サディがいるよ の商品レビュー
サディは、理想の子どもなのではないでしょうか。素晴らしく豊かな想像の世界を持ち、だからといって、その世界に籠っていない。友だちが外にも内部にもいる。自分の手でものを作り、心でお話を作ることができる。「つくりたいもの、やりたいこと、なりたいものが、ありすぎる」から、早起きしても「1...
サディは、理想の子どもなのではないでしょうか。素晴らしく豊かな想像の世界を持ち、だからといって、その世界に籠っていない。友だちが外にも内部にもいる。自分の手でものを作り、心でお話を作ることができる。「つくりたいもの、やりたいこと、なりたいものが、ありすぎる」から、早起きしても「1にちが ぜんぜん たりない」ほど濃密に生きている。 何より素晴らしいのは、他人がサディをどう思っているのか、サディが他人にどう思われようとしているのかが、一言も語られないことだと、私は思いました。サディはサディとして完璧であり、何一つ欠けていないのです。そして、誰でもその人として完璧であることに思いを馳せたいな。
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カナダの作家、「サラ・オレアリー」の文と、「ジュリー・モースタッド」の絵による、想像力の素晴らしさを教えてくれる絵本。 最初、ダンボール箱があり、その中から頭だけがのぞいているのが見える、その女の子が「サディ」。でも、彼女が言うには、それはダンボール箱ではなくて大きい船で、...
カナダの作家、「サラ・オレアリー」の文と、「ジュリー・モースタッド」の絵による、想像力の素晴らしさを教えてくれる絵本。 最初、ダンボール箱があり、その中から頭だけがのぞいているのが見える、その女の子が「サディ」。でも、彼女が言うには、それはダンボール箱ではなくて大きい船で、今それに乗って広い広い海を旅しているんだって。 その証拠に、その次のページには、鳥と向き合いながら、ゆったりと船首に頬杖ついて陸地を探している彼女がいて、想像力だけで、こんな大航海が出来るなんて、人間の頭の中は凄いね。 そして、サディにとって最高なのは、友達と遊ぶときで、そこには近所の友達もいれば、本の中の友達もいて、そのプールになった本の見開き一面の中には、今まさに飛び込もうとしている彼女を歓迎しようと、いろんな友達が(もちろん人間だけではない)、水面に浮かびながら待っていて、こうした視点で見ると、本に出会った数だけ友達が増えるような、そんな印象も抱かせてくれる。 それから、想像力の素晴らしさはそれだけではなくて、物語のいろんな登場キャラクターになって、その世界を旅することだって出来るし、更に、物語自体も作り出すことが出来て、しかも、それに制限なんて無い。なんでもありだし、他人に評価されることもなく、自分が楽しめればそれでオッケーで、そんな自由な能力を実は持っていることを、改めてサディは教えてくれた。 そして、おそらく、その世界は人それぞれで違うだろうから、想像の世界にいる彼女も、現実と同じ彼女自身だということが実感出来るし、それは本書の中にも、見返しによるお気に入りの服の色と模様から、サディという一人の女の子を感じ取ることが出来る、確かな個性と存在感である。 モースタッドの絵は、同じカナダ生まれのイザベル・アルスノーもそうだが、色合いにどこか似通ったものを感じ、その深い緑、コバルトブルーやネイビーまでいってしまうような濃い青等の、眩しい華やかさこそないものの、手つかずの自然を思わせる落ち着いた深みを感じさせるものと、それとは対照的に、ミントブルーや、サーモンピンクのグラデーション等の、淡く透き通った爽やかな儚さが、見事に同居した印象であり、この色の使い方には、カナダ特有の何かがあるのか、とても気になりました。
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想像力のかたまりみたいな女の子、サディ。 全体的にふわっとした印象。 「THIS IS SADIE」が「サディがいるよ」と訳されているところは違和感を感じます。 3-7歳レベルなので、原書で読みたい本。
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サディの一日。 サディにはお友だちがいっぱい。 近所のお友だちも。空想のお友だちも。 本が大好きなサディは、海の中を自由に泳ぐこと、不思議なティーパーティー、ジャングルでの遠吠え、あちらこちらに時間が足りないくらい。 サディだった人に沁みる絵本
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