ウィステリアと三人の女たち の商品レビュー
川上未映子さんが描く女の話は、繊細で美しく、そして一途の不穏が漂う感じが本当に素敵だなと思う。ウィステリア〜も良かったけど、シャンデリアの虚しさが蔓延る雰囲気も好きだった。ブランド品を買えても満たされない心の寂しさよ。
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※このレビューにはネタバレを含みます
4編とも、主人公はこの後どうなるのだろうという不安が残った。 中でも印象に残った短編は、「ウィステリアと三人の女たち」。 もっと手を抜けるはずの家事を、旦那のこだわりを守って丁寧にこなす、主人公「わたし」のけな気な愛情が夫に伝わっていないのが切ない。 この夫は何故か冷めていて、よく嘘をつくし態度が偉そうだ。本の中では原因が特に書かれていないので、ただ嫌なやつに見える。 妻に不妊治療に一緒に行こうと提案された時、「行かなくて良い(夫は行きたくないだけだと思う)」と畳み掛けるように説いたところは、特に冷淡に感じた。2人のことなのにまるで他人事のようだ。 妻は不妊治療についてインターネットや図書館などで調べ、費用だけでなく、心身にかかる痛み、体験談などを読み、自身がそれに耐えうるのか不安になりながらも、意を決して相談したというのに。 最初の提案から2ヶ月が経ったというのに、夫は不妊治療についてきちんと調べたのか。妻にかかる負担を知ろり、不安を想像しようととしたのか。 妻に説いた言葉からは、夫はただ、治療にかかる費用と、うまくいかなかった時の(自分の)精神的なショックのことしか頭にないように見えた。 切ない。
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あらごしされたオレンジジュースみたいな本 喉越しが良すぎるわけでも無く、引っかかるわけでもない。 後味が長引くと嗚咽に似たぬるいものが目耳鼻口全てから抜け出してくる。 彼女自身の細胞の多くは死に、爪や髪の毛だってほとんど生え変わった。 あの頃の私は、もういない。 記憶の中にし...
あらごしされたオレンジジュースみたいな本 喉越しが良すぎるわけでも無く、引っかかるわけでもない。 後味が長引くと嗚咽に似たぬるいものが目耳鼻口全てから抜け出してくる。 彼女自身の細胞の多くは死に、爪や髪の毛だってほとんど生え変わった。 あの頃の私は、もういない。 記憶の中にしかいないのに、随分引きずられる。 砂浜と海の関係みたいに曖昧なところがない。 人は、本当は何もないところから愛を生み出すことなんてできないんじゃないかしら。 職場や友人たちの集いで早々と口にする正しい恋愛の方法。 何を正しいとするかはそれぞれで、結婚して家族というつながりを維持できていることを棚にあげる。 あたかもそれこそが幸せとねじり込んでいる人々。私が幼稚なだけなのか。 亀裂でも入ったかと思う。 相変わらず終わり方が好きで、私に今にも破けそうな袋を渡してくる時もあって。 しばらく頭を使わずほげっと過ごしたいですね。 時折り、ぬくもりなんかを求める人もいますが、冷淡を貫いて欲しいです。 お願いなのでオレンジジュースは温めないで下さい。
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「彼女と彼女の記憶について」有名人になってから参加した同窓会で、小学生の頃に一緒に遊んだ記憶のある子が30歳で餓死していた。餓死の真相が分からないところがリアル。もう1人女性が一緒に餓死していたという要素も少し不気味だった。 「シャンデリア」お金の無常さとか命の価値とか色々考えさ...
「彼女と彼女の記憶について」有名人になってから参加した同窓会で、小学生の頃に一緒に遊んだ記憶のある子が30歳で餓死していた。餓死の真相が分からないところがリアル。もう1人女性が一緒に餓死していたという要素も少し不気味だった。 「シャンデリア」お金の無常さとか命の価値とか色々考えさせられた。
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女たちの、誰にも話すことはないだろうというような出来事や記憶や考えをフィルム越しで見ているような短編集だった。 古い海外の映画を見ているような……舞台は日本で、現代なのに不思議な感覚だった。 最初の短編が刺さりすぎてしまい、その後の物語に入り込みきることができないまま、 大きな...
女たちの、誰にも話すことはないだろうというような出来事や記憶や考えをフィルム越しで見ているような短編集だった。 古い海外の映画を見ているような……舞台は日本で、現代なのに不思議な感覚だった。 最初の短編が刺さりすぎてしまい、その後の物語に入り込みきることができないまま、 大きなシャンデリア、深い森の湖、藤の花と、見ている景色が移り変わっていく。 それでも、ふと集中力が途切れると、西日が当たる小さな部屋と少女の記憶まで巻き戻されてしまう。それくらい衝撃的だった。 美しい文章の裏側でこの物語は何を示しているんだろう、何を感じとることができれば私は納得してこの本を閉じることが出来るのかな、と考えながら、でも明確な答えが見つけられないまま最後のページにたどり着いてしまった。 私自身も、何かのきっかけがないと忘れてしまっている記憶がきっとあるんだろうな。 何かのきっかけで思い出すことが自分の残虐性や偏った嗜好の発現だった時、これまで忘れられていたことがいかに幸福だったか思い知るのだろうな。
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表題作と、シャンデリアがとても心に残りました。どちらも主人公と自分と重ね合わせて、ちょっと違った別の私の人生を見るような…本当に川上未映子さんは凄い。 表題作の喪失感はもの凄く、実際にいた子供、いたかもしれない子供、想像の中にいた子供を失うという恐ろしさを、この短編で味わいまし...
表題作と、シャンデリアがとても心に残りました。どちらも主人公と自分と重ね合わせて、ちょっと違った別の私の人生を見るような…本当に川上未映子さんは凄い。 表題作の喪失感はもの凄く、実際にいた子供、いたかもしれない子供、想像の中にいた子供を失うという恐ろしさを、この短編で味わいました。 本当に恐ろしくて悲しい、けど美しいお話しでした。
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大枠でいえば、川上未映子も村上春樹もおんなじような印象を受ける。 相変わらず、現実に起こっていることなのか、妄想なのか、夢の中なのか、という敢えて曖昧にしているとしか思えない描写が、川上流であるといえばそう。表題作なんかは特にそう。小説自体が虚構であるからこの批判は的を射ていな...
大枠でいえば、川上未映子も村上春樹もおんなじような印象を受ける。 相変わらず、現実に起こっていることなのか、妄想なのか、夢の中なのか、という敢えて曖昧にしているとしか思えない描写が、川上流であるといえばそう。表題作なんかは特にそう。小説自体が虚構であるからこの批判は的を射ていないとも思うが、「そこまでの虚構の根拠は一体どこにあるんだ?なにをもってそこまで表現している?」と思ってイライラしてしまうことがある。本末転倒。 伏線回収。みんな好きなものじゃないだろうか?私だって好きだ。だから表現の要素要素を見落とさないように、「あ、これは後々大事になってくるもんなのでは?」と予想しながら読んでいく。しかし、川上未映子も村上春樹も表現に責任を持たないといおうか、気持ち良く読ませてくれない感がある。だから何か重大な勘違いや見落としをしているんじゃないかと不安になる。不安になりながら不安は不安のまま物語の幕が閉じる。なんだこれ?きょとんってなる。結局何が言いたいの? 何か言いたいことがないと表現しちゃいけないのか?そんなことはない。ごもっともではあるが、カタルシスが得られない。不完全燃焼だ。己の力量不足か。 とにかく少なからずこの短編集には満足できない。『彼女と彼女の記憶について』の書き出しは好き。
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短編集よりは長編派だけど、 川上未映子の文章が好きだと改めて思った。 ストーリーというよりは、文章で読む感覚。
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〈彼女と彼女の記憶について〉 東京で女優の端くれのような仕事をしながら、嫌みにならない程度に計算し尽くしたブランド品を鎧のように身にまとい、田舎で行われる同窓会に参加した彼女に、私ははっきりとした好感を抱く。 そこで突然ぽんと手渡される記憶の箱。黒沢こずえという少女と仲が良く、一...
〈彼女と彼女の記憶について〉 東京で女優の端くれのような仕事をしながら、嫌みにならない程度に計算し尽くしたブランド品を鎧のように身にまとい、田舎で行われる同窓会に参加した彼女に、私ははっきりとした好感を抱く。 そこで突然ぽんと手渡される記憶の箱。黒沢こずえという少女と仲が良く、一緒に遊んでいたこと。黒沢こずえという少女に自分がかつてしていたこと。そして黒沢こずえという少女が辿ることになったその後の顛末。 黒沢こずえが、独りきりではなく、もう一人の女性と亡くなったと聞いたときの、主人公の心情はどんなだろう。安堵?嫉妬?罪悪感? 何も感じない、なんてことはないはずだ。 私も、誰に会いたいとかではなく、それが喜ばしいものであれ、恐ろしいものであれ、記憶の箱を受け取るためだけに同窓会に参加したい。 確かに存在しているのに、すっかり忘れ去られてよそにいってしまった記憶を突きつけられたい。記憶は、どんなに時が経とうが決してそれがなかったことにはならない。 〈シャンデリア〉 多額の印税が振り込まれることで、暇と財力を持て余して一日中デパートを徘徊している46歳の女性。彼女には生活の不安も悩みもなく、自由を謳歌しているように思えるのだが、どうやらそうではないらしい。 幼い頃に母親と共に貧困で苦しんだ過去は、そして母親亡き後に舞い込んできたお金は、今がどれほど裕福でもすべての景色を無意味なものにしてしまうのだろうか。 〈マリーの愛の証明〉 乙女の園のような、無垢で甘やかなミア寮。元恋人に「私のことを愛していた?」と聞かれたマリーが、真摯にていねいに紡いでいく愛の証明。 愛は、目に見えないうえに正解もなくて、飽くことなくいつまでも考え続けられる気がする。 この短編は初めて読んだときから好きだけれど、数年ぶりに再読して愛の続きに気がついた。ミア寮で看護係として働く40歳のアンナは、7年前に当時1歳の娘を喪った。 もちろん娘にもう触れることはできないけれど、愛していたという事実が確かにそこにあったのだから、今ではきっと違う方法でまた娘に、大きな愛に触れることができるのだということ。 〈ウィステリアと三人の女たち〉 今は空き家だが、大きな藤の木が咲き誇る近所の屋敷に忍び込んだ女性が、夢をみるようにその屋敷で起きた過去を回想していく幻想的で美しい話。 不妊治療に理解がない夫に対して、これまでは言いなりだったのが、それが起こったあとには凜とした強さを湛えている気がした。
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存在や記憶、そして愛というもの。 人間がどんな時代も問い続けていくのだろう、 生きている間はそれらを完全に理解することはできないし、死んでもそれはわからないのかもしれないが、 考えないで生きるのは、果たして人間を人間たらしめているのだろうか
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