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学びのきほん はみだしの人類学 ともに生きる方法 の商品レビュー

4.2

38件のお客様レビュー

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2024/07/03

人類学者はいろんな学部に席を置いており、異文化という他者に向きあってわたしとわたしたちがともに生きるための方法として、19席期末から20世紀後半にかけてヨーロッパやアメリカで確立された学問とのこと。 異文化の表彰に植民地支配につながる権力性や暴力性、道徳的で文明の進んだヨーロッパ...

人類学者はいろんな学部に席を置いており、異文化という他者に向きあってわたしとわたしたちがともに生きるための方法として、19席期末から20世紀後半にかけてヨーロッパやアメリカで確立された学問とのこと。 異文化の表彰に植民地支配につながる権力性や暴力性、道徳的で文明の進んだヨーロッパという自己像を確立するために一方的に利用され捏造されたイメージがあったと指摘。 文化人類学は「異文化」を理解するための学問というよりも、異文化との出会いをとおして自分たちのことを理解しようとする学問、境界線が引かれることでその差異が強調され、類似した要素が無視されたり、排除されたりする。文化人類学的なつながりと自分が揺さぶられる体験、自分の取り巻く世界の見え方が変わってわたしという存在がもう一度つくりなおされていく。 つねに人間は複数の役割をもって生きている。異なる複数の境界線を引くことが既存の境界を乗り越えるために必要な想像力となりうる。 世界中で起きてきた紛争や暴力は、選択の余地のない唯一のアイデンティティという幻想を通じて継続されている。 わたしの輪郭が強調されるような他者とのつながり(共感のつながり)、輪郭が解けるような経験、互いが変化するような繋がり方(共鳴のつながり)、共感も共鳴もどちらも生きていくために必要なつながり方である。周囲の人や環境も自分自身もあらたな目でとらえなおし、他者との境界を越えた交わりに私が開かれるような営みが文化人類学とのこと。 自分の殻を脱ぎ捨ててそれまでのやり方から一歩踏み出すことをおもしろいと思える勇気が欲しい。

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2024/06/01

学生の頃 文化人類学の講義が 好きだったな〜 「生き方を考える本」としても読める 文化人類学的な視野を持って 生きていくと ちょっと楽になると思う 三洋堂書店にて購入

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2024/05/03

以前より読みたいと思っていた本。 薄すぎて驚いたけれど、手ごろな価格で人類学の基本を知るという点においてとても良かった。 誰にでもわかるような簡単な言葉で記述されているため、イメージがしやすい。 以前読んだ本にも書いてあったけれど、人類学は「わたし」を介して学ぶという学問という...

以前より読みたいと思っていた本。 薄すぎて驚いたけれど、手ごろな価格で人類学の基本を知るという点においてとても良かった。 誰にでもわかるような簡単な言葉で記述されているため、イメージがしやすい。 以前読んだ本にも書いてあったけれど、人類学は「わたし」を介して学ぶという学問という点で、誰が研究しても違った視点になるのが本当に面白い。 以下自分用メモなど P. 39 みんな関心はばらばらだし、話を聞く相手も違うので、持ち帰ってくる情報が違う。まったく別のとらえ方でその集落を描いていく。調査者が違えば、描かれる像が違う。文化人類学者は、他のだれでもない「わたし」がやる意味のある学問なんだと感じました。 P. 56 そこで重要なのは、自分が開かれているかどうかです。さきほど「平凡なことと奇妙なことを差別してはいけない」というマリノフスキの言葉を紹介しましたが、調査者が「調査すべきこと」や「調査に無関係なこと」といった枠組みにとらわれていたら、目の前で起きている出来事が自分の研究テーマと関係していることには気づけません。チャンスをとらえそこねてしまうのです。(略) イギリスの人類学者ティム・インゴルドは、その著書『メイキング』で、人類学の参与観察は対象についての研究ではなく、相手とともに考えるプロセスなのだとはっきり書いています。そこで互いに変容することのほうが、客観的なデータを収集するより大切なのだ、と。でも、その「変容」が起きるには、他者を調査対象として固定するような見方ではなく、相手から学ぼうとする姿勢が必要になる。 P.74 小説家の平野啓一郎は、複数の自分の姿をたんなる「キャラ」や「仮面」のようなものと考えてはだめなんだと言います。たったひとつの「ほんとうの自分」や首尾一貫したぶれない「本来の自己」なんてない。一人のなかに複数の「分人」が存在しているのだと、本書の内容と共通じる議論を展開しています。 英語の「個人 individual」は、「分割できる dividual」に否定の接頭辞「in」がついている語で、それ以上分割不可能な存在という意味が込められています。この西洋近代的な個人とは異なる人格のあり方を示してきた文化人類学にとっても、じつは「分人 dividual」はとても大切な概念でした。 P. 85- ハーヴィ・サックス:成員カテゴリー集合を提唱 (エスノメソドロジー領域) ex) カテゴリー『家族』:母親、父親、息子、娘… 『性別』:男性、女性… 女が男を叩いた vs. 母親が息子を叩いた 私たちが会話のなかで使う言葉の意味を理解したり、ある情景を人に説明したりするときには、暗黙の了解でふさわしいものを選びとっているのです。 成員カテゴリー化装置:いくつかの原則 ⇒原則1. 一貫性規則:×これが父であれが母で、こちらは女です

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2024/02/19

100ページくらいの本だよぅ。 『わかる』『わからない』の繰り返し。 人類学という広い部屋の前に立ちはだかるドアのドアノブ(取っ掛かり)な感じ? 【境界線、分人、他者から私を獲得する】これが共感したり、印象に残ったキーワードだよぅ。

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2023/12/25

鷲田清一「だんまり、つぶやき、語らい」や平田オリザ「わかりあえないことから」、ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」とリンクする話。 他者と交流することで、自己を見つめ直したり、他者から影響を受けたりする。 文化人類学面白そう。

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2023/08/12
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※このレビューにはネタバレを含みます

・成員カテゴリー集合 ・そのカテゴリーと結びつく特徴だけが、あたかもその人の性格や人格を構成する「本質」であるかのように錯覚してしまう。

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2023/07/13

文化人類学の基本だと筆者が考える「つながり」と「はみだし」について経験を交えて説明している本。読みやすい文章なのだが、なかなか読み進まない感じがあった。 文化人類学とは、どういう民族が、どういう暮らしをしていてというイメージがあったが、筆者の経験にあるように、自分とは関係のない...

文化人類学の基本だと筆者が考える「つながり」と「はみだし」について経験を交えて説明している本。読みやすい文章なのだが、なかなか読み進まない感じがあった。 文化人類学とは、どういう民族が、どういう暮らしをしていてというイメージがあったが、筆者の経験にあるように、自分とは関係のない人たちの暮らしと捉えるか、その暮らしに入っていき、自分のこととして捉えると、それまでの自分の観点とは違う出会いを通じて、自分を捉え直す学びなのだと実感した。 また、カテゴライズにより自分の捉え方は変わってくるし、他人とのつながりの中で、自分を自覚し、どう生きるかにも関わってくるのだなと思った。

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2023/07/09

 貧困は自己責任だと断定するとき、その裏には、個人がそれぞれ独立した対等な存在だとする近代の個人主義がある。個人を確立することは大切だが、それによって資産の偏在のような問題が見えにくくなっている。  「親」は「子」がいることで「親」であることができる。右派と左派、貧富などの分断は...

 貧困は自己責任だと断定するとき、その裏には、個人がそれぞれ独立した対等な存在だとする近代の個人主義がある。個人を確立することは大切だが、それによって資産の偏在のような問題が見えにくくなっている。  「親」は「子」がいることで「親」であることができる。右派と左派、貧富などの分断は、両者が繋がっているからこそ生まれる。その分断が、ネットのつながりにより可視化されるようになった。  わたしたちは、複数の「わたし」を生きている。「先生」といるときは「生徒」として、家族といるときは「末娘」として。誰と出会うかによって、別の「わたし」が他者によって引き出される。「わたし」の個性は、自分の中をいくら掘り下げても深まらない。他者とのつながりによって強化された輪郭と、その輪郭が溶けてはみ出していくことによって変容し、深まっていく。  「異文化理解」「多文化共生」という言葉は、自文化と異文化は全く異なるものだということが前提にされてしまっている。その考え方で描いた他者の姿は、それと異なった存在でありたいという自己の欲望の表れでしかない。「日本人」「女性」「キリスト教徒」といったカテゴリーは、「〜は危険だから殺してもいい」というカテゴリー化の暴力も生む。「わたし」は、他者との偶然の出会いにより、変化していく。その変化を喜びとすると、脅威に感じていた差異が、可能性としての差異となる。それが、差異への憎悪に満ち溢れたこの世界で他者とともに生きていく方法ではないか。  <多様性>ということを考えるきっかけとして手にとった一冊。とても共感できました。TwitterやMastodonなどのSNSに感じる怖さのもとが、自分なりに腑に落ちた気もします。今読んでよかった。

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2023/05/19
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

2つのつながりがある。ひとつは、自己と他者の差異を強調して輪郭を強化するつながり(共感)、もうひとつは、自己と他者の境界を超えて交わることで輪郭が溶けだすつながり(はみだし、共鳴)である。 前者は自分にとってとても楽な手段であるが、自分がひとつの枠に囚われてしまうためとても危険だ。後者は、実行に移すのは難しいが、現代の社会では重要であるように感じた。 誰もが複数の枠に存在していて、複数の人格がある。ひとつの枠にとらわれないように生きていきたい。

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2023/03/04

人間は社会的動物である。親と子、彼氏と彼女、上司と部下のような名前の付いた「つながり」を以てして、人と関係して生きている。  例に挙げたような関係性のうち「親」「子」といった名前に規定付けられた「輪郭」が時代を経て明確になったことから、近代の個人主義が生まれた。ここで言われている...

人間は社会的動物である。親と子、彼氏と彼女、上司と部下のような名前の付いた「つながり」を以てして、人と関係して生きている。  例に挙げたような関係性のうち「親」「子」といった名前に規定付けられた「輪郭」が時代を経て明確になったことから、近代の個人主義が生まれた。ここで言われている「つながり」とは、そもそも個が独立したという前提があり、恐らく「人類補完計画」を実行した末の状態はつながっているとは言えない。細胞に細胞膜という輪郭があるからこそ他と有機的につながることが出来る。

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