障害者差別を問いなおす の商品レビュー
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荒井裕樹著『障害者差別を問いなおす(ちくま新書 ; 1489)』(筑摩書房) 2020.4発行 2024.9.30読了 2016年4月1日に障害者差別解消法が施行された。私たちが生きるこの社会は、障害者差別を乗り越えるという目的に向かって一歩ずつ確実に歩みを進めているのだと思...
荒井裕樹著『障害者差別を問いなおす(ちくま新書 ; 1489)』(筑摩書房) 2020.4発行 2024.9.30読了 2016年4月1日に障害者差別解消法が施行された。私たちが生きるこの社会は、障害者差別を乗り越えるという目的に向かって一歩ずつ確実に歩みを進めているのだと思われていた。しかし、同年7月26日に相模原障害者施設殺傷事件が発生し、そのような認識が幻想にすぎなかったということが判明する。 本書は、そのような混沌とした社会の中で、「障害者差別とは何か」を一から考え直すことを目的として執筆された。その方法として、筆者は「過去、この社会の中で、障害者本人たちが特定の言動や価値観を『差別』だと受け止めはじめた経緯について、具体的な事例を一つ一つ調べていく」手法を採用する。 そこで、本書では、脳性マヒ者による運動団体「青い芝の会」の活動を取り上げて、「障害者差別が問われた原点」に迫っていく。 「青い芝の会」は1957年に結成された障害者団体である。当時は障害者の親たちがわが子を収容するための入所施設建設を強く求めるような世情であったが、青い芝の会は障害者本人だけで結成された団体だった。同会は支部制度を採用しており、関東を中心に小さな支部がいくつか存在していたが、1969年にその後の障害者運動に衝撃を与えた支部が誕生する。それが青い芝の会神奈川連合会である。彼らは障害者差別に対する直接的な抗議運動を数多く繰り広げ、社会に大きな衝撃を与えた。 彼らの行動綱領には次のような記述がある。 ・われらは自らがCP者である事を自覚する ・われらは強烈な自己主張を行なう ・われらは愛と正義を否定する ・われらは問題解決の路を選ばない ・われらは健全者文明を否定する この行動綱領は1970年の実母による脳性マヒ児殺害事件を契機に作成された。彼らは実母の減刑反対運動を展開し、「障害者の親」を批判するというこれまでにないラディカルな批判を行なった。「障害者にはこうしてあげた方がよい」という親の〈愛と正義〉が障害者を抑圧していると訴え、さらには、〈施設〉も体よく障害者を社会から排除しようとする差別であるとして反対した。 彼らは、健全者の〈恩恵を施す慈善的態度〉は必ずエスカレートしていき、最終的には障害者に制約を課すようになることを経験的に知っていた。いくつになっても赤ん坊扱いされ、一人前の人間として社会性を育む機会を奪う存在が〈親〉なのであり、まず克服するべきなのは、障害者自身に内在する赤ん坊性、つまり親の言うがままに従うこと、言い換えれば親に代表される常識化した差別意識に対して無批判に従属してしまう意識そのものだった。 彼らはまず「自らの意思」を取り戻す必要があった。なぜなら、CP者は、「常に奪われた言葉と意識でしか物を見ることしかできないし、行動することもできない」からだ。奪われたものを取り戻すためには親から独立しなければならず、そのためには親に代表される健全者文明を否定しなければならなかった。 彼らのとった行動は「過激」であるとして当時から批判の的に晒されていたが、現時点から振り返れば、こうした抗議行動がきっかけになって「障害者差別とは何か」について考えるための議論が大きく進んだことも事実である。その中には現在の論点を先取りしたものも少なくない。 ところが、そうした約半世紀をかけて積み重ねてきた障害者運動の取り組みは、相模原障害者施設殺傷事件によって根底から破壊されてしまった。私たちの社会は再び「障害者差別が問われた原点」に立ち返って、これまでの障害者差別の歴史を再確認する必要性に迫られたのである。 問題が複雑であればあるほど、即効的な解決を求めたくなるのが自然な人情かもしれないが、あまりに早急で短絡的な「解決」は、かえって我慢や沈黙を強いたり、そうした「解決」に馴染めない人を排除したりする方向へと進みかねない。 複雑に入り組んだ問題に立ち向かうためには、遠回りに見えるようでも、一人ひとりが自分を主語にして考えていくしかないのである。 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I030334125
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自分の家族の中での差別をも表に出して訴えたり、親による障害のある子の子殺しに対する減刑を求める動きに反対運動を行ったり、過激と見られるほどの主義主張を繰り返す著者の障害者当事者活動に、圧倒させられましたが、そこまでしないと現状は変わらないという事実がある以上、声高にならざるを得な...
自分の家族の中での差別をも表に出して訴えたり、親による障害のある子の子殺しに対する減刑を求める動きに反対運動を行ったり、過激と見られるほどの主義主張を繰り返す著者の障害者当事者活動に、圧倒させられましたが、そこまでしないと現状は変わらないという事実がある以上、声高にならざるを得ないのだと感じました。 「バス闘争」のように、バスで脳性マヒ者を見かけたら、自然に手を差し伸べられて、介護者の役割を果たせる自分でありたいと思いました。
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自分の中の差別を痛快に指摘されました。 生きる意味の証明、障害児を殺してしまう親への批判、愛と正義の否定を書いた行動網領の趣旨、とても新鮮であり、特に青い芝の会の弁論は昔のものであるはずなのに新鮮で現代の世論はそれを議論するのに追いつけてないと私は思っているので残念に感じました。...
自分の中の差別を痛快に指摘されました。 生きる意味の証明、障害児を殺してしまう親への批判、愛と正義の否定を書いた行動網領の趣旨、とても新鮮であり、特に青い芝の会の弁論は昔のものであるはずなのに新鮮で現代の世論はそれを議論するのに追いつけてないと私は思っているので残念に感じました。 車椅子の優先利用や名古屋城のエレベーターをつけるかつけないかで揉めてますがこの本を読んでから議論のスタートラインに立てる気がします。
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正直バスの問題では、過激だなぁ…とばかり思ってしまったが、「過激にならざるをえない」という社会の実際がある。「他人が他人を決めつけてはならない」当たり前のことなのに、守られない。 障害者、ほかマイノリティに向ける「優しさ・愛情」自体が差別感情であることが、広く認識されるといいと思...
正直バスの問題では、過激だなぁ…とばかり思ってしまったが、「過激にならざるをえない」という社会の実際がある。「他人が他人を決めつけてはならない」当たり前のことなのに、守られない。 障害者、ほかマイノリティに向ける「優しさ・愛情」自体が差別感情であることが、広く認識されるといいと思う。
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※このレビューにはネタバレを含みます
一言で言うとめちゃめちゃ考えさせられる本です。 健常者の意見を聞いたあとに反発した障がい者の意見を聞くと納得する反面、頭がぐちゃぐちゃになります。 あとがきで作者が述べていましたが、この本に障がい者差別にどう対応していくべきなのか答えは無いので結局自分で考えなければならない問題になります。 正直しんどいです。3日くらいこの問題について考えふけってしまいそう。 このような障がい者差別等の問題は様々な視点からの意見があり、一概に自分の個人的な意見や感想をこの場で安易に発言することはできないので興味ある人は是非ご自身で読んで欲しいと思います。
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※このレビューでは「障害」を「社会構造の側にある問題」と捉える考え方に沿い、「障害者」という表記をしています。 昨今の社会的なトピックを目にするうちに個人的に学ぶ必要性を感じたことがあり手に取った本。 障害者差別を問い直す、というタイトルだけれど、この本では「日本脳性マヒ者協会 青い芝の会」の活動が中心となっている。 どれだけ差別問題に関心がある「つもり」で、自分は差別に加担しないように心がけている「つもり」でいても、彼らの語る「健全者」としてこれまでの人生を過ごしてきた私は、これまで無自覚に彼らに向けていた眼差しを彼ら自身の言葉によって自覚させられ突き返される。彼らの眼差しによって自分自身が障害者差別の当事者なのだと思い知らされる。背筋がひやりとする。「健全者」とは〈マイノリティの側からレッテルを貼り返すための言葉〉とは実に的確な表現だと思う…。 正直彼らの活動や発言の全てに賛同することは難しい(特にジェンダー観と生殖に対する意識のあたりには全く同意しない)。けれど彼らの活動がなければ変わらなかったものも多かろうと思う。主張の根底にあるものは理解できる、という部分についても、そこまで極端な言葉、強硬な手段に訴えることはないじゃないかと思ってしまう面がある。ただそれはトーンポリシングにあたるのかも知れなくて、彼らだけの問題ではなく、そこまでさせた社会の側の問題とも言える。それでもなおやり方……という感情がつきまとう。難しい。 一度目を通しただけでは明確に言葉にしてまとめられる気がしないので、マーカーを引いた場所から幾つか抜粋して並べておく。 ・「マイノリティ」「マジョリティ」とは、その社会や共同体への帰属意識と違和感の濃淡の差を示す言葉 ・「マジョリティ」とは「葛藤を伴うことなく、自分のことを『大きい主語』で語れる人」 ・「マジョリティ」は、自分自身の価値観や考え方といった「個人的な見解」を「大きな主語」に溶かし込むことができてしまう。そうすることで、あたかも「一般的な見解」であるかのように語ることができる ↑上記3項はあらゆる差別に対して言えることだなと。 ・障害者への「優しさ」や「思いやり」といった感情それ自体が「差別」 ・あるいはこうした感情が「差別」を助長したり見えにくくしたりする ・青い芝の会は障害のある人とない人とが「仲良くする」「互いにわかり合う」といった考え方も拒絶した ・現状の社会において、両者の関係性が決して対等なものでない以上、障害者の側に「わかってもらうように努力すべき」「歩み寄って仲良くしてもらうために我慢すべき」といった圧力がかかることが明白だから ↑同時期に読んだ「いのちを選ばないで」の中に知的障害を持つ方に対する支援について「哀れみの政策ではなく彼らが生まれながらにして持っている人格発達の権利を徹底的に保障しなければならない(要約)」という言葉があって、通ずる部分があるなと思った。 (本書の中にも〈恩恵を施す慈善的態度〉を批判するくだりがある) ・誰かに対し、「生きる意味」の証明作業を求めたり、そうした努力を課すこと自体、深刻な暴力である ・割り切れない事情を力任せに割り切って「解決」させるような発想は、弱い立場の人に我慢や沈黙を強いたり、そうした「解決」に馴染めない人たちを排除したりする方向へと進みかねない ↑差別が根強く残る現代社会を生きる当事者として、強く意識したい言葉 立ち返って序章から ・私たちの社会は「障害者差別」を「解消」することを法律として掲げた ・議論し続けることを社会の約束事として共有した 現代を生きるひとりひとりが当事者として考え、議論し続けるしかないのだと思う。その手がかりとして考えるヒントが本書には多くちりばめられている。
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障害を持つ親族に囲まれて育ったため、半ば義務のように読み始めた。 障害者差別を中心に扱った本を読んだのは初めてだったが、入門書としてよかったと感じる。 差別に対して当事者がどう捉え、抗議してきたのか整理することができるし、本書で引用される彼らの言葉を知ることで、私自身も今まで...
障害を持つ親族に囲まれて育ったため、半ば義務のように読み始めた。 障害者差別を中心に扱った本を読んだのは初めてだったが、入門書としてよかったと感じる。 差別に対して当事者がどう捉え、抗議してきたのか整理することができるし、本書で引用される彼らの言葉を知ることで、私自身も今まで言葉にできなかった違和感を自覚することができた。 読んで良かったと思う。
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日本の障害者運動をポイントを絞って振り返ることができる良書だ。また、70年代当時から指摘されてきた労働という概念、人間の定義を組み換えようとした運動は未だ達成されず、危うくは過去の過ちを繰り返す、これまで積み上げてきたものぶっ壊してしまう危機を伝えている。自分自身から変えていくこ...
日本の障害者運動をポイントを絞って振り返ることができる良書だ。また、70年代当時から指摘されてきた労働という概念、人間の定義を組み換えようとした運動は未だ達成されず、危うくは過去の過ちを繰り返す、これまで積み上げてきたものぶっ壊してしまう危機を伝えている。自分自身から変えていくことの必要性を痛感する。
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☑︎障害と無縁でいられる人など存在しない ☑︎ 「生きる意味」の証明作業を要求することは暴力的な行為 ☑︎「自分には何ができるのか」を「自分」を主語にして考える 障害者差別という複雑で難しい問題について考えを深めることができました!
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