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文学は実学である の商品レビュー

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7件のお客様レビュー

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2024/10/12

あるきたくなる 現実で嫌なことがあった時にこの世界に逃げたい この本を読んでると、本を読むことって、驕り高ぶらずに、日々の中にある小さな嬉しいことを発見しやすくなる行為の思えてくる お休みの日にこの本を選んで読むと、次の週楽しくなるような

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2024/06/19

よかった。 タイトルは小難しそうな雰囲気ですがエッセイ本です。 そのエッセイのリズムが小気味よく、内容も楽しい。 そこで、そうか、作者が詩人だからかと納得。 書籍の紹介と批評も多くあり。 それがすこし難しいこと言ってましたが読書欲を刺激する内容でして、読みたい本が増えました...

よかった。 タイトルは小難しそうな雰囲気ですがエッセイ本です。 そのエッセイのリズムが小気味よく、内容も楽しい。 そこで、そうか、作者が詩人だからかと納得。 書籍の紹介と批評も多くあり。 それがすこし難しいこと言ってましたが読書欲を刺激する内容でして、読みたい本が増えました。 これ一冊あれば次に手に取る本に当分は困らない。 ただ少し。詩人に手厳しい、現代詩に厳しいように思いました(^^; 図書館で借りた本だったのだけれど、読み返したい内容が多かったので購入しました。

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2023/12/10

みすず書房 荒川洋治 「 文学は実学である 」 タイトルから受ける印象と異なり、軽い感じで読めるエッセイ選集 あとがき「エッセイは虚構ではない。事実を大切にする〜でもわずかな余地がある。そこに楽しさと夢がひろがる」は なるほどと思う。エッセイの面白さは エピソードそのも...

みすず書房 荒川洋治 「 文学は実学である 」 タイトルから受ける印象と異なり、軽い感じで読めるエッセイ選集 あとがき「エッセイは虚構ではない。事実を大切にする〜でもわずかな余地がある。そこに楽しさと夢がひろがる」は なるほどと思う。エッセイの面白さは エピソードそのものより「わずかな余地」の言葉選びなのかもしれない 表題「文学は実学である」は名文 *この世をふかく、ゆたかに生きたい。そんな望みをもつ人になりかわって〜才覚に恵まれた人が鮮やかな文や鋭いことばを駆使して、ほんとうの現実を開示してみせる。それが文学のはたらきである *こうした作品を知ることと、知らないことでは人生がまるきりちがったものになる〜読む人の現実を、生活を一変させるのだ 「五十歳を過ぎた。することはした。あとはできることをしたい」 「自分というものをもって生きることよりも、それをもたないで、生きることのほうに しあわせがある」 あたりは共感する 「陽気な文章」 どういう立場に立てばいいのか。何を書き、何をはぶいたら一般性のある話になるのか〜いろんな角度から自分の文章を見直す。単調にならないようにする 「会わないこと」 会わない状態のなかで、耐えているということは、相手もこちらも〜生きていることのしるしなのだ

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2023/03/01

1992年から2020年までに発表されたエッセイより86篇が掲載されている。(背表紙より) 新聞に紹介されていたので読んでみた。 読了するのに約4か月くらいかかった。 荒川洋治さんの他の作品は読んだことがない。 このエッセイを読むと、荒川さんが短文、散文にとてもこだわっていること...

1992年から2020年までに発表されたエッセイより86篇が掲載されている。(背表紙より) 新聞に紹介されていたので読んでみた。 読了するのに約4か月くらいかかった。 荒川洋治さんの他の作品は読んだことがない。 このエッセイを読むと、荒川さんが短文、散文にとてもこだわっていることがよくわかる。詩人だから当たり前か。 秀逸な短文がたくさん紹介されている。 日本語を駆使して、短くてもよく伝わるような言葉で書かなければならない。 ダイソー文学シリーズの紹介で掲載されていた、登場人物の紹介文とコラムはとても面白かった。

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2021/02/07

86のエッセイ。 書評あり、雑記のようなもの、文章について、文学について、詩歌について。 何気にない日常を綴ったものには、温かさとユーモア。 作品や文学についてのものには、精緻な分析とシビアな批評。

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2020/12/02
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

タイトルに惹かれて読んでみたのだが、「文学は実学である」は短いけど勇気づけられる力強い文章だった。 「それくらいの激しい力が文学にはある。読む人の現実を、生活を一変させるのだ。文学は現実的なもの、強力な『実』の世界なのだ。文学を『虚』学とみるところに、大きなあやまりがある。」 文学に対するこの人の確信が、この人の書く文章の世界をくまなく照らし、平明で芯の通ったものにしている。時には自分の書評に対する反論にまた反論したりしているけれど、ねちねちせずすぱっと切って捨てるような明快さがあって嫌な感じがしなかった。 「すきまのある家」と「場所の歳月」が良かった。私は瀬戸内寂聴読んだことがないけれど、ここで書かれているような「実りのない文章」で終わる作品は好きだ。読者へ向かって話してくれていた著者がふとそっぽを向いて、人と向き合っているという意識が抜けて心をどこか遠くへ向けるような瞬間。こちらは置いていかれるように思いながら、無防備なその横顔に見入るという感じ。むしろそういうところでこそ著者が確かに私の向かいに座っているような感覚がするのは不思議なものだ。

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2020/11/30

いい読書の時間が過ごせた。1、2編意見が合わないものがあったが、それぞれ感じ入る文章ばかりで、抜き書きもたくさんしてしまった。そして読みたい本もたくさんできてしまった。 "名前も知らないし、つながりもないのに、心が通い合い、いっときを過ごす。太い線でつながる、人との生...

いい読書の時間が過ごせた。1、2編意見が合わないものがあったが、それぞれ感じ入る文章ばかりで、抜き書きもたくさんしてしまった。そして読みたい本もたくさんできてしまった。 "名前も知らないし、つながりもないのに、心が通い合い、いっときを過ごす。太い線でつながる、人との生活や触れ合い、出会いだけで一日が成り立つのではない。そんなことをあらためて、少しだが思い出すことになる。  でも、試合は九回で終わってしまった。みんな球場から出て行く。気がつくと、おじさんもいない。春の夜だけが残っていた。" 19ページ 2編目の「春の声」でグッと心を掴まれた。 詩人の自作朗読に対する考えが興味深かった。今、割と普通に行われていると思うが、今もお考えに変わりはないのか。 文学者の国際交流に関しても辛辣だ。こんなこと言う人、他にいるのだろうか。 「陽気な文章」も面白かった。これが書かれた頃とは違い、今は作家や詩人がSNSで発信されることが非常に多い。自画自賛と言えば自画自賛も多い。今もお考えに変わりはないのか。 「会わないこと」とても好き。 茨木のり子「倚りかからず」についての「いつまでも『いい詩集』」は怖かった。改めて荒川さんのお顔をネットで確かめた(なぜ?) "はじめはともかく、最後は自分の頭で考え、考えただけではなく人々のために実行し、犠牲になった人たちの生き方にぼくは打たれるのだ。自分にはできないことなので、あこがれるのだ。いろんな理不尽なことが身のまわりに、社会にあるのに、ほとんどの場合、黙って眺めてぼくは生きている。何もしない。そんな自分であることを知っておくため、たしかめておくために蜂起した人たちのことを、その人たちの思いを心に残しておきたいのかもしれない。" 「秩父」127ページ "50歳を過ぎた。するべきことはした。あとはできることをしたい。それも、またぼくはこうするなと、あらかじめわかるものがいい。こんなふうな習慣がひとつあって、光っていれば、急に変なものがやってこない感じがするのだ。" 「クリームドーナツ」141ページ "人は「私」のように激しい破壊的な恋もできないし、出家もできない。その物語を明るく率直に人前で語ることもできない。誰もが「私」のような人にはなれない。なりたくてもなれない。だから「私」はおそらく多くの人にとって夢のような人物なのである。" 158ページ 瀬戸内寂聴「場所」読みたいと思っているのに全然読めてない。読みたい。 「ドン・キホーテ」について書かれた「釘」 "誰もが幻想をかかえて生きる。あの人のために生きよう、これがだいじと人はそれぞれれ何かを釘のように打ち付けて、生きる。だがそれらはすべてその人以外の人にとっては夢まぼろし。(略)  セルバンテスは四〇〇年たっても、それ以上たっても人間を「とらえる」ものの正体をさきがけて書き切った。人の心を支配するものはすべてまぼろしであること。だがそうして生きていくしかないこと。幻想の谷間で生きる人間の姿はすみからすみまで、その光も影さえもほろにがい。" 230ページ 「野菊の墓」について書かれた「おくれる涙」 "人は何かが起こらないかぎり気づかない。生きているということは、とりかえしがつかないことをつづけているだけだということがあきらかになる。" 244ページ 黒島伝治、恥ずかしながら名前も知らなかった。読んでみたい。 「散文」 "たとえば詩では「谷、三」と書く。あるいは、情景にはないのに「紫」と、突然書くこともある。これが詩である。個人が感じたものをそのまま表わす。他人には、なんのことかわからない。意味が通らないので、きもちわるい。だが詩は、ただ伝えるために書かれるものではない。個人の感じたものを、どこまでも保とうとする為に、そのような表現をとるのだ。詩は、標準的な表現をしないために、異様な、個人の匂いがそこにたちこめる。他人の存在や体臭をいとういまの人にはうっとうしい。詩のことばは異常なものとみなされ、敬遠される。では散文は、あやしくはないのか。「谷間の道を、三人の村人が通る」というように知覚しなかったのに、誰ひとりそう知覚しなかったのに、そのような文章が機械的に書かれてしまうということもありうる。それは不自然であり、こわいことだし、おそろしいことである。詩は、それがたとえ「異常」とみえるものでも、そう感じた人が確実にそこにいる。その一点では偽りはない。個人の事実に即したものである。" 287ページ

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