日本習合論 の商品レビュー
本書腰巻きには次のようにある。 「外来のものと土着のものが共生するとき,私たちの創造性はもっとも発揮される。」 まさに,そういう本だ。日本人の以下のような生活は,いかにも豊かな生活習慣だと思うがどうだろうか。 年末には,クリスマスを祝って,除夜の鐘を聞いて年越しそばを食...
本書腰巻きには次のようにある。 「外来のものと土着のものが共生するとき,私たちの創造性はもっとも発揮される。」 まさに,そういう本だ。日本人の以下のような生活は,いかにも豊かな生活習慣だと思うがどうだろうか。 年末には,クリスマスを祝って,除夜の鐘を聞いて年越しそばを食べ,神社で初詣をして書き初めし,左義長に参加して,節分では鬼を払ったつもりになり,恵方巻きを食べ…というような生活。結婚式と葬式とはまったく違う宗教で行ったり…。 こんな生活は,他の国の人から見ると,いかにも節操がないように思えるが,それが日本人なのだから仕方がない。日本人は古来から,新しい文化と交わる度に,それを排除するというよりもいいとこ取りをしたり,複合させたりして,日本独自(に見える)文化を創ってきたのだろう。 世界には(あるいは最近は日本にも)「純粋になること」を主張する人たちもいるけれども,その純粋を人に求めるようになるところから悲劇は生まれるのではないか。トランプのアメリカ・ファーストが失敗したのは,米国が建国以来持っていた「混ざっているからこそのよさ」「混ざっているからこそのエネルギー」を活かすことをやめてしまったことによるのだと思う。 「まえがき」によると,日本文化は「雑種である」ということを指摘したのは加藤周一さんらしいが(『雑種文化 日本の小さな希望』1956年),内田さんは,さらに,次のようなことを本書で述べていきたいと言っている。 僕が書こうと思うのは,どうして日本人は雑種をおのれの本態として選択したのか? それはどのような現象に端的に表れているのか? そのもっとも成功したものは何か? 雑種ゆえの弱みや欠点があるとしたら,それはどういうかたちで表れるのか? そういった一連の問いです。…中略…雑種文化の原理論としては『雑種文化』一冊があれば足りると思います。でも,それを踏まえた「各論」をいろいろな人が書くことにも意味はあると思います。(本書 p.7) そして,内田さんは,「神仏習合」を典型的な事例として話し始めるのだ。 内田さんの形口は大好きなので,今まで何冊も読んできた。これもまた,また読んでみたい本である。 一カ所だけ引用を。すごい文章です。力づけられます。いいじゃないですか,今のあり方で。 ミスマッチを「悪いこと」だと考えるから傷つくんです。人生はミスマッチだらけです。僕たちは間違った家庭に生まれ,間違った学校に入り,間違った人と友だちになり,間違った相手と結婚して,間違った仕事を選んで,間違った人生を送る。そういうものなんですよ。それでいいじゃないですか。それだってけっこう楽しいし,そこそこの「よきもの」を創り出して,この世界に遺していけるし,周りの人からは「楽しそうな人生を送りましたね」と言ってもらえたりっするんですから。(本書,p.60)
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単純化への抗い。 としての習合。 レジリエンス。 多様性とは、 頭が大きいこと。 受け手の問題。 多様性という言葉の無責任さ。 自分は「ふつう」だという前提で語られること。 「多様」な側の人は「多様性」なんてわざわざ言わないのでは?
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中国もかつてのソ連と同じように、一度傾き出すと、復元力が働かず、政治的カオスが訪れるリスクが高い(p37) 京都から仏教色が一掃された時代がつい百五十年前にあった(p97) 「上書き」するか「併存」するか、世界の宗教はだいたいこのどちらかを選択するわけですけれど、日本人はそのどち...
中国もかつてのソ連と同じように、一度傾き出すと、復元力が働かず、政治的カオスが訪れるリスクが高い(p37) 京都から仏教色が一掃された時代がつい百五十年前にあった(p97) 「上書き」するか「併存」するか、世界の宗教はだいたいこのどちらかを選択するわけですけれど、日本人はそのどちらも採用しなかった。「混ぜた」んです(p111) 農業は社会的共通資本(p143) 自己利益の最大化よりも、定常的な共同体に帰属して、そこで社会的承認を得ることのほうが好ましいと思う人間もいる(p174) 相互扶助的な共同体は資本主義市場経済とは相性が悪い(p176) 贈与と反対給付によって回る「コモンの経済」(p178) この激しい行をを行う組織が上意下達ではなく、会員ひとりひとりの自主性に委ねる仕方で運営できるのは、根本に強烈なエリート意識があるからだと思います。他人に命令されないと何をしてよいかわからない人間はここにはいないということが前提になっている(p233) 明治末年から大正にかけて、青年たちにdecrntなるふるまいを選ばせる有効な倫理的規範として日本人の手元には武士道しかなかった(p236) 習合というのは破壊しないこと、排除しないこと、両立し難いものを無理やり両立させることだから(p277) 外来のものと固有のものが出会って、そこにアマルガムが生じ、ある種の化学変化を起こすときに、日本文化は多産で豊穣なものになる(p282)
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「習合」という言葉と、本書で取り上げている「明治維新の際の廃仏毀釈」に興味があり読了。「習合」の方は、古くは宗教や文字、最近は生活様式など、日本人は固有のものと外来のものを混ぜ合わせ、うまく調合して馴染んでしまう特徴があるという指摘。ただし、最近は外来が強かった時代の揺り戻しを感...
「習合」という言葉と、本書で取り上げている「明治維新の際の廃仏毀釈」に興味があり読了。「習合」の方は、古くは宗教や文字、最近は生活様式など、日本人は固有のものと外来のものを混ぜ合わせ、うまく調合して馴染んでしまう特徴があるという指摘。ただし、最近は外来が強かった時代の揺り戻しを感じるという。田舎暗いしや自然に変える運動などがこれ。もう一つは、著者がふと疑問を感じた「それまで1000年に渡って多くの人々の信仰や生活の中心だった仏教を、明治政府はあっさり否定し神道に統一するよう国民に求めたのだが、さしたる混乱もなく移行した。なぜ抵抗運動が起こらなかったのか」という疑問。他の宗教では考えられない政府による「改宗」を国民、さらには当事者も淡々と受け入れている。この二つの行動様式から、民主主義、資本主義、公共とは何か、会社のありようとは、などを検討する一冊。内田氏らしい(話が脇道に逸れる部分も多いが)一定方向からの指摘はとても参考になる。
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「判断の留保」「渾沌を嫌がらない」という、内田先生のいつものお話。「ぬっぽんをとりもろす」とのたまっていたあの方への強い嫌悪感を今回もビシバシ感じた。そして今回はハラリさんの『サピエンス全史』を読んだ後だったので、ふむふむと頷きながら読む箇所多し(ハラリさんは同書において善と悪の...
「判断の留保」「渾沌を嫌がらない」という、内田先生のいつものお話。「ぬっぽんをとりもろす」とのたまっていたあの方への強い嫌悪感を今回もビシバシ感じた。そして今回はハラリさんの『サピエンス全史』を読んだ後だったので、ふむふむと頷きながら読む箇所多し(ハラリさんは同書において善と悪の二分法は不毛だと指摘されている。イスラエルで育ちながらその結論に達したこと自体、すごいことだと私は思う。ユダヤの人々がそのように根源的な考察を行えることの秘訣をユダヤの教典の在り方に見ているのは内田先生)。「純化」は歴史上繰り返し登場してきたたくさんの単細胞ちゃんたちの見果てぬ夢。単細胞ちゃんたちは、自分に理解できないモノ即悪、と断定して知的負荷を極小化し、気持ちよく暮らそうとする。そして余った時間は「生産性」を上げることに使えって言う。あー、そう言えば今の職場にもいるなぁ……。その人は小説は読む価値なし、ノンフィクションこそ読むべき唯一の本って言ってたっけな。私ゃ、空いた口が塞がらんかったけど、まぁ、そうなのかもと思ってノンフィクションもしばらく読んでみたんだった。おかげで、ブレイディみかこさんの著作や『エンド・オブ・ライフ』という良書にも出会えたので、異物との出会いという意味では、私にはプラスの衝撃になった。結果的に、だけど。うん、「判断の留保」、大事だね。喧嘩しないと吸収できるものが増えるんだナ。でも、私、彼女に噛みつきそびれちゃったから、彼女にとっては得るもの無しなのかも。ちと、申し訳なくはある。 読めば読むほど、知的世界の賢人たちは根源的なところを共有しているのだと感じてしまう。これ、感覚でしかなくて論理的に証明しろって言われると非常につらいのだけれど、少なくとも、内田先生、鷲田先生、ハラリさん、については言っていいんじゃないのかなぁ?もっと広く深くたくさん本を読んでいる方、誰か教えてください。 さて、次は内田先生の何読もう?ユダヤ論かな?武道的思考にしようかな?
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本を開くとまず「なにこの引用書体?」という想定外のワクワク感。色々分からないまま、ふんわり「おもしろいなぁ」と読み終えてしまった。あたりまえがあたりまえの不思議、みたいな感じで話が大きすぎて迷子になる。クラフトボスのCMの、新しい風に当たった気分。
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今知りたかったことが全部書いてあった。今知りたいことを事前にすべてリストアップすることは不可能だと思うが、読み終えてそう感じた。
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書き下ろしなのだが、普段から内田先生のお書きになったり、お話になったものに接しすぎて、初めて感みたいなものはほとんどなかった。
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本のたたずまい(装幀)にひかれて購入。基本的には今の日本(だけではないかな)の社会に対する批判かな。著者も書いている「話を簡単にすべき」という風潮、意見を異にする人を排斥する傾向等々。そういうものに対し、もっとゆるく対応しようということだと思う。確かに内田樹さんは「本来の保守」的...
本のたたずまい(装幀)にひかれて購入。基本的には今の日本(だけではないかな)の社会に対する批判かな。著者も書いている「話を簡単にすべき」という風潮、意見を異にする人を排斥する傾向等々。そういうものに対し、もっとゆるく対応しようということだと思う。確かに内田樹さんは「本来の保守」的なようだ。 なお、本文中で出されている疑義、「なぜ廃仏毀釈にたいする組織的抵抗がほとんどなかったか」については、日本人が神仏に対し宗教という感覚をあまり持っていなかったのではという仮説はどうなんだろう。伊勢参りなどはほとんど物見遊山だったようだし、有名な神社仏閣のそばには遊廓がつきものだし。まあ、坊主自体があまりちゃんとした信仰を持っていなさそうということもある(一部はちゃんとしていたとは思うが)。その辺現在もあまり変わっていないのが日本的特質なのかも。
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いやあ、5章、6章がおもしろすぎて、後半は今日一気に読んだ。まあでも、だいたいおもしろいと感じられるのは、自分がふだん考えていることに近い考えが書かれているから。というか、いつ自分がそういう考えを持つようになったのか。内田先生の以前の著作からか、養老先生か、梅棹先生か、最近だった...
いやあ、5章、6章がおもしろすぎて、後半は今日一気に読んだ。まあでも、だいたいおもしろいと感じられるのは、自分がふだん考えていることに近い考えが書かれているから。というか、いつ自分がそういう考えを持つようになったのか。内田先生の以前の著作からか、養老先生か、梅棹先生か、最近だったら「ブルシット・ジョブ」とか「人新世の「資本論」」とか、ツイッターからか。だいたい、ツイッターでフォローするのも自分の考えに近い人ばかりになるから、みんながそんなふうに考えていると思ったら大間違いで、そこがあぶない。原発事故のときにそれを強烈に感じた。まあ、とりあえずはいろんな人の考えも聞き、そんな考えもあるわな、でも自分はこうかなあ、などとぐちゃぐちゃ考え、そのうち折り合いをつけていくのがいいのだろう。以前、一緒に仕事をしていた人(まあ一般的には部下)が、部長面談か何かで、上司が指示をあまりしてくれないので困る、と言っているというのを聞いたことがある。何にも言われんでもやってくれる人が理想なんやけれど、気付いた人がするという具合にしていると、いつも一部の人だけが動くことになるんやな。そこがつらいけど、まあ、言われてする仕事は自分がしたくないから仕方ないなあ。ということで、旧制高等学校のような組織がまたできるといいなあ。そして新しいコモン。凱風館、魅力的だなあ。でも、合気道かあ。昔、舞踏のワークショップにはしばらく通ったけれど。稽古のあとには焼酎お湯割りとか、国立ワインをたらふく飲まされた。そのころは、もっとスリムだったけど、いまは腹が出てしまったしなあ。なんとかせねば。
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