なぜ原爆が悪ではないのか の商品レビュー
バーベンハイマー騒動関連で読む。米国が有権者の意図とは無関係に帝国主義覇権国家の地位を英国から受け継いだ際に過剰に投下したナラティブが一番の原因であると理解した。日本の被爆者の活動すらもその補強に利用されてしまっている。
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大変勉強になった。 一つの事実が、「語り」によってこんなにも受け止め方が変わるのか。 アメリカの核兵器に対する受け止め方や内情を知ることができた。知ることが、一歩先へ進む大事なステップだと感じた。
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面白かった。アメリカ人の戦争感とか原爆についての意識について考えていたところにバーベンハイマー騒動があり、この本を読んで勉強になった。世の中は知らないことだらけだなぁ…
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結果的にヤベー、という感想。トンデモ本ぽい。 最初はよかった。 米国では子供が戦争で死んじゃうような話があまりないから、被曝者の子供の話をしてもピンとこないとか、被曝者の話を聞かせても、披露してくださった勇気と姿勢に感銘しました的な感想になって、的外れだとか言ってて、じゃあその理...
結果的にヤベー、という感想。トンデモ本ぽい。 最初はよかった。 米国では子供が戦争で死んじゃうような話があまりないから、被曝者の子供の話をしてもピンとこないとか、被曝者の話を聞かせても、披露してくださった勇気と姿勢に感銘しました的な感想になって、的外れだとか言ってて、じゃあその理由って何って展開だと思うんだけど。 米国の男性性とか、核家族化とか、ジェンダー問題に持ってった。 ひえー。 ま、そういう点はないとは言わない。 家庭の軍隊化というが、実際にあの頃はソ連との核戦争を本気で心配していたわけだし。 そもそも、原爆が絶対悪というテーゼが全く証明されていない。 つかこの人、核と原爆の課題を全く一緒にしている。 電子レンジも「核」だとかいう点で触れてるし。 知見が乏しい時代の無知による被曝の問題とか、同じ地平で取り上げてもしょうがないじゃないですか。 現実、核爆弾が存在していて、全部が一斉に漏れなく廃棄できる確証がない限り、んで、ズルする奴にはそれなりに意図があることを考えれば、もうちょっと現実を見ないといけないんじゃないですか。 第二次世界大戦自体がきちんと総括され切ってないこともあると思うけど、私はこう思うな、と言われても、しんどいよ。どれだけ資料を提示されても。
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著者はシカゴ大学生大学院で修士・博士号を取得し、シカゴのデュポール大学で倫理学を教えている。彼女の講義では「原爆論説」や「核の時代」を取り上げるが、そうしてアメリカの学生と核兵器や被爆について語り合う時、そこに幾らかの違和感を感じてきたとしている。 その違和感はどこから来るのか?...
著者はシカゴ大学生大学院で修士・博士号を取得し、シカゴのデュポール大学で倫理学を教えている。彼女の講義では「原爆論説」や「核の時代」を取り上げるが、そうしてアメリカの学生と核兵器や被爆について語り合う時、そこに幾らかの違和感を感じてきたとしている。 その違和感はどこから来るのか? 簡単に言ってしまえば、日本人の多くはヒロシマ、ナガサキの核の被害を知り、核兵器に対して否定的な感情、非人道性を強く感じる。 一方でアメリカ人はヒロシマ、ナガサキのことを知っていたとしても、トルーマン大統領の有名な発言である「原爆が終戦を早めたことによってアメリカと日本の双方の死者を救った」という意見や、非人道性は核兵器の使い方の問題であって、核自体の問題ではないように考えているように思われる、という点だ。 著者はその日本とアメリカの齟齬を、核開発国であったアメリカが、その核開発を肯定するため、「国防」という重要事項を優先するために、不都合な真実を覆い隠すために作り上げた思想ではなかったかと、アメリカの歴史をだとって行く。 そこには、かつては放射性物質を健康促進のための薬や食品として販売し多数の健康被害を生んでいたり、核兵器工場跡が観光施設として利用されているという事実と、そこに健康被害があったとしても、町の観光資源であったり、働き口であったりするために、避難する声を上げられないという、日本でも見られるような圧力があるということを掘り起こしていく。
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善と悪とが明確な姿かたちを表してさえいれば、倫理学とはすべての事象を善と悪とに仕分けるだけの平易な学問になっていたかもしれない。そううまくいかないのはつまり、ある人にとっては悪であっても、別の人にとっては善だからだ。人類はゾロアスター教の発生時点からその矛盾に気づいていた。善がす...
善と悪とが明確な姿かたちを表してさえいれば、倫理学とはすべての事象を善と悪とに仕分けるだけの平易な学問になっていたかもしれない。そううまくいかないのはつまり、ある人にとっては悪であっても、別の人にとっては善だからだ。人類はゾロアスター教の発生時点からその矛盾に気づいていた。善がすべてアフラ・マズダの姿で見えていれば、迷うことがないのに、と。 だが著者の宮本さんは、アメリカでの核に関する考え方について、アーリマンが平気な顔でアフラ・マズダの姿で出現していることにショックを受ける。 なぜそのような矛盾が、科学大国のアメリカで大手を振ってまかり通っているのかを、少しずつ紐解くように説明しているのが本書。 難解さを避けるように丁寧でやさしい語り口が一貫されていて、かつ、220ページ程度と比較的薄い本なので、高校生でも読み通せると思う。そして、核認識論と並行して、著者がもう一つ極めようとしていると思われる「ジェンダー論」にも多くの記述が割かれているので、原爆や核の問題を過去の遠い問題とせず、ぐっと現代に引き寄せているように感じられる。 著者の主張の要点を私なりに要約すれば、「核に関しては、意外と知らないところで放射性物質に晒されているなど誰もが核被害者になりうる。したがって、被害の本質を正確に理解することで、人類が核を扱うことの課題や危険性が見えてくる」ということ。 そしてなおかつ、「核に関する善と悪の区別が正確に認識されない最大の要因は、課題が可視化できず、課題の本質が別の課題(政治的・社会的な)によって覆われてしまっている」こと。そのため、その被膜を剥がし、核被害の本質を誰もが理解(納得)できる言葉で語れるようにすることが課題解決への道筋だという。 だとすれば、課題の本質の抽出を徹底的に究めればよいのでは?ということになるのだが、私はそう簡単ではないと考えている。 例えば、本書P67にも見える、ウルトラセブン第12話のエピソード。スペル星人は放映後に出た学習雑誌の付録で「ひばく星人」と書かれ、星人の体表はよく見るとケロイドらしき模様のデザイン。だが、果たして被ばく者を侮辱するものとして放映禁止にすべきなのか?作家の林京子さんも同様にスペル星人騒動を原爆被ばくが風化したゆえに起こった問題と書いていたが、本当にそうなのか?正直疑問に感じている。 だって、スペル星人は架空だし、自星での核実験に失敗して星人全体で体の異常が生じ、地球人の血液から白血球を奪おうとするストーリーも、よく考えれば、地球での実際の原爆や核実験とは直接リンクしないフィクションだ。 だが核被害者からそのストーリーが認容できないと言われれば、誰もが共通認識として「スペル星人の回=悪」として否定や排除をしなければならないのだろうか?スペル星人を批判する人は実は“本当の敵”を見ずに(見えずに)蜃気楼を相手に戦おうとしているだけでは? 宮本さんのこの本の主題からは大きく離れるが、認識の違いを善悪に振り分けることの難しさを示したかったので、あえて挙げてみた。 例示のとおり、スペル星人の回の放映可否ですら意見は二分するのだ。いわんや核認識では文化や政治的背景が異なるなかで何十年もかけて醸成されてきており、人々の認識は簡単に変わらないぞ、という思いが改めて強くなった、というのが読後の正直な感想だ。 ただし、宮本さんが「今の状態は善意の第三者に被害のしわ寄せがいくように仕組まれている」という趣旨の記述を繰り返していることによって、自分自身をその一人として想像してみれば(この「想像」という作業がとても大切)、人類はどちらに向かうほうが“賢明”なのかという方向性は認識できた。 その方向性を誤らないためにも、様々なテキストを読み込み、声の大きさや周りの流れに紛らわされず(SNSの多くのゴミクズみたいな意見に一々右往左往せず)、自ら明瞭な言語で語り、他人や後世へ語り継ぐ責任を明確にするという、至極当たり前な(だけどなかなかできない)ことを改めて自分に課してみたい。
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著者はアメリカの大学で核倫理を 教えている。 自身は広島出身の被爆二世という立場であるので 他の人よりも 原爆について近い存在である。 戦争が長引けば アメリカ兵のダメージが大きくなるので 早めに終わらせたいという話は聞いていたし 敗戦国と戦勝国との 考え方の違いはあるし 日本...
著者はアメリカの大学で核倫理を 教えている。 自身は広島出身の被爆二世という立場であるので 他の人よりも 原爆について近い存在である。 戦争が長引けば アメリカ兵のダメージが大きくなるので 早めに終わらせたいという話は聞いていたし 敗戦国と戦勝国との 考え方の違いはあるし 日本人は 原爆は投下されたと思っているけど 実際はアタックされているんですよね。 この辺りの感じ方の違いなどを読んでみたいと思いました。 やはり 学生さんたちの考えは全然違っていた。 被ばく者が 生きて 語らう姿をみて 日本人なら つらかったねとか 共に寄り添う思いが出てくるけど 彼らは 生きて悲惨な状況だった話を語り継いでくれてなんと強い人なのでしょうという反応だったそうです。 アメリカ人らにとって 原爆、原子力には 生活の為に必要なものであって コントロールできるものである。 という イメージなのです。 戦後は 核を持ってる事が すなわち 平和に必要なものだという 考えである。 彼らにとって 持っていない事が危険な事であり 核兵器を「クリーンな爆弾」と呼び 正義であるという印象をつけていました。 「死の兵器」ではなく 「新しい生命」のメタファーとして。 だから 「リトルボーイ」というような 愛称で呼ばれていたのも納得です。 アメリカも日本の戦時中同じように 女性が家庭を守る事が 勝利につながるという事を宣伝していた。 家事をきちんとこなすことによって (家の中がきれいになって逃げ道などが確保されるので) 生存率を上げると 説明していたようです。 日本の被爆者の女性たちを アメリカに呼んで 手術などしたりして アメリカという国は 大きくて強くて優しいという イメージを作っていったそうです。 しかし 一方でマーシャル諸島(ビキニ環礁)では 継続的な核実験を行い続けていった。 そして 地元の人々の生活そして身体を蝕んでいった。 が裁判で訴えても 棄却されてしまった。 そういう状況でも 放射線の恐ろしさを調べている科学者もいた。 アメリカ本土での実験のあと 近隣の牧草地の牛の牛乳からセシウムが そして住民の乳歯などからヨウ素が 見つけられた。 驚くのは 放射性物質についての情報が入手されていた時期に 「牛乳推進キャンペーン」を やっていたそうです。 恐ろしい事に 放射能人体実験も行っていたそうです。 ニューメキシコ州のジャーナリスト、アイリーン・ウエルサムが 1993年に 「プルトニウム実験」という記事を書いて 隠されてきた人体実験の実態を暴きました。 その後「プルトニウム・ファイルズ」という本にまとめている。 (渡辺正訳 翔泳社 2000年) 妊婦に放射性鉄分を含んだ飲料を 飲ませたりした そうです。 日本でもそうですが 施設関係で働いていたりすると 被ばくが原因の被害を言えないという事があります。 政治がこういう事を隠して 自衛には 核が必要と 声をあげています。 原爆だけではなく 放射性物質による健康被害が古くからあったそうです。 ラジウムを使った工場で働いていた女性たちが多く亡くなっていったので 原因を追究して訴えて 勝訴したけど残念ですね。 さらに 驚くことに このラジウムを使った製品が沢山あったそうです。 健康飲料にも使われていたとは。そして それらを飲んだ人達は残念な結果になったそうです。 その方の遺体からは強い放射線が出ていたので鉛の棺桶を使用したそうです。 そして死後33年に 残留放射能を測ったところ まだ大量ラジウムが残っていたそうです。 内部被ばくの方が 外部被ばくよりも 常に中から被ばくし続けるという事です。 1950年台には ラスベガスで核実験場のキノコ雲を観光資源にしていたそうです。 多くの人がこれで被爆したかどうかは調べようがなかったみたいです。 他にも 原子炉などでも 見学ツアーがあって 安全だから 観光客を入れるのですという。 被ばくという 負の部分を完全に覆い隠して 核がある事が 平和で快適な生活になると 言い続ける人達。 被爆国である日本だけが 被ばくしていると思っていましたが 核をどんどん開発している アメリカも 凄い被爆国なのだと わかりました。 論文のようで ちょっと読みにくい本でしたが 勉強になりました。 こういう本は 多くの人に読んでもらいたいです。
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題名通りの本。 アメリカで倫理学を教える著者は被爆二世。広島出身。なぜ日本では絶対悪の原爆がアメリカでは悪と思われていないのか様々なワークショップや講義を通じて探求した結果書かれた本。人は同じ語りを聞いても騙りを、受け入れる素地が異なっていれば全く違う簡素を持つということに納得し...
題名通りの本。 アメリカで倫理学を教える著者は被爆二世。広島出身。なぜ日本では絶対悪の原爆がアメリカでは悪と思われていないのか様々なワークショップや講義を通じて探求した結果書かれた本。人は同じ語りを聞いても騙りを、受け入れる素地が異なっていれば全く違う簡素を持つということに納得した。被爆者が体験談をアメリカではなしても、聞き手は「そんな辛い体験をしたのに積極的に生きていてあなたはヒーローだ」と言われる。平家物語の無い国なんだ。だからこんなに辛い思いをしたんでする、だけでは受け入れてもらえないという事に驚いた。そういえば韓国にはパンソリという芸能があるが日本人で好きな人はあまりいない気がする。悲しみ方が日本人には分からないんだろう。知識よりも感情の受け皿、理解の受け皿が必要であるという私の蒙をひらいてくれた本でした!
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
アメリカ人には原爆の悲惨さを素直に認める理解のフレームができていない、ということかな? 日本が侵略した地域に対する日本人の意識もそうかもしれない。 また、つい最近も、a Manhattan Projectという表現で、関係者が問題解決のため一丸となって取り組む事例として使われている例を発見した。
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