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『往生要集』入門 の商品レビュー

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2022/09/28

 本書における著者のスタンスは、人間は誰でも「苦」や「限界状況」に直面してしまう可能性があり、そうなったときに頼れる「大きな物語」が必要である。しかしそれは、独りよがりのものではなく、道理にかなっているかを見定める必要がある、というところにあるだろう。その視点から源信の思想を読み...

 本書における著者のスタンスは、人間は誰でも「苦」や「限界状況」に直面してしまう可能性があり、そうなったときに頼れる「大きな物語」が必要である。しかしそれは、独りよがりのものではなく、道理にかなっているかを見定める必要がある、というところにあるだろう。その視点から源信の思想を読み解こうとしている、と感じる。  そして、それを根拠づけるものとして、ある種の因果(つまり、「教えを聞いて感動して信じる者は、彼らがすでに前世で仏道を行じていたから」)で説明する。私も、なぜ信じる者と信じない者が生まれるかは、「前世」でなくとも、これまでの「学び」によるところが大きい、という説明で納得できる。その人の積み重ねてきた経歴で、判断以前のものを形成する資質、と言えばいいのかもしれない。しかし、それらの根(因)のない者(「人道」に出てきたばかりの者、と説明している)は、教えを信じず、独りよがりの「大きな物語」(陰謀論やカルト)に頼ってしまう。なぜなら、誰でも「苦」や「限界状況」に直面する可能性があり、そのとき何かに救いを求めてしまいから。  ここから「浄土思想」を評価する姿勢が読み取れる。  大乗仏教では、様々な非歴史的な「仏」が生み出されていることを重視する。それはブッダから隔たっており、教えを実践できない時代の、経典の教えの象徴として必要とされたものであろう。もちろん阿弥陀仏もその一つ。  阿弥陀仏の廻向とは「法藏《ほうぞう》菩薩の時代に得た功徳の一切を、悪人たちに振り向けること」で、浄土教の根幹となるものだろう。  そして、源信は、浄土に生まれて「仏」になりたいと願う「菩提心」を重視する。娑婆世界では本質的な修行はできないので、阿弥陀仏を「観想」することで、自身と向き合い、その後に阿弥陀仏の「宿願力(廻向)」にすがり、浄土に生まれ、そこで「仏」となるのを重視しているのだ。  源信の『往生要集』が九八五年、法然の『選択本願念仏集』が一一九八年、この二百年の間で、時代がより困難になったのか、僧侶に凡夫の苦しみが身近となったのか、法然では、「菩提心」より阿弥陀仏の「宿願力」が重視され、口称念仏によって「浄土」に生まれることのみ説かれ、そこで「仏」になることについては触れられない。

Posted byブクログ