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新しい共同体の思想とは の商品レビュー

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3件のお客様レビュー

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2023/08/09
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「共同体」という日本語は、明治時代になってから生まれた言葉だ。 この共同体なるものの基盤として、華厳経は「人間関係」を挙げている。大乗仏教ではそもそも自己も、真理も「空」だとされている。つまり、私たちが見ている現象には全て実体がなく、関係に本質を見出しているためである。関係自体も実体があるわけではないので、「空」とされる(p.77)。 そこで華厳経では、「一即一切」という考えを大事にしている。宇宙の全真理はホコリくらいの世界にあり、一と全ては同じ、という考えだ。つまり、真理はひとつの小さな世界にあり、それはすべてが関係で結びあっているためだからだ(p.79)。また、華厳経は利他も重要視している。 自分の考えとかなり親和性があるな。。。

Posted byブクログ

2023/01/15

現在の日本では、過去から伝わってきたものを守ろうとすると、むしろ変革を志さねばならないという逆説。(たとえば保守とされてきた自民党が新自由主義を導入して日本をここまで変わり果てた姿にしたのだから) 伝統回帰ということの本当の意味を、山村での暮らし、自然と農業に親しむ生活実感から...

現在の日本では、過去から伝わってきたものを守ろうとすると、むしろ変革を志さねばならないという逆説。(たとえば保守とされてきた自民党が新自由主義を導入して日本をここまで変わり果てた姿にしたのだから) 伝統回帰ということの本当の意味を、山村での暮らし、自然と農業に親しむ生活実感から、身体レベルで腑に落ちるように諄々と説く著者の語り口の柔らかさとしなやかさ、そして強靭さ。 内山節を読むことは、現代社会の歪みによって疲弊した心に一筋の希望を与えてくれる。

Posted byブクログ

2022/03/19

西洋と東洋思想の比較をしながら、共同体に対する姿勢を論じる。 西洋では実体を軸にして、東洋(主として仏教)では、関係を軸としているよう。 例えば、死者がいるかいないかであれば、西洋では死者の魂というのが現実にあるかないかという論になるが、東洋では関係に主を置くので、いると思えば...

西洋と東洋思想の比較をしながら、共同体に対する姿勢を論じる。 西洋では実体を軸にして、東洋(主として仏教)では、関係を軸としているよう。 例えば、死者がいるかいないかであれば、西洋では死者の魂というのが現実にあるかないかという論になるが、東洋では関係に主を置くので、いると思えば、いるというスタンスをとる。関係があればそれはあるということだと。 また関係が大事なので、「一は全で、全は一」だとする、それは正確には大乗仏教という仏教の一つの言説のようだが、その一個体はある意味あらゆるものに関係しているので、その個体は全をすら表すという考え。なので、利他的につながるのだと。自分という個体が悟るには、つながりのある他を悟らせる必要がある(他が悟ると自分も悟ってるということ)ので。ハガレンの最後は恋人に献身的になっていたのだと思うけど、まさにそういう意味だったんだ、仏教的だったんだ。 関係がすべてであれば、その状態が正しい(そういう人もおっていいとか、多様性だとか言論の自由とかになる)が、それでもいろんなところに問題はある。 関係がすべてでそのままにしておきたいけど、そんなこと言ってられない問題が目の前にあるから仕方なく取り組むみたいなスタンスが仏教的な対決理論だとしている。この辺の感覚はすごくわかるな。ほっておいておけばいいというのとどうにかせなあかんがブレンドされている。 そのブレンドの中でどういうスタンスをとるのか。 それは、役割を自認することだと。問題があるとすれば、それはある種自分のせいだともいえる。一は全なので。 じゃあそれが起こらないように少し心がけるとか。結局そういうことなんだろうな。その想像力の範囲が共同体だと。 要は Man in the mirror 共同体に対する想像を広げて、自分がやれることやっていく。それだけなんだろうなあ。

Posted byブクログ