精霊に捕まって倒れる の商品レビュー
返却期限内に読みきれなかったので途中まで。 モン族の母親が子をずっと抱いていることが印象深かった。 子どもと親の間には時代の進歩とともにさまざまな装置や他者、効率性、生産性が入り込んでくる。 それを選び取らず受け取って適用したら、子どもは安定した情緒を育むことは難しくなると思った...
返却期限内に読みきれなかったので途中まで。 モン族の母親が子をずっと抱いていることが印象深かった。 子どもと親の間には時代の進歩とともにさまざまな装置や他者、効率性、生産性が入り込んでくる。 それを選び取らず受け取って適用したら、子どもは安定した情緒を育むことは難しくなると思った。 進歩や発展こそが人間にとって全て良いものではないことを理解させられた。 人間が、説明できないが大切にしているものを守っていく意味を考えさせられた。
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2019年にSlate誌「この四半世紀の最も優れたノンフィクション50作」に選ばれた作品。初出は1997年で、15年後の改訂版を日本語訳したもの。 長距離フライトの往復で読み切った。初めて飛行機の中の時間が速く過ぎたと感じた。 モン族という現在のラオスやタイ、ベトナムの山岳地帯...
2019年にSlate誌「この四半世紀の最も優れたノンフィクション50作」に選ばれた作品。初出は1997年で、15年後の改訂版を日本語訳したもの。 長距離フライトの往復で読み切った。初めて飛行機の中の時間が速く過ぎたと感じた。 モン族という現在のラオスやタイ、ベトナムの山岳地帯を起点とする家族と、その家族の一人である「患者」を診る米国の医療者たちの関係が中心に描かれる。読み終わった後には、立場の違いなく、様々な登場人物に畏敬の念を抱いた。 モン族の生活や背景、歴史事情、医療行為など、高度で入り組んだ理解が必要なテーマがいくつも折り重なっているのに、ほとんどの前知識を必要とせずにこの本を読むことができる(もちろん、事前に知っていることが多いほど理解できることは多いはずであるが、この本を読み通したり、面白いと思うためには前情報は必要ない)。それは、筆者が多くの背景を省略しており「かいつまんで描く」ことが上手であるためではない。むしろその逆で、例えばこの本では欠かすことのできないベトナム戦争(とモン族の関わり)について多くの部分を割いて説明している。それなのに、驚くほど読みやすいし、洗練されている。とはいえ、話は入り組んでいるし、長い時間と多くの登場人物を追いかけたノンフィクションなので、ページ数は多い。この分厚さと内容の割に読みやすく感じるのは、この筆者の持つユーモアのセンスだと思う。決して明るい話ではないのに、言葉選びと構成のおかげで時折くすっと笑ってしまうようなエピソードがたくさんある。 最後に、この本を母語で読めることに感謝したい。いくら読みやすいと言っても、英語ではなかなか理解しがたかったと思う。色々な人の手に渡ってほしいと思える作品だった。
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モン族移民の娘がてんかんになりアメリカで医療を受ける際の文化的衝突を描いた名作ノンフィクション。 「グラントリノ」を思い出しながら読了 この本みたいな文化的衝突が日常的に起こってるから、アメリカでは“多様性”って言葉が上っ面でなく実が伴ってるんだろう 文化的衝突があっても最後...
モン族移民の娘がてんかんになりアメリカで医療を受ける際の文化的衝突を描いた名作ノンフィクション。 「グラントリノ」を思い出しながら読了 この本みたいな文化的衝突が日常的に起こってるから、アメリカでは“多様性”って言葉が上っ面でなく実が伴ってるんだろう 文化的衝突があっても最後にはイーストウッドはグラントリノをモン族少年に譲渡するし、ナナカオはニールに赦しの言葉をかける(この本の「15周年記念版に寄せて」より) そういや「クラッシュ」もそんな映画だったな。
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とてもおもしろかった。前のめりで読んだ。 最新刊、と思って読んでいたけど、これは「15周年記念版」の訳で、最初に出版されたのは、1997年なんですね。 帰化や難民受け入れについては、ずっとほぼ鎖国の日本ではまだまだ実感すら追いついていないテーマなんですが、アメリカではもうおなじ...
とてもおもしろかった。前のめりで読んだ。 最新刊、と思って読んでいたけど、これは「15周年記念版」の訳で、最初に出版されたのは、1997年なんですね。 帰化や難民受け入れについては、ずっとほぼ鎖国の日本ではまだまだ実感すら追いついていないテーマなんですが、アメリカではもうおなじみのテーマなんだろうか。それとも、やっぱりアメリカでもまだまだなんだろうか。そんな疑問を感じながら読んだ。 でもたぶん、こういうのはどこの地でもどの歴史でもどの民族にとっても、きっと永遠にいつまでも新しいテーマであり続けるんだろうな。 しかし、異文化受け入れに対して、自分は柔軟な方・・・と思いたいのはやまやまだが、この本を読んでいると「いや・・・モン族、私には無理かも・・・」などと大変に失礼なことを早々に思ってしまった。 駐車場でブタの生贄の儀式するとか、想像しただけで、ひぃぃぃぃ! しかもリアのおうちの場合、何気なく読んでいたら場合によっては一カ月に1回くらいの頻度でその儀式をしている様子。 もし私が隣人だったら、私は露骨に嫌わないで理解を示せるだろうか。 示せる、と信じたいけど、正直分からない。引っ越すかも・・・ この本に登場する医師たちには心底同情した。 医師にもいろんなタイプの人がいて、異文化(モン族の患者たち)に対し、彼らの様々なリアクションが紹介されていたが、たとえ結果として間違ったふるまいをしていたとしても、彼らを責めることなんてとてもできないと思った。 モン族が手首に巻いている紐を問答無用で切るのはさすがに必要ないんじゃない?とは思ったが、「ダが魂を盗んだから」とか言う話などは、私が医師だったら、緊急時に最後まで腹を立てずに冷静に耳を傾けることはできないような気がする。 考えてみれば、異文化と言っても、アラビア数字くらいは分かるだろう、とつい思ってしまうので、数字も読めない人たちとの医療的なコミュニケーションは、今でもやっぱり難しいだろうな。異文化衝突についての理解が当時よりも進んでいる今でも。 だけど、リアがイキイキつやつやとして30歳まで生きたことは無視していい事実ではないと思う。つまり、常に片方だけが間違っているということはないはず。 リアが長生きしたことの裏に家族の献身(犠牲、と見る人もいるしれない)があることも無視できないが。 以上はさておき、モン族の歴史、CIAとのかかわり、長い旅路の記録は、非常に興味深かった。 しかし、CIAって、この手のエピソードが次から次へと無尽蔵に出てきますなぁ・・・。 モン族の人たちが、この歴史的事実を伝えるよう尽力しているのはもっともな話だと思った。 後日追記--------------- NHKの映像の世紀の新シリーズ「バタフライ・エフェクト」の「ひとつの友情がアメリカを変えた」の回を見ていたら、アメリカのとある新聞社社長が、日系移民を評して書いた言葉が引用されていた。(たぶん戦前の言葉?) 「日系人はすべての民族の中で最も同化しにくく危険な存在である。自分の民族に強い誇りを持つ彼らは融合するという考えをまったく持ち合わせていない」 思わず笑ってしまった。 この本のモン族と同じようなことを言われている・・・。(もっとひどい?) つまり、程度がどうあろうと、どんな文化だろうと、受け入れる側にとっては、異質なものはみんなつまりは等しくひどい厄介者だってことですね。 きっと移民第一世代がある種の踏み台になるのは避けられない宿命なのかなぁ、と思った。そうした世代の必死の試行錯誤ともがきを経て、彼らの子供、孫の代で少しずつ融合していくのかな。 こういうのは古くて新しいテーマの一つで、きっと紀元前からずっとそこにある問題なんだろうと思う。 しかし、バタフライ・エフェクトのシリーズ、分かりやすくてキャッチ―でおもしろい。 この友情の回は、ダニエル・イノウエがかっこよくてクラクラした。落ち着いた物腰が素敵すぎた。
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アメリカにはラオスやベトナム、タイ北部に住むモン族が難民となって住んでいる。 モン族は中国では苗(ミャオ)族として知られる山岳民族である。無文字で、山地で農業、狩猟をして暮らしている。 家も自分達で建てる。薬草で病気を治療する。 そして精霊信仰をしており、生活の節々で精霊が顔をだす。 この本はアメリカに亡命したばかりのモン族の夫妻に子供がうまれ、その何番目かの娘がてんかんの症状を発症しアメリカの病院に運ばれ、治療、退院を繰り返すなかで不可避的におこった文化の衝突のあらましを、多くの関係者者に9年にわたりインタビューをして書かれたものである。 アメリカ人からみたら原始的で頑迷でコンプライアンスに欠けるモン族の両親が、実は愛情が深く、誰とでも分け隔てることなく接し、家族はみな喜びに溢れていることがわかる。 モン族が決して言ってはいけないことをアメリカの医師は行い、決してやっていはいけないことを医師はする。一方医師からみたら呪術的な一見無意味な治療をモン族は望む。そしてその無意味な治療が実際効いたりする。 この本はてんかんを発症した女の子リアを取り巻くひとびとがどう接し、どう変わったのか、あるいは変わらなかったのかを通じて、人類にとって文明とは、幸せとは何かを問いかけてくる。 モン族には本来スーパーもいらない。ちょっとして農耕地や自然があればいいのである。 日本でもアメリカでも社会の底辺の人には生活保護でお金を与えるという仕組みがある。そんな仕組みはここ数10年のことなのである。昔から人はなんとかして生きてきたのである。そのどうしようもなく見えてもなんとか生きるというその1点に人間の尊厳は収束しているはずなのである。
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先に読んだ「医師が死を語るとき」から派生したところで見つけて借り出したもの。 面白いが、他の本と重なって期限切れで図書館に返却。再度予約を入れる。
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精霊に捕まって倒れる。この不思議なタイトルは、モン語の〈カウダペ〉の直訳だ。突然けいれんして失神する事象を指す。それはつまり、医学用語でいう「てんかん」のことである。 1982年、ラオス難民のリー家の末っ子で生後3カ月のリアが、てんかん症状で病院に運び込まれた。その日から繰り返...
精霊に捕まって倒れる。この不思議なタイトルは、モン語の〈カウダペ〉の直訳だ。突然けいれんして失神する事象を指す。それはつまり、医学用語でいう「てんかん」のことである。 1982年、ラオス難民のリー家の末っ子で生後3カ月のリアが、てんかん症状で病院に運び込まれた。その日から繰り返される入退院。その度に医師たちは、投薬をはじめ近代医学を駆使して懸命に救命を試みる。一方で、モン族の父と母は、悪い精霊に娘の魂を奪われたのだと理解する。そして、自分たちの儀式や伝統医療を認めないアメリカの医師たちに不満を抱き、彼らの薬こそが娘の回復を阻んでいるのではないかと不信感を募らせる。やがて、両者のすれ違いは、リアの悲劇へと結びついてしまう。 モン族。もしかするとミャオ族というほうが聞き覚えのある人はいるかもしれない。読み始めは難民であろうが何だろうが無償で最新の医療を施すアメリカという国の懐の大きさを感じた。ところが読み進めるうちに、それは大きな勘違いで、矛盾だらけであることに気づかされる。ラオス難民を生み出したのもまたアメリカ自身なのだ。 医療者と患者の関係性はいかにあるべきか。本書にも登場するクラインマンの著作は医療関係者の必読の書となっている。医療者と患者の関係がある種のパターナリズムに陥りやすいのはよく指摘される。本書の場合、さらに相手は「未開の」難民なのだ。この「上下関係」に異文化の衝突という図式が加わり、事態は複雑となる。 筆者のファディマンは、モン族、医療・福祉関係者たちから丁寧に聞き取り調査を行い、この事件の意味を深く掘り下げていく。第18章で紹介される、命こそ救われるべきとする医師と、いや魂こそ救われるべきとする心理士のやり取りは重い。どちらが正しいということでも間違っているということでもないのだ。 「15周年記念版に寄せて」という後日談で、その後数10年を経て、社会や病院施設では明るい兆しが見えていることが著者から語られる。異文化間の調停者こそが求められている。
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タイトル「精霊に捕まって倒れる」はモン族によって<カウダペ>と呼ばれる症状であり、西洋医学でいうところの「てんかん」がこれにあたる。本書はアメリカに難民として亡命した家族に生まれた幼児リア・リーが、「精霊に捕まって倒れ」たことを発端に、治療をめぐってモン族と西洋医学・アメリカ人と...
タイトル「精霊に捕まって倒れる」はモン族によって<カウダペ>と呼ばれる症状であり、西洋医学でいうところの「てんかん」がこれにあたる。本書はアメリカに難民として亡命した家族に生まれた幼児リア・リーが、「精霊に捕まって倒れ」たことを発端に、治療をめぐってモン族と西洋医学・アメリカ人とのあいだにおきた葛藤、衝突を伝える。1997年の著書で、著者による取材は80年代を中心になされている。 モン族の少女リアの母フォア、父ナオカオと、病院の医師たちとのコミュニケーションの行き違いを軸として、リー家と同じモン族の人びとやソーシャル・ワーカー、リアを一時的に預かることになった里親など、数多くの関係者の声を集めてリアの身と周囲の人びとに起きた出来事を掘り下げる。リアの病状や治療にまつわる出来事は時系列に近いかたちで語られ、その結末も徐々に読み手に明かされていく。リー家が住むカリフォルニア州マーセド郡に著者が訪れてリー家と関わりをもつようになるのは1988年である。そのころ6歳頃のリアの病についておきた出来事はすでに収束しており、著者がその過程で引き起こされた葛藤を丹念に追いかけて形にしたのが本書ということになる。 全19章となる各章の構成としては、リアの病状を中心に現在進行形で語る章と、モン族の歴史やタイの難民キャンプでのモン族の人びとに関する記録がほぼ交互に綴られている。モン族の難民であるリー家の背景として、モン族の歴史と独自性を描き出し、モン族が難民になるにいたった1970年代のアメリカによるラオスへの政治・戦争に関する干渉と、それによるモン族の過酷な戦争体験ついても言及する。このようにリアの病について起きた出来事の本質を理解するために、モン族の特性とアメリカ人との文化的な違いをあぶり出すことにかなりの紙数を割いていることが本書の大きな特徴であるとともに、モン族の自由を尊ぶ気風と、強大な権力に屈することのなかった民族の歴史に魅了される。 キーワードとして「多様性」という言葉が取りざたされることの多い現代にあって、「アメリカ人が理想とする断固たる個人主義と、モン族が理想とする集団の相互依存との溝」を浮き彫りにすることで、多様性と直面することの難しさを背景込みで懇切丁寧に提示した好例だろう。リアの病をめぐって著者は取材をとおして最後まで「両者の溝は本当に埋められなかったのか」と思い悩み、その原因を異文化における考えの違いによるものと見据える。そして、治療において最も重要なこととは何なのか、著者なりの結論にたどりつく。 本書を読み通すことで、リー家におけるモン族の儀式を描いた終章「供犠」と、巻末に収められた「15周年記念版に寄せて」の結びのシーンがとりわけ心に響く。
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難民としてアメリカに移住してきたモン族一家に生まれた赤ちゃんリアが、てんかんの発作を起こしたところからこの一家と病院との長い付き合いが始まる。医師は当然てんかんを脳神経の異常であり薬によって治療するものととらえていたが、両親は度重なるてんかんの発作を「魂を喪失した」ことによるもので、取り戻すためにはチネン(シャーマン)の供儀などが必要だと考えていたのだ。リアを守りたいという強い思いは一致していたものの、言葉の壁以上に世界観や文化の違いが大きすぎてお互いの考える治療はうまく進んでいかない。 両親の投薬不履行が虐待とみなされて裁判所命令が下り、リアが里親の家庭に一時預けられるという大事件の後もその溝は埋まらず、最終的にリアは致命的な大発作を起こして植物状態になってしまった。しかし家に連れて帰れば2時間で死ぬと言われたリアは、モン族的治療と家族の献身的な介護によってその後20年以上も生きるのだから驚く。 リアに関わった人たちの話の合間にモン族の歴史、特に両親やモン族が巻き込まれた戦乱と過酷すぎる運命が書かれている。自分たちの暮らしも尊厳も家族の命も失い、ようやくたどり着いた異国はまるで別の惑星のよう、そこでただのごくつぶしとして漂うように生きることを強いられている、ということがだんだんわかってくると、やるせなさがつのった。もちろんそれだけではなく、医者や看護師たちにも受け継いできた文化があり、守ってきた命があり、人生がある。この本で様々な人の証言を克明に記録しているのは誰が悪いとか、あの時こうしていればとか(そんなポイントは無数にあるのだが)、そういうことを突き止めたいのではない。医者とモン族患者それぞれの背後に巨大な岩のようにして存在する文化と人生を浮かび上がらせることで、「異文化」とはどういうことなのかを見せてくれている。 言葉の壁をなくそうとか、お互いを思いやろうだとか、そんなレベルの話をはるかに超えて、倫理を含めて全てが違っているのはこれほど難しい状況なのだ。いや、本当は人が人と理解し合うということ自体が思ったよりずっとずっと難しいのだろう。医者たちの間でさえ、リアに関する事柄への理解も感情も全然違っていた。それでも悲観的な結論ではなく、この先に進むために書かれているのがすごい。最後までお互いがリアのために尽くしていることを理解できず、折り合うことのなかった父親と主治医の一人がシンポジウムで手を取り合う姿は感動的だけど、それでめでたしめでたしというわけではない。考えさせられる本だった。
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