理不尽な進化 増補新版 の商品レビュー
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説明と理解、方法と真理、サイエンスとアートの両面および狭間から進化論を論じた本。進化論についての概要や議論はもちろん、社会での進化論の扱いやダーウィニズムの哲学思想への影響まで、多くの視点をもらえる本だった。 適応主義は、副次的な効果に過ぎない機能を目的に最適化された結果だとこじつけてなぜなぜ物語を作り出してしまいがちである。この線形的で短絡的な判断は、現在存在しているものが最適化されていて最善の状態だと結論づけてしまう。これは社会に現存する不条理から目を背ける思想たりうる。 グールドは以上の考えから、自然淘汰による適応のみではなくその最適化を妨げる制約にも目を向ける多元主義的なアプローチを取るべきだと提案した。ドーキンスは、適応主義を前提に最適化問題に対する制約条件を考えることでむしろ進化の実際を検証することができる、と適応主義の正当性を主張した。デネットは、この観点からすると適応主義は、世界が最善だと盲信するパングロス主義ではなく、進化の謎の解を見つけるための科学的な発見的手法(ヒューリスティクス)であると、その有効性を論じた。 適応主義の有効性は確固たるものだが、グールドの、現在的有用性と歴史的起源を区別してそのズレにこそ目を向けるべきだという反駁はもっともだ。目的に最適化された完全なデザインよりも、不完全で無用な痕跡こそが進化の歴史を手繰る有効な手掛かりとなる。進化論は歴史を語るという性質上、普遍的かつ抽象的な一般法則を扱う科学(説明)と個別的かつ具体的な案件を直接の対象とする科学(理解)を両端にもつ連続体の、中間に位置する学問である。ガダマーは、学問は方法にもとづき説明を行う知識の総体だとし、理解は非学問的だが真理の経験をもたらすとした。理解は本質的に追跡不可能なものであり、説明は方法に則り追跡できる公共的で確実な知識である。理解と説明の対立が、真理のなかに方法を適切に位置づけ運用するという課題に変換された。 ダーウィニズムは、目的論的・機能主義的にしか理解できない事象を自然淘汰により結果論的に説明する方法だという点で、革命的な発明である。だがこれは、目的論的思考を認知バイアスとして抱える人間には直感的には理解しづらい理論である。この理論は運(偶発性)を内包するが、人間は思考から外れた偶然の範疇は理不尽として、形而上的に感受する。この理不尽の感覚は、学問という方法的な説明を求めない、真理の経験に属する事柄である。実在は偶然のものだが、人は必然性を見出さずにはいられない。偶然性を受け入れられずあらゆる実在に理不尽さ(不条理)を感じ耐えられなくなったロカンタン(サルトル 嘔吐)は、ついに激しい吐き気に襲われる。グールドはこの偶発性に付随する無目的の不条理に耐えられず、偶発性を科学の方法のなかに織り込もうとした。しかし偶発性は学問の範疇に収まるものではなく、真理の経験や理解の範疇に所属する。そのため、正統のダーウィニズムは、偶発性を伴う理論だがその不条理それ自体を説明しようとはしない。 あらゆる学問が解き明かされたとして、理解の範疇の問題は依然として残り、我々の直感は理不尽(学問では蓋然性、経験的には不条理)、ウィトゲンシュタインの壁を感じ抱える。人から離れた客観的な視点と経験から得られる主観的な視点を往復することで、問題に誠実に向き合い説明と理解、方法と真理の両方を得る努力が必要である。
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認知バイアスが進化論という広範な影響力をもつ議論にどう影響してきたかをよく示している。少々書きぶりが冗長と感じるが、重要な点が分かりやすい。
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とても面白い。 最初の話を読んだら諦観しそうだが、そうはならないので知的なジェットコースターのような感覚でもあった。 生きる上での一つの軸になりそう。
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これを読んだあとは、日常に蔓延する進化論的コピーが気になってしまう。 社会でも、会社でも、個人でも、強いから/能力があるから生き残っていると思い込むのは間違った認識。実力勝負は確かに存在するが、実力勝負にいたる舞台の設定は運でしかない。たしかに。 適者生存というスローガンが指...
これを読んだあとは、日常に蔓延する進化論的コピーが気になってしまう。 社会でも、会社でも、個人でも、強いから/能力があるから生き残っていると思い込むのは間違った認識。実力勝負は確かに存在するが、実力勝負にいたる舞台の設定は運でしかない。たしかに。 適者生存というスローガンが指すのは、生存したものが結果的に環境に適応したに過ぎないということだけ。いま生き残っているのが優れていることを証明するわけではない。誤解して使い過ぎている。 言葉のお守り的用法、周りにたくさんありそう。 好きな言葉、 現実はもっと理不尽寄り。
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科学史としての進化論も本書の視点で扱いつつ、でも進化論自体の本ではなく、進化論と非科学者である私たちの「進化論の理解」との関係を、進化論自体の本質的な面白さと絡めて語り尽くす。圧倒的に面白い。もともと進化論自体にそこまでの興味があった訳ではなかったはずなのに読む程にぐいぐいと引き...
科学史としての進化論も本書の視点で扱いつつ、でも進化論自体の本ではなく、進化論と非科学者である私たちの「進化論の理解」との関係を、進化論自体の本質的な面白さと絡めて語り尽くす。圧倒的に面白い。もともと進化論自体にそこまでの興味があった訳ではなかったはずなのに読む程にぐいぐいと引き込まれて進化論がいかに現代人の価値観に染みついて便利に使っているのか、しかもそれでいて実はそれは進化論自体ではないのでは、と。アート&サイエンスってビジネス書の流行りワードの一つみたいに使われること多いけど本来こうあるべきなのではと強く感じる楽しい読書でした
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進化というか進化論についての本。初めは面白い考察だなあと読み進めていたけど、長くて周りくどくて途中から苦痛になって断念。断念した本って久しぶり。色々考察して描く必要がありそこが妙なんだろうけど、頭の良い人って面倒臭いなって思った。
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くどい文章ではあるが面白い視点をたくさん提供してくれる。なるほど絶滅に視点を置くとそうなるか、お守りとしての進化論、そして説明と理解の議論。経営学の世界でも進化論的な物言いを目にするし、現在の経営学は実証主義の説明の世界が主流ながらそれでいいのかという疑問があった。その解答を得た...
くどい文章ではあるが面白い視点をたくさん提供してくれる。なるほど絶滅に視点を置くとそうなるか、お守りとしての進化論、そして説明と理解の議論。経営学の世界でも進化論的な物言いを目にするし、現在の経営学は実証主義の説明の世界が主流ながらそれでいいのかという疑問があった。その解答を得たわけではないがさまざまなヒントはあったかな。一読して理解できたわけではないからもう一度読んでみようと思う。
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題名に惹かれて読み始めたのだが、素人相手と書いてあるのに、難しいし細かいシツコイので、読み進めるのがたいへんだった。
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はじめて進化論がらみの本を読んだのがグールドの『ワンダフル・ライフ』だったと思う。20年以上まえ、グールドが亡くなる少し前のこと、たまたま本屋で平積みになっていたのを手に取った。読んでみていたく感心して、ほんの数冊だが他の著作も読んだ。その後、グールドが非主流派というかキワモノ的...
はじめて進化論がらみの本を読んだのがグールドの『ワンダフル・ライフ』だったと思う。20年以上まえ、グールドが亡くなる少し前のこと、たまたま本屋で平積みになっていたのを手に取った。読んでみていたく感心して、ほんの数冊だが他の著作も読んだ。その後、グールドが非主流派というかキワモノ的な立ち位置でドーキンスらとのあいだに論争があることを知り、ドーキンスも『利己的な遺伝子』は読んだがグールドとの違いは何もわからず、なにか引っかかるようなものを抱えながらも今日まで特に不都合もなく生きてきた。 この本のおかげですっきりしました。進化論にとっては重要な論争かもしれないが、あまりにも概念的で素人的には「まあまあ、どっちでもよくない?」みたいなところもあるので、これくらい噛み砕いてもらってはじめて理解できた(気がする)。 科学の方法論としてはドーキンスら主流派の唱えるとおりだが、一方でわれわれが歴史を語るときには、グールドが迷い込んでしまった難儀な領域にわれわれも否応なしに足を踏み入れざるを得ない、といったところか。
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第一章:理不尽な絶滅(ゲームのルール変更による絶滅)が絶滅理由のほとんど。 第二章:現代人はラマルク・スペンサー的進化(進化=進歩、改善)を進化としているが、ダーウィン的進化(生存者=適応者)は別物。 第三章:適応した機能は全て最善の機能であるため、なぜその機能を持っているのかを...
第一章:理不尽な絶滅(ゲームのルール変更による絶滅)が絶滅理由のほとんど。 第二章:現代人はラマルク・スペンサー的進化(進化=進歩、改善)を進化としているが、ダーウィン的進化(生存者=適応者)は別物。 第三章:適応した機能は全て最善の機能であるため、なぜその機能を持っているのかを推測することには意味がある。しかしそれに反対する人(グールド)もいる。 終章:グールドの意見が通らなかったのは、運要素(ゲームのルール変更)の影響を織り込むべき、と言ったものの、その方法を提案できなかったから。 だいたいこんな内容を長々書いている感じ。タイトル、前書きでは絶滅した生物とその理由から進化を探る本かと思ったのだが、内容は進化学の歴史と言った方が近い。それならそうと最初に言ってくれ。 以下、私の意見 今残っている機能は最善の機能であるという仮定から生物機能の意味を推測するというのはなるほどなと思った。昔ドーキンスの本を読んだ時、各生物の機能の存在理由が想像されていたが、根拠がなく、こじつけでは?と思ったことを思い出した。これ以外やり方がないから、進化学の主流派は皆このやり方を使っているのね。 グールドの意見「生物進化に運要素を織り込むべき」は確かに可能ならその方が精度が高まりそう。しかしやる価値があるかは不明だ。 隕石墜落など、急激な環境変化(ゲームのルール変更)が絶滅理由のほとんどというが、5億年の歴史の中でこういうイベントはたかだか5回だ。過去1億年程度は大量絶滅イベントは発生しておらず、公正な進化が進んでいるっぽく見えるが、、。現代の生物の進化論で運要素を織り込む必要があるかどうかは、地球の安定状態でどれくらいの生物が理不尽な絶滅をしているのかによるだろうから、そこを論じて欲しかった。
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