サド侯爵夫人 わが友ヒットラー 新版 の商品レビュー
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「わが友ヒットラー」 女性のみの戯曲『サド侯爵夫人』と対をなす作品として、三島自身が“一対の作品”と明言。 そのことは文庫解説以前に、劇団プログラムに寄せた三島自身の文章、そしてこの文庫の「自作解題」で確認できます。 時代設定は1934年6月。 第一幕・第二幕は「長いナイフの夜」と呼ばれるレーム事件の数日前、 第三幕はその粛清が実行された夜半である。 舞台は終始ベルリン首相官邸のみ。 登場人物は、ヒットラー、エルンスト・レーム、グレゴール・シュトラッサー、資本家グスタフ・クルップ。 ナチ政権内部の権力関係と、その破綻の瞬間に絞り込まれている。 この戯曲の中心にあるのは、 ナチ党による突撃隊(SA)粛清―とりわけ、ヒットラーの“友”であったレームの処刑となります。 初期から行動を共にし、最後までヒットラーを信じ続けたレームは、その信頼ゆえに切り捨てられたのか、処刑される。 三島が描くヒットラーは、「国家」を成立させるという目標の前に 友情までも処理していく。 思想よりも行為、感情よりも決断。 また本作は、 『サド侯爵夫人』が女性だけの世界での不合理な感情を読み、こちらでは、男性のみの世界で、権力・友情・裏切りを不条理な決断を読む。 「サド公爵夫人」 昭和40年度(1965年)芸術祭賞・演劇部門受賞 初演以後、日本国内で再演を重ね、さらにフランス、ドイツをはじめとするヨーロッパ各地でも上演されてきた。 三島由紀夫の戯曲の中でも、国際的評価が最も高い作品の一つとのこと。 本作は、澁澤龍彦『サド侯爵の生涯』に着想を得ながら、サド侯爵その人ではなく、その妻・ルネ=ペラジー・ド・サド夫人に焦点を当てた戯曲となります。 舞台にサド侯爵本人は登場しません。 母、妹、家政婦、二人の正反対の夫人など、六人の女性たちの会話のみによって物語は進み、 彼女たちの言葉と関係性の中から、 不在の存在としてのサド侯爵の思想と人格が、徐々に浮かび上がらせていき、同時に 女性達がサド公爵の行動をどう感じているかを 対立させながらも 解放へと協力していく。 先日、宮本亜門演出『サド侯爵夫人』を観劇した。 舞台作品はあまり経験がないため、とても刺激的な体験だった。 本作は、六人の女性による会話劇である原作を、全出演者男性による女装させるという大胆な演出で上演している。 男性劇へ転換するのではなく、あくまで「女性として演じさせる」という点で、三島自身も行っていない試みでありますが、10年ほど前 この演出方法は試されているようです。 原作と逐一照らし合わせたわけではないが、台詞はほぼ戯曲そのままだったようですが、おそらく時間に合わせて削られていたように思います。 東出昌大、成宮寛貴、三浦涼介の三氏は特に長台詞が多く、発声や所作も女性性に寄せており、その努力が伝わってきます。 この戯曲の核心は、サド侯爵夫人が、投獄と逃亡を繰り返す夫を長年追い求めながらも、 いよいよ侯爵が帰還する段になって、あえて会わず修道院へ入る理由は何か、というところにあります。 一般には「かえる化現象」と説明されることもありますが、戯曲である以上、俳優や演出家の解釈によって結論は揺れ動くものに思います。 私はこのラストを最も楽しみにしていました。 しかし結果として、その意味がかえってわからなくなっています。 成宮寛貴演じるサド侯爵夫人は、着ていたドレスを破り捨て、オールバックのヌード姿となり、そのまま舞台から去る、という演出でした。 これは何を意味するのだろう? 生まれた時に戻る、という象徴なの? パンフレット買えば何か解説されていたのかもしれないのですが、お高かったので買ってないんです。 私自身は、原作を読んだ際、 サド侯爵夫人は自身の愛を尽くし、そこで自身の役割を終わりとしたのだと受けとりました。 いずれにしても 戯曲として書かれているので 演じる方の読み取り方で 変化していくのかと思いました。 おしまい。
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2026年1月 「サド侯爵夫人」のみ読了。 紀伊國屋サザンシアターホールでかかっているので読んだが、本を読む限りでは、特に良さはなく。これを今かける意味って何かな。
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12月に我が友ヒットラーを、1月にサド侯爵夫人を観に行く前に戯曲を読もうと思い購入。 なので収録順とは逆順に読んだ。
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ただでさえ美しい三島の文章が、戯曲仕立てで際立ってますね。引き込まれました。 "いわばこれは「女性によるサド論」であるから、サド夫人を中心に、各役が女だけで固められなければならぬ。サド夫人は貞淑を、夫人の母親モントルイユ夫人は法・社会・道徳を、シミアーヌ夫人は神を、サン・フォン夫人は肉欲を、サド夫人の妹アンヌは女の無邪気さと無節操を、召使シャルロットは民衆を代表して..."(跋より) なるほどなぁ…読むまで分かりませんでした。。 てかこれマジで過去に公演してるのか!!見たかったな〜 ヒトラーがどんどん独裁的になる前って感じですかね。神経質に数を数えるところ良かった。1934年のレーム事件ってのがベースらしいです。 "レーム大尉は、歴史上の彼自身よりも、さらに愚直、さらに純粋な、永久革命論者に仕立ててある。この悲劇に、西郷隆盛と大久保利通の関係を類推して読んでもらってもよい。" "『サド公爵夫人』の対になる作品" な、なるほど。。これも読むまで分かりませんでした泣泣
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サド公爵夫人/ 「概念」を18年かそこら身籠って育てていた女の支配の在り方、みたいな話かな…とも思うんですけど、どうとでも取りようがあるし、振り幅が大きい方が、それは面白いですよね。 アレですよね。終盤のジュスティーヌが悪魔的な焼印を本格的に押しているというか。 私にミリタリ要素がないからか、マッチョ要素がないからなのか、「わが友ヒトラー」はピクともしませんで… でもまあアレですよね。サド公爵夫人が女で固めた城砦として、無為のアルフォンスの嗜虐趣味の証明としての裏側の被虐を完璧にこなしてしまうのに比べて、「わが友ヒトラー」は素晴らしい戦争をもう一度、の貧乏臭いノスタルジーが幾度も繰り返され、男社会だけで塊を作るとやや貧乏臭く女々しくなるというのが…まあ私の感想ですね。 ナイフでも斧でも、切っても切れないしなやかな綱、みたいなものがマッチョイズムでは出にくいというか… やあ、ヒトラーを完成させるならヒトラーの中にあどけない少年を入れるとか女の魂を入れるとかしないとどうも絵にならないのでは。
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昔、シェイクスピアの和訳本を読もうとして挫折した演劇調の本。そうとは知らずに購入して、開いて、読みきれるかなと不安に思ったけど…結果的には面白かった。 舞台の(ステージの)情景が想像できた気がするし、内容も歴史上の世界観の断片的な場面に興味をそそられた。
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サド侯爵夫人が面白かった。我が友ヒトラーは当時のナチスの時代背景が分かっていないと、十分に楽しめない。
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点数が3なのは読者(つまりは私)の問題。登場人物の描写や台詞選びはさすが三島由紀夫であるが、戯曲向けの作品であるがゆえに印刷本として読んだとき面白いかというと、、、それほどであった。
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暴力的な性行為サディズムはマルキドサド侯爵由来、この恐ろしく残忍な実在した人物から着想し関わりある女性だけ6人で演じる「サド侯爵夫人」1934年ナチスヒットラーが党内極右勢力、極左勢力を粛清し中道路線へ進むレーム事件を男性だけ4人で演じる。演者に頼らない三島由紀夫戯曲は凄い。
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『サド侯爵の生涯』澁澤龍彦 『アドルフ・ヒットラー』アラン・ブロック から着想を得て書かれた、三島が「一対の作品」と 言うように見事な対になっている作品。 それぞれの作品のサド侯爵夫人(ルネ)とレーム が自分の信条を譲ることなくわが道を進んでいく あたりは内容は全く異なりますがジッドの 『狭き門』を思い出しました。 ぽんぽんと会話のみのやり取りが続く戯曲を 読むのは苦手なんですが、この二作品は 一人の口上が長く読みやすかったです。 『わが友ヒットラー』で扱われているレーム事件を 今回初めて知りました(-_-;)まだまだ不勉強です。
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