ロボット の商品レビュー
舞台を観てから読んだので読みやすかったが、 舞台で演じてこその 行間の恐ろしさ、哀しさを感じるのだろうな と感じた。
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初チャペック。ロボットという元々あった言葉(チェコ語のようだ)を世界に広く知らしめた作品。 ……それ以上のことは私には分からなかった。とても難解な作品でした。
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こんど芝居をやると言うので原作を読んだが、ロボット、という造語が普及したのこの本きっかけだったの知らなかった。すごい影響力だ。 今となってはよく目にするようなロボット/AI SFの原型のようなお話なのかな。休憩挟んだらヘレナがナチュラルに妻にされてた流れが一番ホラーだったけど。
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人間にとって、最も重要な労働力は人間である しかし、我々が他人を労働力という単純な商品として捉えたとき、何が起こるであろうか それは大量生産と大量消費である 人間であるのに人間ではなく、労働力の化身として生み出されたのがカレル・チャペックの想像するロボットだ 発表された時代は19...
人間にとって、最も重要な労働力は人間である しかし、我々が他人を労働力という単純な商品として捉えたとき、何が起こるであろうか それは大量生産と大量消費である 人間であるのに人間ではなく、労働力の化身として生み出されたのがカレル・チャペックの想像するロボットだ 発表された時代は1921年。資本主義の暴走に抵抗し、共産主義が台頭し始めた、労働における人間性が問われた時代の一つであった 人間はどう生き、どう働き、他者とどのような関係性を築くべきだろうか 彼の神話的回答がこの本にはある
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ロボットの語源だと知識としては知っていた作品。巻末の作者の言葉にある通り、いわゆる機械のロボットとは少し違う人造人間的なロボットを作り出して破滅に追いやられる人間。希望のようなそうでもないような結末。1920年に書かれたのが不思議な内容。そしてこの初版2000部のチェコ語の作品が...
ロボットの語源だと知識としては知っていた作品。巻末の作者の言葉にある通り、いわゆる機械のロボットとは少し違う人造人間的なロボットを作り出して破滅に追いやられる人間。希望のようなそうでもないような結末。1920年に書かれたのが不思議な内容。そしてこの初版2000部のチェコ語の作品があっという間に世界を席巻して1924年には日本でも上演され、1933年にはオックスフォード英語辞典にロボットいう言葉が収録されて、ロボットという言葉と概念(少しこの作品とは異なる形で)世界に定着するというのもなかなかすごいスピード感だ。 そんな世界文学になったこの作品の作者として「世界文学はどうやってできるか」という文章をチャペックが書いていることが、阿部賢一氏の解説で紹介されている。以下引用。 彼のエッセイに「世界文学はどうやってできるか」(1936)がある。小国チェコの作家は世界文学になることができるか、あるいは世界文学となる作品とはどういうものかを論じた文章である。そこで、チャペックは世界文学を4つに分類している。1つは、一時的に流行する作家たち、2つ目は、あまりにも新規であるため、時間が経ってからでないと評価されない作家たち、3つ目は、歴史的なアクチュアリティを持っている作家達である。チャペックが1番注目するのは4つ目のグループである。そこで、ディケンズ、ゴーゴリらの名前を挙げ、彼らが世界文学であるとしたら、それは彼らが世界文学を意識して執筆したからではなく、民族に寄り添った作品を書こうとしたからだと指摘した上で次のように続ける。 私たちが彼らの作品で1番好きなのは、移し変えられないもの、つまり、土地や経験という意味で、彼らだけが持っているものだ。より英国的、よりロシア的、より北欧的になればなるほど、作品は深みを帯び、世界的であることの見解も明確になる。 つまり、世界文学となるのは人口の多寡には関係ない。小さな民族の小さな人々や小さな運命であっても、それを地理的に限定されない人々、そしてその運命であると意識することが肝要だと、チャペックは説く。別の言葉で表現すれば、ささやかな出来事であっても、それをどれだけ深く捉えるかということだろう。 引用ここまで。 満員の路面電車での不快感からこの作品を書いたチャペックの、出来事や経験を掘り下げて想像力を織り混ぜながら普遍的な問いかけを続けていく姿勢が人間に似ているけど違う何かに対して感じるであろう違和感と起こりうる出来事を作品に落とし込み、それが世界に受け入れられる。セッティングはチェコに土着のものではなくても、深く捉えた感覚が共有されたということなのだろう。
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『ロボット』という言葉を生み出し、広く浸透させた戯曲。チェコの作家・カレル・チャペックによるSFの古典。 今日当たり前のように使っている『ロボット』という言葉の源流は、思っていたのとはかなり違う物語だった。まずロボット発明の経緯が意外に思えた。人間の複製をつくる人造人間制作の試...
『ロボット』という言葉を生み出し、広く浸透させた戯曲。チェコの作家・カレル・チャペックによるSFの古典。 今日当たり前のように使っている『ロボット』という言葉の源流は、思っていたのとはかなり違う物語だった。まずロボット発明の経緯が意外に思えた。人間の複製をつくる人造人間制作の試みのはずが、人間に近づけるのではなく、いわゆる「人間らしさ」を余計なものとしてあえて除外し、簡素にして実用的な「労働者」をつくっているというところ。そこから導かれる、ロボットが人間の労働をすべて肩代わりしたら人間はどうするのか?という思考実験は、「労働とはなにか」「人間らしさとはどういうことか」といった、『山椒魚戦争』にも通じるテーマを含んでいる。 ロボットやAIが人間に反旗を翻して云々、というイメージは本作が大元といっていいのだろうか?テクノロジーの進歩が恐怖をもたらす、その象徴としての『ロボット』という単語に潜む深みが、様々な意味合いを付加されてひとり歩きしてしまったのかもしれない。しかし本作では、広く浸透した「機械の恐ろしい面」を描くに留まらず、その先にある、地上の争いを超越した究極の結末を見せることで、原点にしてすでに永遠のテーマ性を明示している。 作者は後年、本作における『ロボット』は機械工学による「技術」ではなく、化学を軸とした「科学」によって生まれたものとして、広まってしまったイメージとは元々異なるものであることに言及している。それは無機的な機械仕掛けではなく、有機的な人造人間というべきものである。ゴーレムの伝承も影響しているとのこと。 2021年に日本で映像化。現在アマゾンプライムで視聴可能であることを知り、このあと見てみたいと思っている。
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「ロボット」と言う名前の元となった小説だな(戯曲だったけど)、と思い読んで見たら、 ・ロボットは、これまでイメージしていた「機械」で出来たモノ、では無く、化学的、人造人間、的なモノだった。でもそこ以外は確かに現在のロボットの概念と同じものだと思う。 ・1920年の作品だけど、SF...
「ロボット」と言う名前の元となった小説だな(戯曲だったけど)、と思い読んで見たら、 ・ロボットは、これまでイメージしていた「機械」で出来たモノ、では無く、化学的、人造人間、的なモノだった。でもそこ以外は確かに現在のロボットの概念と同じものだと思う。 ・1920年の作品だけど、SF、と言うカテゴリーとして読める設定だった。 サクッと読んでおいて損はないかと思います。 (追記) あのロボット三原則で知られるアシモフは、奇しくも1920年生まれみたいですな。
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思ってたロボットと違った。クローンとかゲノム編集とか技術の進歩した今の方が、リアリティがあるのではないか。
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ロボット=機械だと思ってたら元祖は神をも恐れぬウェットウエアだったのね! 人間の欲望の深さとそれを満たすための非人間性が怖い。 相手は人間じゃないからその非難には当たらない、というけど かつてインディアンもアボリジニもイヌイットも 黄色人種も黒人も女性も人間ではなかった。 ロ...
ロボット=機械だと思ってたら元祖は神をも恐れぬウェットウエアだったのね! 人間の欲望の深さとそれを満たすための非人間性が怖い。 相手は人間じゃないからその非難には当たらない、というけど かつてインディアンもアボリジニもイヌイットも 黄色人種も黒人も女性も人間ではなかった。 ロボットたちが団結して反抗してくるようになると 「異民族ロボットを作ろう、そうすればお互い憎み合い団結しないから」 には降参。 それでも作者は人間の側に立って書いた、というから驚きです…
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人造人間の発明で、人類は真の幸福を得たはずだった――。「ロボット」という言葉を生み、発表から一〇〇年を経てなお多くの問いを投げかける記念碑的作品を新訳。
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