理不尽な進化 増補新版 の商品レビュー
はじめて進化論がらみの本を読んだのがグールドの『ワンダフル・ライフ』だったと思う。20年以上まえ、グールドが亡くなる少し前のこと、たまたま本屋で平積みになっていたのを手に取った。読んでみていたく感心して、ほんの数冊だが他の著作も読んだ。その後、グールドが非主流派というかキワモノ的...
はじめて進化論がらみの本を読んだのがグールドの『ワンダフル・ライフ』だったと思う。20年以上まえ、グールドが亡くなる少し前のこと、たまたま本屋で平積みになっていたのを手に取った。読んでみていたく感心して、ほんの数冊だが他の著作も読んだ。その後、グールドが非主流派というかキワモノ的な立ち位置でドーキンスらとのあいだに論争があることを知り、ドーキンスも『利己的な遺伝子』は読んだがグールドとの違いは何もわからず、なにか引っかかるようなものを抱えながらも今日まで特に不都合もなく生きてきた。 この本のおかげですっきりしました。進化論にとっては重要な論争かもしれないが、あまりにも概念的で素人的には「まあまあ、どっちでもよくない?」みたいなところもあるので、これくらい噛み砕いてもらってはじめて理解できた(気がする)。 科学の方法論としてはドーキンスら主流派の唱えるとおりだが、一方でわれわれが歴史を語るときには、グールドが迷い込んでしまった難儀な領域にわれわれも否応なしに足を踏み入れざるを得ない、といったところか。
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第一章:理不尽な絶滅(ゲームのルール変更による絶滅)が絶滅理由のほとんど。 第二章:現代人はラマルク・スペンサー的進化(進化=進歩、改善)を進化としているが、ダーウィン的進化(生存者=適応者)は別物。 第三章:適応した機能は全て最善の機能であるため、なぜその機能を持っているのかを...
第一章:理不尽な絶滅(ゲームのルール変更による絶滅)が絶滅理由のほとんど。 第二章:現代人はラマルク・スペンサー的進化(進化=進歩、改善)を進化としているが、ダーウィン的進化(生存者=適応者)は別物。 第三章:適応した機能は全て最善の機能であるため、なぜその機能を持っているのかを推測することには意味がある。しかしそれに反対する人(グールド)もいる。 終章:グールドの意見が通らなかったのは、運要素(ゲームのルール変更)の影響を織り込むべき、と言ったものの、その方法を提案できなかったから。 だいたいこんな内容を長々書いている感じ。タイトル、前書きでは絶滅した生物とその理由から進化を探る本かと思ったのだが、内容は進化学の歴史と言った方が近い。それならそうと最初に言ってくれ。 以下、私の意見 今残っている機能は最善の機能であるという仮定から生物機能の意味を推測するというのはなるほどなと思った。昔ドーキンスの本を読んだ時、各生物の機能の存在理由が想像されていたが、根拠がなく、こじつけでは?と思ったことを思い出した。これ以外やり方がないから、進化学の主流派は皆このやり方を使っているのね。 グールドの意見「生物進化に運要素を織り込むべき」は確かに可能ならその方が精度が高まりそう。しかしやる価値があるかは不明だ。 隕石墜落など、急激な環境変化(ゲームのルール変更)が絶滅理由のほとんどというが、5億年の歴史の中でこういうイベントはたかだか5回だ。過去1億年程度は大量絶滅イベントは発生しておらず、公正な進化が進んでいるっぽく見えるが、、。現代の生物の進化論で運要素を織り込む必要があるかどうかは、地球の安定状態でどれくらいの生物が理不尽な絶滅をしているのかによるだろうから、そこを論じて欲しかった。
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理不尽な絶滅 運で決まるルール、 適応したもの、たまたま適応していたものが生き残る これは理不尽な絶滅と同じなのかもな、と思うことがたびたびある。
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ウィトゲンシュタインの壁。 生の問題(不条理性)から逃げないこと。 自分を棚に上げて科学を礼賛しないこと。 不条理にこそ価値がある。
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文庫本オビの名だたる評者のコメントに魅せられて手に取ってしまった一冊。 本書は科学としての進化論について論ずるものではないし、一般読者にも理解できるよう丁寧に論述されているが、内容を一言で説明することは難しいので、気になったところを、以下書き留めておく。 「私たちは...
文庫本オビの名だたる評者のコメントに魅せられて手に取ってしまった一冊。 本書は科学としての進化論について論ずるものではないし、一般読者にも理解できるよう丁寧に論述されているが、内容を一言で説明することは難しいので、気になったところを、以下書き留めておく。 「私たちは進化論が大好きである」(序論)との印象的な一文から本書は始まる。そもそも進化論は、生物の世界を説明する科学理論である。と同時にそれは、"新たなビジネス環境への適応"、"進化する天才"、"○○のDNAが流れている"といったワードを日々目にするように、物の見方やイメージを我々に喚起するものでもある。 本書は先ず、「適者生存」として語られる進化論を、圧倒的多数の絶滅した種から見るとどうなるのか、という問いから思考を進めていく。遺伝子が悪かったのか、運が悪かったのか?それを説明するキーワードが"理不尽な"である。生存のためのルールが変更されてしまう、そして新しいルールはそれまで効力を持ってきたルールとは関係ない。こうして多くの種が絶滅し、代わってその空きに新たな種が登場する。 第二章では、科学理論としてのダーウィニズムと、スペンサー流発展的進化論として私たちが抱いている進化論的世界像(との分業体制あるいは乖離的共存の状況について語られる。この辺りの論は非常に面白い。 第三章は、適応主義を巡り、進化生物学者として有名なグールドとドーキンスの間で行われた論争を取り上げる。論争の判定としてはドーキンス側に軍配が上がったというのが今日的評価だが、著者は、なぜグールドは死ぬまで負けを認めようとしなかったのか、その点について終章で考えていく。 ここでのキーワードは「歴史」である。グールドは、生物がもつ特徴が何の役に立っているのかという「現在的有用性」と、それがどのような経緯でそうなったのかという「歴史的起源」の区別を保持することが重要であると言う。ではなぜ歴史が必要とされるのか。進化の道筋はそのメカニズムとは外的な関係にある物理的諸条件に左右されるという事実は、進化の歴史が単なる発展や展開ではなく、ほかならぬ歴史であることと同義であるからである。 そして、ダーウィニズムの心臓部には「説明と理解」、すなわち「自然の説明」と「歴史の理解」という哲学的問題がビルトインされている。 本書はたしかに進化論に関する本である。そこで取り上げられている内容だけでもとても興味深い。同時にものの見方、考え方についての人文学的内容に溢れた本である。ニ読、三読することでそのつながりや著書が本書全体を通して言わんとしていること、面白さがより分かってくるのではないだろうか。
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「理不尽」という言葉がこんなにも進化論(ネオダーウィズム)を表現するのにピタッと合致するとは思わなかった。 ドーキンスとグールドの論争、そして実社会で言葉のお守りとして俗用(悪用⁉︎)される進化論について丁寧に解説されており、仕事も含めて今後の人生にプラスになる書籍であり、おすす...
「理不尽」という言葉がこんなにも進化論(ネオダーウィズム)を表現するのにピタッと合致するとは思わなかった。 ドーキンスとグールドの論争、そして実社会で言葉のお守りとして俗用(悪用⁉︎)される進化論について丁寧に解説されており、仕事も含めて今後の人生にプラスになる書籍であり、おすすめできる。 ただし、本書はサイエンス書ではなく哲学書であり、内容もボリュームがあるので、読破には時間を要した。 しばらく経ってから再読し、しっかり自分のものとしたいと思える一冊だった。
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<あとがき> 私は自分で掘った穴を自分で埋めるようなやり方で本を書く。 はじめに躓きがある。原因を探るために地面を掘り返すが、掘り返したところで見つかるわけではない。躓いたのは地表においてなのだから。 今度は掘り返した土を埋め戻すことになる。 新たな目標は、もはや躓く余地がないほ...
<あとがき> 私は自分で掘った穴を自分で埋めるようなやり方で本を書く。 はじめに躓きがある。原因を探るために地面を掘り返すが、掘り返したところで見つかるわけではない。躓いたのは地表においてなのだから。 今度は掘り返した土を埋め戻すことになる。 新たな目標は、もはや躓く余地がないほど地面を平坦にすることだ。その埋め戻し分が書き物になる。 当然ながら埋め戻す土は掘り返した土と同量なわけだから、地面の上になにかが積み上げられることはない。つまり誰の糧になるわけでもない、自分の納得のためにだけ本を書いている。
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進化論から始めて歴史と自己への認識に至るまでを深く広く熱く語られている。熱量が高すぎるが故に読むのに骨が折れるのも事実。特に一番長い終章は人文学的な専門用語、言い回しが多く、読み続けるのに難儀した。註の参考書籍紹介のコメントが何気に面白い。
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