渋沢栄一と勝海舟 の商品レビュー
少し齧った渋沢栄一のプロフィールから幕末前後と勝海舟の存在に触れる機宜になればと読んだため 途中の歴史事項の列挙は教科書的な興味しか湧かなかったが、実業家の俊英として見聞きした渋沢栄一にとっての慶喜公の存在というものが その恭謙のいきさつが果たして一義的に書評できるものかはさてお...
少し齧った渋沢栄一のプロフィールから幕末前後と勝海舟の存在に触れる機宜になればと読んだため 途中の歴史事項の列挙は教科書的な興味しか湧かなかったが、実業家の俊英として見聞きした渋沢栄一にとっての慶喜公の存在というものが その恭謙のいきさつが果たして一義的に書評できるものかはさておき、非常に大きなものだったことが分かった。
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見る立場によって、こうも見方が変わるかと思った対比人物伝。 片や恩人(渋沢)、片や主君だけど散々手を焼かされた(勝)。 相手が二心殿と呼ばれた慶喜だから、猶の事複雑さが増している。 本書を読んで、より一層幕末明治のゴタゴタに触れた気がする。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
幕末から明治にかけての徳川慶喜、勝海舟、渋沢栄一、3人の動きやそれぞれの考えがまとめられた一冊。その時々のそれぞれに対する心情までもよく書かれている。 ただ、サブタイトルに(栄一と回収の)「二人の暗闘」とあり、また海舟の死をもって「栄一と海舟との水面下での戦いも終わった」と書かれており、あたかも二人の間で論戦があったかのような記述があるが、実際は、明治も進んだ頃に、まだ慶喜が静岡に引っ込んだままなのは、海舟のせいだと思い込んで、海舟に一方的に不満を持っていただけのようである。私はサブタイトルから、福沢諭吉と海舟の間にあったようなやりとりが、この二人の間にもあったのかと期待して読み進めたが、どうもそのようなことはなかったようである。 ちょっと肩透かし。 また、栄一が最初に海舟に会ったときに小僧扱いされて、ムッときたのが、そもそもの始まりのような記述があるが、私が読んだ限りでは、栄一は「伯(勝)とは好んで会ったものである。(海舟の気力が)全然段違ひで、、、、小僧のやうに眼下に見られ、、仏蘭西引揚には、、、などと褒められなんかしたものである」と懐古しており、ずっと後に海舟の慶喜への対応に不満を持ったきっかけだったとは思えない。 この時栄一28歳、海舟45歳。むしろ小僧扱いされても褒められて嬉しかったのではないか、だから「好んで会った」と思われる。 二人の間に暗闘はなかったというのが私の結論である。
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朝敵となった徳川慶喜に生涯忠誠を尽くした渋沢栄一と、慶喜に30年間も「謹慎」を強いた勝海舟。共に幕臣であった二人の対立を描き、知られざる維新・明治史を解明。
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渋沢栄一関連本として読んでみました。 本書では、一橋(徳川)慶喜を軸にして、渋沢栄一という車輪と勝海舟という車輪を左右にはめ、幕末から明治、大正にかけての日本の政治の歴史をたどっていきます。 第一章では栄一と慶喜の関係、第二章では海舟と慶喜の関係が書かれ、第三章で栄一と海舟...
渋沢栄一関連本として読んでみました。 本書では、一橋(徳川)慶喜を軸にして、渋沢栄一という車輪と勝海舟という車輪を左右にはめ、幕末から明治、大正にかけての日本の政治の歴史をたどっていきます。 第一章では栄一と慶喜の関係、第二章では海舟と慶喜の関係が書かれ、第三章で栄一と海舟が出会います。第四章で栄一も海舟も明治政府に出仕することになり、第五章では政府を去った二人がそれぞれの立場から政府を助けます。そして第六章で、慶喜の名誉ひいては徳川家の名誉の回復と、海舟の死、慶喜の死、栄一のその後が書かれます。 本書では、実業家としての栄一ではなく、慶喜に忠誠を尽くし続けた栄一の姿が印象的。先に読んだ『渋沢栄一 人間の礎』(童門冬二著)の栄一とはまた違った一面が見られて、興味深く読みました。また勝海舟の生涯もよくわかったし、幕末の政治史の流れもスムーズに理解できたし(彰義隊のリーダーが栄一の従兄弟である喜作改め成一郎だったとは知らなかった!)、そして何より、大政奉還後に日本史の舞台から降りた慶喜がどこでどうしていたのかを知ることができたことは、とても大きな収穫でした。 読み終わったとき、なんだかホッとして大きな感動に包まれました。慶喜と栄一と海舟の三人に、本当に大変だったね、ありがとう、お疲れさまでした、と伝えたいです。 著者については、本書を読んだのが初めてでよく知らなかったのですが、調べてみたら他にもたくさん日本史関連の著書があることを知りました。しかも、その中の一冊を持っていることが判明……。なんかすみません、あとでそちらも読みます、はい。
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