梁の武帝 の商品レビュー
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本書では梁武帝の政治と宗教の問題を詳しく見ていくことになります。武帝は当時としては考えられないほどの善政を行っていました。武帝の仏教的な平和文化路線は明らかに人々の生活を豊かにしました。しかしその善政そのものに国の崩壊の原因があったというのは何たる悲しい皮肉ではないでしょうか。 本書ではそんな武帝の善政と国家の崩壊を詳しく見ていくことになります。上の引用にありましたように、国が滅亡していく様はものすごく悲しくなります。武帝自身も脇の甘さと言いますか、失策がもちろんないわけではないのですがそれでもやはり「歴史のもし」を想像したくなります。 また、今作の主人公梁の武帝は浄土真宗にとっても実は非常に深いつながりのある存在です。そうした意味でも本書はとてもおすすめな作品です。
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皇帝菩薩として名高い梁の武帝の評伝。1956年刊行の復刊であるが2021年の解説で、現在の研究者によって補足されている。 武帝個人を描写するため、広く六朝時代全体の政治や宗教の特徴を解説している。 著者は、武帝は仏教による国作りという壮大な実験をし、失敗して国が滅んだと最後に結ん...
皇帝菩薩として名高い梁の武帝の評伝。1956年刊行の復刊であるが2021年の解説で、現在の研究者によって補足されている。 武帝個人を描写するため、広く六朝時代全体の政治や宗教の特徴を解説している。 著者は、武帝は仏教による国作りという壮大な実験をし、失敗して国が滅んだと最後に結んでいるが、この総括は議論があると思われる。
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中国精神史が専攻の著者らしく、仏教道教儒教らの思想的哲学的な解説が重点的に行われており、個人的な興味からは離れていた。 梁の武帝を通じて中国南北朝期の思想の移り変わりを解説している。南朝は貴族政権だったが、皇族は成り上がりの軍人が就くという状態だった。皇帝は貴族の顔色を窺いつつも、自ら辣腕を振るったり寒門出身の実務肌側近を重用したりしていた。貴族は逆に政治から離れることを好み、漢代の儒教一尊から、玄儒文史を兼ねる教養主義へと傾いていった。それも君子は器ならずの言葉通り、専修や窮理ではなく広く浅く実用を考えずの教養主義が主流だった。 梁の武帝が後年帰依した仏教も、儒教のように経世済民を意識したものではなく、人の内心を意識した宗教のため、武帝の治世は寛容で文化の華は開いたが社会的無関心がつきまとうことにもなった。 侯景の乱で実質滅びた武帝の、直接的な敗因は建康へ救援に駆けつけながらも牽制しあい侯景と干戈を交えなかった、諸王の不和だが、それを招いたのは飴と鞭の鞭を行わず諸王の増長を涵養した武帝の性質だった。
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2019年に志学社から復刊された『侯景の乱始末記』つながりで、本書を手に取った。 東晋滅亡後、宋ー斉ー梁ー陳と王朝名を覚えているくらいの知識しかなかったのだが、先の"侯景の乱"の史実を知って、一代で新王朝を開き、50年に及ぶ平和と繁栄の時代を築いた梁の武帝...
2019年に志学社から復刊された『侯景の乱始末記』つながりで、本書を手に取った。 東晋滅亡後、宋ー斉ー梁ー陳と王朝名を覚えているくらいの知識しかなかったのだが、先の"侯景の乱"の史実を知って、一代で新王朝を開き、50年に及ぶ平和と繁栄の時代を築いた梁の武帝に関心を持った。 本書はタイトルだと、武帝の伝記のようなものに思われるが、もちろんそうした部分もあるが、広く六朝時代の政治と文化の特長を簡潔に整理しながら、その中で武帝の政治姿勢やそれを支える学術・宗教について概観する。 南朝文化の特徴である、士大夫の教養としての玄儒文史、すなわち儒学、玄学(老荘)、文学、史学が基礎的な教養とされていたところ、武帝自身並々ならぬ教養人であったが、武帝と言えば仏教と言われるほど、仏教に傾倒していた。 第六章は「武帝と仏教」と題して、武帝の行った捨身(その身分を捨てて三宝の奴となること)、経典に関する著述、仏教信仰の態度等を論じていく。 一族が血で血を洗う争いに明け暮れた前代までの歴史に省み、人情主義で同族に対した武帝であったが、後継者選定の失敗もあり、侯景の侵入という思いがけぬ椿事に適切に対処できず、思わぬ最期を遂げることになった。 中国史は、実にドラマチックだ。
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