世界哲学史(5) の商品レビュー
世界哲学史完読チャレンジも5巻(14世紀~17世紀)まできた。まだまだ西欧はアリストテレス主義のよう。それでも、大航海時代、活版印刷術の発明、宗教改革、ルネサンス。スコラ哲学、キリスト教、ホッブス・スピノザ・ライプニッツ、近代朝鮮思想、中国・陽明学、日本・朱子学。各章末にある参考...
世界哲学史完読チャレンジも5巻(14世紀~17世紀)まできた。まだまだ西欧はアリストテレス主義のよう。それでも、大航海時代、活版印刷術の発明、宗教改革、ルネサンス。スコラ哲学、キリスト教、ホッブス・スピノザ・ライプニッツ、近代朝鮮思想、中国・陽明学、日本・朱子学。各章末にある参考文献、2000年代に入ってからのものが多い。新しい知見が豊富に生まれているということだろう。
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※このレビューにはネタバレを含みます
トマス・アクィナス以降、スコラ哲学は行き詰まりを見せる。オッカムが唯名論を唱えて実在論に基づく中世は終焉を迎え、デカルト・スピノザ・ライプニッツら数学的な議論に基づく哲学が登場する。
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《目次》 ・第1章 西洋中世から近世へ ・第2章 西洋近世の神秘主義 ・第3章 西洋中世の経済と倫理 ・第4章 近世スコラ学 ・第5章 イエズス会とキリシタン ・第6章 西洋における神学と哲学 ・第7章 ポスト・デカルトの科学論と方法論 ・第8章 近代朝鮮思想と日本 ・第9章 明...
《目次》 ・第1章 西洋中世から近世へ ・第2章 西洋近世の神秘主義 ・第3章 西洋中世の経済と倫理 ・第4章 近世スコラ学 ・第5章 イエズス会とキリシタン ・第6章 西洋における神学と哲学 ・第7章 ポスト・デカルトの科学論と方法論 ・第8章 近代朝鮮思想と日本 ・第9章 明時代の中国哲学 ・第10章 朱子学と反朱子学
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・神の存在を認識することで、私たちには自由な意志が具わっているということに対する確信を乱すべきではありません。私たちは、意志の自由をみずからの内において経験し、感じ取っているのですから。
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第1章 西洋中世から近世へ 第2章 西洋近世の神秘主義 第3章 西洋中世の経済と倫理 第4章 近世スコラ哲学 第5章 イエズス会とキリシタン 第6章 西洋における神学と哲学 第7章 ポスト・デカルトの科学論と方法論 第8章 近代朝鮮思想と日本 第9章 明時代の中国哲学 第10章 ...
第1章 西洋中世から近世へ 第2章 西洋近世の神秘主義 第3章 西洋中世の経済と倫理 第4章 近世スコラ哲学 第5章 イエズス会とキリシタン 第6章 西洋における神学と哲学 第7章 ポスト・デカルトの科学論と方法論 第8章 近代朝鮮思想と日本 第9章 明時代の中国哲学 第10章 朱子学と反朱子学
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『世界哲学史』5巻を読んだ。バロック時代。デカルトがモリナやスアレスなどのイエズス会の系譜で書かれていて、やっぱりそうでしょと思う。利子肯定論のオリヴィとか、徂徠学が朝鮮や清朝で読まれていたこともおもしろい。朝鮮儒学の歴史も興味深い。
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世界哲学史も西洋の歴史区分でいう中世から近世へと時代が進んできた。近世をアーリーモダンというならば、すでに近代の賭場口か。 自分自身の本巻への興味関心は何と言っても「第3章 西洋中世の経済と倫理」に集中するのだが、「第2章 西洋近世の神秘主義」ではあらためて「知への愛」に気がつ...
世界哲学史も西洋の歴史区分でいう中世から近世へと時代が進んできた。近世をアーリーモダンというならば、すでに近代の賭場口か。 自分自身の本巻への興味関心は何と言っても「第3章 西洋中世の経済と倫理」に集中するのだが、「第2章 西洋近世の神秘主義」ではあらためて「知への愛」に気がつかされたし、「第5章 イエズス会とキリシタン」では東アジアから西欧へのインパクト、あるいは「理」と理性をめぐってのスリリングな東西の議論、「第7章 ポスト・デカルトの科学論と方法論」ではホッブズ、スピノザ、ライプニッツそれぞれの「方法と自然哲学」の比較考察が興味深かった。 第3章の叙述によれば古代以来の「等価性を基本とする理論的枠組みは現実から乖離したものであ」り、その枠組みは13世紀まで続いていたのだが、「一三世紀末には利子肯定論が登場するのである。これは、単なる経済史の問題ではなく、法学、哲学、神学などの基本的枠組みの変更をめぐる根本的変革であった」(pp.77-78)。第3章2節「清貧と経済思想」以降は全部引用したいほどだが、オリヴィという「謎の」思想家の思想に、13世紀に原型が成立していた数多ある資本主義の諸契機、つまり「営利活動の霊的世俗的側面の両面における正当化、資本の自己増殖、人間の目的論的意識的活動を越えた経済システム、実体主義から関数主義へ、価値の抽象化、数量性、未来の時間概念の組み込み、非存在の実在性、貨幣概念の変革、交通流通システムの激変、空間性の消失などなど」(p.93)の思想的裏付けが見出されるという点は非常に重要だろう。 そして、オリヴィの思想の根幹にある聖霊主義は、フィオーレのヨアキム、アッシジのフランチェスコに由来するものであり、「富とは蓄積されるものではなく、「情報」と同様に、社会に貫流し流通し続ける限りにおいて富であるという点で共通する。 詳細は大黒俊二『嘘と貪欲』(名大出版、2006年)を読めということなので、是非読んでみたい。
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タイトルは、中世ということになっているのだけど、「バロックの哲学」というサブタイトルにあるように、西欧だと、いわゆるルネサンス〜バロック、フーコーなら「古典時代」とでもいいそうな時代の話になっている。日本だと江戸時代の儒学の話とかでてきて、いわゆる「中世」というより、「近世」とい...
タイトルは、中世ということになっているのだけど、「バロックの哲学」というサブタイトルにあるように、西欧だと、いわゆるルネサンス〜バロック、フーコーなら「古典時代」とでもいいそうな時代の話になっている。日本だと江戸時代の儒学の話とかでてきて、いわゆる「中世」というより、「近世」という時代区分の話かな? 西欧哲学では、ついに(?)デカルトがでてきて、スピノザ、ライプニッツと続いて行く。神学なのか、哲学なのかよくわからない「スコラ哲学」が、いわゆる近代的な「哲学」に転換する時期と常識的には思うのだけど、ここでは、デカルトも「スコラ哲学」的な発展の連続性のなかででてきて、この辺にこのシリーズのスタンスがでているな。 そういういわゆる「中世」と「近代」の間に挟まれたこの時代は、ガリレオ以降の自然科学の発達も進み、キリスト教的には「宗教改革」がおきたり、イエズス会が世界に布教活動をおこして、西洋と東洋(とくに中国)の邂逅、緊張をともなった交流が生じたり、いよいよ「世界哲学」的な舞台がそろってくる。(一方、これまで大きな位置をしめていたイスラム的なものが背景に後退) というわけで、面白い話はたくさんあるし、朝鮮哲学とか、これまで聞いたこともない面白いのだが、全体としては、なんか各論ぽい印象が高まってきているような。。。。 時代が現代に近づいてくると、世界はだんだん一つのものになってくる一方、現代の学問的な研究領域という観点では、専門化が進み、領域間の相互関係がわからなくなってくる印象。 あるいは、議論がだんだん高度になってきていて、私が細かいところについていけなくなっているということかな? というわけで、個人的には、今ひとつスッキリしない読後感。 あと3冊。第6巻は、いよいよ「近代」、「啓蒙の時代」に突入する。きっと、カントやヘーゲルとかもでてくるに違いない。一方、ヨーロッパ以外ではどういう話題がでてくるか、まったくイメージできない。 どう展開するか?
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