上杉鷹山 の商品レビュー
為せばなる、為さねばならぬ、何事も。 この言葉を述べた人として有名な上杉鷹山だが、具体的に彼がやった改革がなんなのかがわからず、この本を読んで勉強したいと思った。 彼の改革は前半の明和・安永改革、後半の寛政改革に分かれる。後半は隠居後に後見の立場から実施している。 様々な文献...
為せばなる、為さねばならぬ、何事も。 この言葉を述べた人として有名な上杉鷹山だが、具体的に彼がやった改革がなんなのかがわからず、この本を読んで勉強したいと思った。 彼の改革は前半の明和・安永改革、後半の寛政改革に分かれる。後半は隠居後に後見の立場から実施している。 様々な文献から、上杉鷹山が優れた人格者であり倹約家だったことは伺えるのだが、竹俣当綱や莅戸善政など、実際にはかなり優秀な家老や家臣に恵まれていたこともわかる。彼らは鷹山を育て、民のための政治家になるように仕向けた立役者でもある。 明治維新のキーワードとなった富国強兵だが、その前身となる考え方、「富国安民」を解いていたのが鷹山の政治である。米沢藩の財政危機の状態で家督を引き継ぎ、豊かな国になる事で民が安心して暮らせるようになる、というのがコンセプトで、そのための農作物の変更(より儲かる桑や漆への作付変更や農地拡大)や具体的な知識支援、年貢を納めるタイミング等を変えられる制度の改革、惰民を変えるための精神的な教育までやってきている。また、藩士自身も農作物を作る支援をしていたようで、結果的に兵農合一に近い政治だった、ということも書かれていた。 やっていることはシンプルだが、豊かな安定した国にするために、 儲かる状態を考え、具体的な数値に落とし込む それを目指すために民の技術、マインドを教育指導する 達成するための制度を変更する ということだと思う。 大枠を掴む事ができたのはよかったのだが、この本からは正直、「鷹山自身が何をしたのか」は見えづらかった。彼自身が富国安民からより具体化したり手を動かした話はほぼ出てこず、各施策を行った家臣のエピソードが多い。鷹山については、基本は名言録みたいなものをベースとした「素晴らしい名君だった」という話ばかりで、ビジョンの打ち出しと、優秀な部下を見つけ、導く事が上手だった、ということなのかなと思った。 ちなみに引退は35歳ときいて、今の我々と比較して江戸時代の人は大人だったんだなあとしみじみ。国の改革を35歳まででやるって…いまの日本でそんな知事や市長はなかなか居ない。
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9代目米沢藩主である上杉鷹山について知れる本。 120万石から30万石、15万石へと減封され廃れていた藩内を建て直したことで知られる名君であると認識していたが、それを実現するにあたり、竹俣当綱や莅戸義政と言ったら、鷹山を育てて支える臣下の存在に焦点の当たった興味深い本であった。ま...
9代目米沢藩主である上杉鷹山について知れる本。 120万石から30万石、15万石へと減封され廃れていた藩内を建て直したことで知られる名君であると認識していたが、それを実現するにあたり、竹俣当綱や莅戸義政と言ったら、鷹山を育てて支える臣下の存在に焦点の当たった興味深い本であった。また、鷹山が藩主を譲った後の臣下である莅戸政以らもある。 殖産興業や教育面などの施策も少しわかり、18世紀から19世紀における米沢藩、江戸の時代の様子を窺える上でも勉強になった。 いずれにしても、鷹山の、君主として藩に尽くすこと、その上で人民のために力を注ぐこと、君主は民の父母であり、民のために尽くす、その心持ちが尊敬に値する。 また、富国安民や風俗強化といった主な方針、考え方も知ることができた。
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【上杉鷹山は、まさしく「民の為にするハ公」という精神を体現しようとした、近世の「明君」と見ることができるだろう】(文中より引用) 米沢藩における財政立直しの改革を成し遂げた「明君」として、今日に至るまで人気を集める上杉鷹山。何が鷹山をして「明君」たらしめたかを明らかにしながら、...
【上杉鷹山は、まさしく「民の為にするハ公」という精神を体現しようとした、近世の「明君」と見ることができるだろう】(文中より引用) 米沢藩における財政立直しの改革を成し遂げた「明君」として、今日に至るまで人気を集める上杉鷹山。何が鷹山をして「明君」たらしめたかを明らかにしながら、近世に芽生えた政治理念をたどっていく作品です。著者は、千葉大学で教授を務める小関悠一郎。 鷹山の歩みだけではなく、米沢藩全体としてどのような改革を成し遂げたかがわかり興味深い内容でした。日本史の知られざる側面を明らかにすると同時に、現代にも通じる政治哲学を論じているようでもあり、多面的な読み方を許す一冊かと。 かなり現代的なテーマに迫っていると思います☆5つ
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出羽国米沢藩主・上杉鷹山(1751-1822)よりも、それを支えた3人の家臣に着目した内容である。 ●竹俣当綱(たけのまた まさつな:1729-93): 鷹山が当主となる(1767年)前の1761年、会談所奉行・江戸家老に昇進。「第1の改革」=明和・安永年間(1764-81)の藩政改革を主導。積極的で大規模な殖産興業の実施 ●莅戸善政(のぞき よしまさ:1735-1804)通称・九郎兵衛: 財政に明るく、竹俣当綱らと共に鷹山に抜擢され、藩政改革に活躍。鷹山の財政改革が失敗したため一時失脚して隠居。後に鷹山の要請により復帰し、寛政期の改革=「第2の改革」。を主導。鷹山の言動を描いた「名君録」として『翹楚篇(ぎょうそへん)』を著す。 ●莅戸(のぞき まさもち:1760-1816): 父・善政が奉行職となった(1798(寛政10)年)には、善政の嫡子・政以が補佐となって、中老職となる。父が死去した翌年の享和4年2月6日(1804年3月17日)には、父が就任していた奉行及び郷村頭取、御勝手方などを継承し、「第3の改革」を主導。藩政を担う。 九州高鍋藩という小藩から由緒ある上杉家に養子入りし、領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作った鷹山は、「御家」(国家)のために尽くす姿勢を示しながら「人民のため」の君主であるという考えを深く内面化していた。まさしく「民のためにするは、公」という精神を体現しようとした。 幕末の儒学者・林靏梁(はやし かくりょう)は、「米澤紀行」で「貨物は市にあふれ、領民は農作業や』機織りに勤しんでいる。土地は漆・桑・苧の栽培に適して作物に満ちあふれ、人々の風俗は質実で飾り気がなく人情に厚い。かつての鷹山公の美政が今に続いているのだという思いが浮かんでくる」(p.3)という。 「富国安民」の理念のもと、藩の借金完済だけでなく領民の心も輝かせた鷹山とその家臣達は、今の時代においてこそ、模範にしたい「名君」「名臣」に違いない。
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上杉鷹山について知りたくて購入したが、記載されているのは、上杉鷹山の配下や米沢藩についてであり、期待した内容とは違った。
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タイトルに(良い意味で)偽りあり、です。 上杉鷹山に着眼した本ではありませんでした。 名君鷹山を見出した部下(竹俣当綱) 鷹山を諌めた部下(莅戸義政) 引導を渡した部下(莅戸政以) この3人の物語です。 鷹山について初めて読むには、渋すぎる(彼の魅力が伝わりにくい)と思います...
タイトルに(良い意味で)偽りあり、です。 上杉鷹山に着眼した本ではありませんでした。 名君鷹山を見出した部下(竹俣当綱) 鷹山を諌めた部下(莅戸義政) 引導を渡した部下(莅戸政以) この3人の物語です。 鷹山について初めて読むには、渋すぎる(彼の魅力が伝わりにくい)と思います。まず他の本を読んで、それから彼ら3人の活躍を読んでみてください。 富国米沢藩の礎は、鷹山だけではなく、その部下たちの活躍も必要不可欠だった。そのことに気づけます。より米沢のことが好きになれますよ。
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時代を先取りするように「富国」を政治目標に掲げながら、重税や強兵に赴かずに民利・安民を追求したとの指摘が面白い。文章も読みやすかった。
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上杉鷹山像に新たな視点を加える。「富国安民」の政治を目指し、重臣たちの尽力で実現していく米沢藩。欧米列強のプレッシャーの強まる中、幕末の訪問者たちに強い印象を与えた。上杉鷹山個人に対する見識を深めたいと期待すると外れるが、歴史的事実を描きだそうとの試みではある。
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