を過信しすぎない難易度と分量に感心する。ひろく中学生に読んでもらおうと思ったらこの程度のゆるさが必要。難しすぎ盛り込みすぎの子ども向け本があふれている中、しっかりと子どもを見ている人が書いている(もしくは編集している)...
会話体でするすると読め、吃音について知ることができる。対象読者を過信しすぎない難易度と分量に感心する。ひろく中学生に読んでもらおうと思ったらこの程度のゆるさが必要。難しすぎ盛り込みすぎの子ども向け本があふれている中、しっかりと子どもを見ている人が書いている(もしくは編集している)のだろうなと感じる。
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小中学生に本を紹介するにあたって、新しく出ている「ちくまQブックス」から選んで読んでみた。やさしく書かれてはいるけれど、中身は深いと思う。著者は吃音があるから大学の教員になるなんて思ってもいなかったようだ。僕も体について悩みがある。中3のときだったと思う。ものすごくトイレを我慢し...
小中学生に本を紹介するにあたって、新しく出ている「ちくまQブックス」から選んで読んでみた。やさしく書かれてはいるけれど、中身は深いと思う。著者は吃音があるから大学の教員になるなんて思ってもいなかったようだ。僕も体について悩みがある。中3のときだったと思う。ものすごくトイレを我慢したことがあった。それからしばらくしょっちゅうトイレに行きたくなって困った。高校に入ってからは休み時間ごとにトイレに行っていた。で、体育とかで2時間続けての授業があると心配だったけれど、それは全く問題がない。他に気が行っていればトイレのことは忘れている。だから、これは精神的なものだったのだ。大学の90分授業とかはまあまあ苦痛だった。でも、周りに知り合いがいなければ、知らん顔してちょっと抜け出せばいい。だから、友だち付き合いが悪くなってきた。コンサートや芝居に行くときも一人が多かった。長時間のバス旅行とかはなるべく避けた。大人になってからも長い会議には困った。とは言え、歳をとると、だんだんと図太くはなってくるので、途中で抜け出すことが気にならなくなり出す。するとトイレに行きたくなることも減って来る。もっとも、最近では筋肉や自律神経など体の衰えもあってか、いつでもトイレに行ける状況でもすぐトイレに行くことが多い。まあ、ということで自分の体のこととは言え、なかなか思うようにはいかないものだ。本書の中でも頭では分かっていても体がうまく動かないというような言い方をされている。頭というか脳になるのだろうけれど、でもその脳も自分の体の一部でしかない。だから心身をパカッと2つに分けてしまうのもどうかと思ってしまう。うーん、うまいメタファーは見つからないのだけれど、自分の体は自分のものであって自分のものではないような気がする。人前でしゃべるときなんかも、知らない人が多いときにはやはり緊張するし、頭が真っ白になってしまうこともある。でも、話したいことがちゃんとあって、たどたどしくても、手振り身振りを加えて話をしているとなんかうまく伝わるような気がする。流暢にしゃべっている人とか見ていると「プレゼン上手だなあ」とか思うのだけれど、なんか空々しくて伝わってこないなあなんて思うこともある。まあ、負け惜しみかもしれないが。本書の著者の伊藤亜紗さんは最近の僕の「推し」(あまりこんな言葉は使いたくないけれど、でもぴったりなのだ)である。「利他学会議」もすべてYouTubeで見ている。とにかく面白いのだ。で、その伊藤さんの前髪なのだけれど、今年の分を見ると、一部色付いている。これはおしゃれで部分染めをされているのだろうか、それとも単なる白髪なのだろうか、それがちょっと気になっている。
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伊藤先生の他作も興味深いものが多く、この本もいいことはいいのですが、何故か共感はできなかった。多分、吃音はからだが思い通りにならないというよりはどちらかといえば脳の特性と自分が考えている為だと思う。
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うーん、吃音の説明はすごくわかりやすいんですけどちょっとタイトルと合ってない感じがしました。 自分も吃音だから例えやそれに合ったイラストはうんうん、分かると思っていたのですがそうじゃない人が読んだらどうなんだろう…。 著者はどもること(思い通りにならない一つの例)を通して自分の身体が思い通りにならない不思議さを書きたかったんだろうけど、あまりに吃音のことばかり書きすぎじゃなかろうか。 中高生向けですが中1には難しいような気がします。 2023/4/7 「再読」 2024/07/12 最寄りの市立図書館の電子書籍で再読しました。 吃音に対する見方が変わったからか感想も大きく変わりました。 著者の吃音を通して思い通りにならない身体への見方を変えることを提案した1冊。 吃音を理解するための本ではありません。 思い通りにならない身体を通して、その感覚を面白がってみるための本。 私は自分の身体をわざわざ好きになる必要はないのかなと思っています。 でも自分の身体を受け入れられない中高生にこの本を読んでほしいと思う。 きっと他人の身体のことをあれこれ言う人もいると思う。 でもそんなことをする前にまず自分の身体と向き合ってみない?って思うな。無理に自分の個性!自分の身体好き!ってなる必要はない。でも身体は伊藤さんの言葉を借りれば「パスポート」になる。そこには納得しました。
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