あいぬ物語 新版 の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
「熱源」の主人公である樺太(サハリン)で生まれたアイヌ、ヤヨマネクフ山辺安之助の半生を金田一京助がまとめたのが、この「あいぬ物語」のようです。 https://booklog.jp/item/1/4163910417 図書館に無いので…どうしようかな。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
(借.新宿区立図書館) 先日読んだ『熱源』の(一部の)原作的な本。『熱源』ではアイヌ名でヤヨマネクフと書かれる山辺安之助(日本名)の自伝。白瀬南極探検隊の帰国までが描かれている。日本語本文に樺太アイヌ語の「ルビ」という形式、さらに樺太アイヌ語大要・樺太アイヌ語彙が付録に付く形。アイヌ語部分は研究者には重要なのだろうが一般読者にはあまり関係ないかも。著者の樺太アイヌ語で語った内容を編者の金田一京助が筆記、さらに日本語訳したという経緯なのでその雰囲気を知るにはいいかもしれない。こちらを読むと『熱源』がかなり現代風にデフォルメされていたことがわかる。たぶん山辺安之助は日本に対する思い入れは深そう。日本軍をロシアからの解放者としてとらえ、積極的に日本の中でアイヌ人として生きていこうという立場なのではないか。それは時代による制約なのかもしれないが、『熱源』ではかなりロマンチックに脚色しているように感じる。 余談だが白瀬隊の時に犬ぞり用の樺太犬のかなりの数がやむを得ず南極に置き去りにされたことが書かれている。他に南極到着前にかなりの数が病死?したことも。タロ・ジロの奇跡の話のずっと前からそういうことがあったことがわかる。もっともこの時は鎖には繋いでなかったようなのでタロ・ジロの時よりは生存確率は高かったかもしれない。(タロ・ジロの時と違って翌年以降も放置ではあるが)
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
あいぬの言葉の教科書的だというような解説がありますが、そんな風にとらえると、興味深く読めるのかなと思いました。 この本の前に、川越宗一さんの「熱源」を読んだので、話の流れはつかめたのですが、なにせ日本語文が難しすぎました。昔は、こんな風な日本語だったんですね。 「熱源」の内容とほぼ同じでしたが、日本のことを素晴らしく良く話していることが、ちょっと違和感を感じました。 今は、使われなくなったあいぬの言葉同様、日本語も変わってきたし、もしかしたら、戦後の英語教育が盛んにおこなわれていたら、日本語を話す人もいなくなって、自分も英語しか話せなかったかもしれないと、複雑な思いになりました。
Posted by
川越宗一氏の「熱源」を読んだ直後にこの本に出会い、非常に興味深く読むことができた。日露戦争前後の南樺太の暮らしを感じ取ることができた。日本語部分をずっと読んだわけだが、いつかこの本の最大の特徴であるアイヌ語で読みすすめてみたい。
Posted by
直木賞受賞の熱源を読んで以来気になっていたあいぬ物語。熱源はフィクションだが、大筋はノンフィクションだったことが窺えた。 日本語にアイヌ語ルビと言うなかなか拝めないスタイルの本書。アイヌ語ルビがあることで、「ピリカ」という言葉一つとっても、良い、綺麗、素晴らしいなど一つの言葉で色...
直木賞受賞の熱源を読んで以来気になっていたあいぬ物語。熱源はフィクションだが、大筋はノンフィクションだったことが窺えた。 日本語にアイヌ語ルビと言うなかなか拝めないスタイルの本書。アイヌ語ルビがあることで、「ピリカ」という言葉一つとっても、良い、綺麗、素晴らしいなど一つの言葉で色んな意味を持つところが読んでいて面白い。 和人から差別や搾取されていたイメージが拭えないアイヌなのに、日露戦争や南極探検に命をかけてくれた山部安之助の存在が不思議だった。しかし本書で本人の口から語られる歴史を読むことでとかく義理堅い人であることがわかった。子供たちのためにアイヌの地位向上に捧げた人生が本当に胸熱。 本人の自叙伝以外にも、解説や辞書まで巻末についてるので読み物としても資料としても秀逸。100年以上も前に書き残してくれてありがとう。
Posted by
1913年(大正2年)博文館より発行された書籍を元とした新版。旧字旧仮名は新字新仮名に改められ、誤植と思われる部分も適宜修正されている。 少し変わった体裁の本である。 2/3ほどは、樺太アイヌであった山辺安之助(アイヌ名「ヤヨマネクㇷ」:1867~1923)の半生記。タイトルの...
1913年(大正2年)博文館より発行された書籍を元とした新版。旧字旧仮名は新字新仮名に改められ、誤植と思われる部分も適宜修正されている。 少し変わった体裁の本である。 2/3ほどは、樺太アイヌであった山辺安之助(アイヌ名「ヤヨマネクㇷ」:1867~1923)の半生記。タイトルの「あいぬ物語」に沿う内容である。山辺は日本語も堪能であったが、あえてアイヌ語で口述してもらい、それを言語学者の金田一京助が聞き取って書き、日本語に訳した形である。ルビの形で、元のアイヌ語がカタカナで付記される。 新版のために書き下ろされたと思われる解説・年譜を挟み、金田一によるアイヌ語概要と語彙を収録。簡単な文法書と辞書のようなものである。簡素ながら言語学者らしい厳密な記述で、音韻や品詞、語序などについてまとめている。 非常に読みやすいわけではないが、味わい深い本である。 まず挙げるべきは、やはり、山辺の人生自体の数奇さだろう。 南樺太に生まれたが、ロシアが進出してくるのにつれ、山辺の集落は北海道に移住。幼時に両親を失い、孤児であった9歳の山辺もこれに同行した。対雁(現・江別市)で農作業にあたるが頓挫。多くは石狩で漁業に就くようになる。しかし、コレラや痘瘡が蔓延して、同胞の多くが命を落とした。26歳の山辺は仲間と船に乗り、ロシア領になっていた故郷に渡る。そこで暮らしていたアイヌを頼り、漁業で生計を立てるようになる。当時の樺太は日本の漁業権も認められており、日本の商家の下で働いていた。 だがここで、日露戦争が勃発。山辺は日本側の協力者として物資輸送や偵察にあたった。後にこの功績で叙勲を受けている。 山辺は教育を非常に大切に考えており、アイヌの子供たちのための学校設立に尽力もした。 後年、日本の国家事業として南極探検が計画された際、樺太犬の供出が求められた。樺太犬はアイヌの生活にとって非常に重要な存在だったが、山辺は自らの犬も5頭供出、他のアイヌにも供出するよう強く働きかけた。さらには、犬がいても使い手がいなければ十分にその長所を発揮できないと考え、自ら犬の使い手として探検隊に同行することを申し出、実際に白瀬矗の探検に同行した(しかし犬たちの第一陣はオーストラリアに着く前に死亡、第二陣の大半は南極に置き去りにされたというから、これはこれで痛ましい話である)。 南極から樺太への帰途の途中、旧知の金田一の元で口述筆記されたのがこの「あいぬ物語」である。 濃い人生を歩み、樺太にて56歳で病没。六尺豊かの体躯だが、穏やかな人柄だったという。 樺太アイヌの自伝であり、背景には時代の空気が見え隠れする。 同時に、アイヌ語の入門書としてもかなり本格的という、なかなか特異な本である。樺太アイヌ語は北海道アイヌ語とも少し異なる点があるのだそうで、そのあたりの考察も興味深い。 聞き取りや編集、和訳にかかった作業量も相当のものと思われるが、言語学者・金田一の強い熱意を感じる労作である。 少々疑問なのは、戦争や国家事業への協力と、山辺自身は、全般に親日の姿勢が顕著なのだが、親露的な立場のアイヌはいなかったかという点である。あるいは親日的な山辺だからこそ、金田一との共同作業が可能だったということか。アイヌの中でも、ロシア語が堪能なものもいたようなので、日本やロシアに対する距離感の違いや温度差はありそうにも思われるのだが、本作からはそのあたりはよくわからない。 山辺の親日姿勢の一方で、やはり背後には根強いアイヌ差別の陰も感じる。 そもそも金田一の和訳で、「アイヌ」に対して充てられている訳語が「土人」である。おそらくは金田一が特に差別的であったわけではなく、また「現地人」にあたる程度の意味(と、特に、言う方は思っている)なのかもしれないが、当時、陰に日にやはり差別はあっただろう。 軍功を挙げたのも、厳しい探検を何としても遂行しようとしたのも、そして子供たちに一刻も早く読み書きを身につけさせようと努力したのも、ひとえに、アイヌの地位向上を求めていたのではないだろうか。 アイヌがこの窮状を済ふべきものは、なまやさしい慈善などではない、宗教でもない、善政でもない、教育である という言葉の重さが強く響く。自分の代では無理かもしれない、けれど、次世代にはよりよい未来を手に入れてほしいという切なる願いがやはり心底にはあったのだろう。
Posted by
- 1