アレックスと私 の商品レビュー
研究者と研究対象の賢いヨウムのお話し。どれくらい賢いかというと、抽象的な数の概念や色の概念、数と色の組み合わせがわかっていたり、実験の意図の裏をかいて助手をからかったり、実験でヨウムがやるはずの作業を助手にやらせたり。ポイントは、この助手にやらせる作業を「言葉』で実現していること...
研究者と研究対象の賢いヨウムのお話し。どれくらい賢いかというと、抽象的な数の概念や色の概念、数と色の組み合わせがわかっていたり、実験の意図の裏をかいて助手をからかったり、実験でヨウムがやるはずの作業を助手にやらせたり。ポイントは、この助手にやらせる作業を「言葉』で実現していること。言語を使ったコミュニケーションは人間だけにできること、という従来の"常識"をひっくり返したこと。 著者は、それまで人間にしか(理解)できないとされてきた高度な認知が鳥にもできることとを、ユニークな手法で証明する。それまでの動物実験は、お腹を空かせた動物に特定の操作ができれば報酬としてエサを与える訓練が主流だった。(人間も含めて)生き物は特定の刺激に対しては特定の反応をするはずだ、という枠組みが研究者の共通認識だから。(オペランド条件付け) ところが著者は赤ちゃんが周りの大人の行動をみて学ぶような訓練方法を採用した。モデルがヨウムの目の前でよい対応と悪い対応の両方を見せる、よい対応をすれば報酬が手に入る、という方法。(モデル/ライバル法) もちろん、その方が比較すれば上手くいくということであって、実際の実験は苦労の連続。それらのエピソードも面白いし、失敗が新しい発見のもとになる話やアメリカの研究者の就職の苦労、MITメディアラボのぶっとび方など、ドキュメンタリーとしても科学エンターテイメントとしても面白い。 そして、その面白い話が突然、本当にパチンとスイッチを切られたように終わってしまう。ヨウムのアレックスの突然死によって。本書の構成の巧みさによって追体験させられた気分だった。えっ?終わり?えっ?まだ、その、これから?じゃないの? 個人的に非常に面白いと思ったのは、「賢さ」へのこだわり。著者のアイリーン・ペパーパーグは、「私は人間だけが特別に賢いとは思わない」と他の研究者のユダヤ・キリスト教的な人間観を批判する。神という完璧な存在を除けば、地球上のありとあらゆる存在の頂点に立つ人間と、ずっと劣った動物植物鉱物という序列。それに「賢い鳥」という矛盾する存在を通して揺さぶりをかける、という感じ。これは、クジラやイルカは賢いから殺して食べてはいけない(牛や豚はよい)という信念にも現れている、根強い世界観。 確かに著者は一矢報いたと言える。しかしその論法が「鳥も賢い」なので、「賢さを序列のものさしに使う」論の中で争っているだけで、賢さをものさしに使う発想そのものを肯定してしまっているように思えた。それほどまでに根強いのか。 役者と個人的な知り合いだからかもしれないけど、翻訳もよかった。日本語としての自然さ(読みやすさ)と日本語としての不自然さ(海外作品を読んでいる雰囲気)のバランスが絶妙だった。
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30年も毎日寄り添ったパートナーの物語だから、その別れのシーンはもちろん胸を打つ。研究者として、ヨウム一本に懸けるというその根性がものすごいな、とも思うし、研究者の厳しい環境についての物語としても読める。
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