1,800円以上の注文で送料無料

戦後日本漢字史 の商品レビュー

3.7

4件のお客様レビュー

  1. 5つ

    0

  2. 4つ

    2

  3. 3つ

    1

  4. 2つ

    0

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2024/11/10

阿辻哲次著『戦後日本漢字史(ちくま学芸文庫 ; ア26-2)』(筑摩書房) 2020.3発行 2020.6.10読了  本書が一冊あれば、およそ戦後日本の漢字史については網羅できよう。それほど微に入り細を穿った内容であった。  以前、筑摩書房の「日本語の歴史④」で、GHQが日本...

阿辻哲次著『戦後日本漢字史(ちくま学芸文庫 ; ア26-2)』(筑摩書房) 2020.3発行 2020.6.10読了  本書が一冊あれば、およそ戦後日本の漢字史については網羅できよう。それほど微に入り細を穿った内容であった。  以前、筑摩書房の「日本語の歴史④」で、GHQが日本語のローマ字表記を画策していたことや、「当用漢字表」たるものが昭和21年に告示されたことを読んで知っていたが、なるほど戦後日本漢字史はそれほど単純な事実を羅列しただけで片付けられる問題ではない。  「貴様」という言葉に代表されるように、言葉は時の移ろいと共にその意味合いを変えていく。同じように漢字の字体も時の流れによって変化していく。ナイフで刻んでいた甲骨文字が、紙の発明によって筆で書く文字と成り代わり、それが崩れて行書などの書体が生まれた。木版印刷が始まると、また文字をナイフで刻むようになり、現在も残る明朝体が生まれた。技術の発展によって、漢字の字体が変化してきた一例である。  他方で、人為的に、意図的に変えられた漢字もある。「当用漢字表」において「臭」という漢字は、画数を減らして簡便化を図るという理由で「臭」にされてしまった。また、情報機器による文字コードの規格によって、「しんにょう」が一点しんにょうと二点しんにょうに分断される結果を招いてしまった。もとより漢字は日々変化していくものであるが、こうしたミスとしか思われないような政策で漢字の字源が疎かにされてしまうのは、非常に残念なことだ。確かに明治・大正期の文献を読んでいると、漢字の濫用と言うべき事態が見受けられるが、戦後、日本人の中でも漢字廃止論者が主流であったことに驚きを隠せない。学校の教師の中には、教科書に印字されている文字が正しい字体だと勘違いしている人がいるが、印刷文字と筆写の楷書の関係は単なる見かけ上の違いにすぎないのであって、「令」「令(下がマ)」も「保」「保(下がホ)」も単なるデザインの違いにすぎない。このことは「常用漢字表」にも明記されている。漢字は生き物であって日々変化していくものであるが、一方で漢字の字体や字源を尊重する気持ちも忘れずにいたい。 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I030281009

Posted byブクログ

2024/10/18

図書館で借りた。 「漢字史」とのことで、いわゆる「当用漢字」「常用漢字」がどのように定められたのか、またコンピューター・ワープロの登場で漢字の存在がどのように変化していったのか、というのがまとめられた本だ。 戦後GHQが、日本から漢字を廃止し、アルファベットのみで成り立たせようと...

図書館で借りた。 「漢字史」とのことで、いわゆる「当用漢字」「常用漢字」がどのように定められたのか、またコンピューター・ワープロの登場で漢字の存在がどのように変化していったのか、というのがまとめられた本だ。 戦後GHQが、日本から漢字を廃止し、アルファベットのみで成り立たせようとした経緯などは非常に生々しく、日本人の学者にも少なくない数が「漢字廃止論」を支持していたというのは興味深い。 個人的に追記したいのが、インターネット時代になってJISなどの日本特有規格がおざなりにされ、Unicodeで中国語の字体が日本のパソコンでも表示されてしまっているのが一般化されてきた。そのあたりは政府として動いていない認識なのだが、どうだろう?忘備録としてメモ。

Posted byブクログ

2020/05/24

漢字制限論は明治から出されてきたが、敗戦の一つの反省として、初等、中等教育の大事な時期に膨大な漢字を覚えるのは無駄で、もっと大切なことに学習時間を充てるべきであるとの、「善意」の意見から本格的な検討が始まった。 当用漢字や常用漢字にまとめられるまでの検討状況や、その後の国民の反応...

漢字制限論は明治から出されてきたが、敗戦の一つの反省として、初等、中等教育の大事な時期に膨大な漢字を覚えるのは無駄で、もっと大切なことに学習時間を充てるべきであるとの、「善意」の意見から本格的な検討が始まった。 当用漢字や常用漢字にまとめられるまでの検討状況や、その後の国民の反応など、漢字という身近な問題だけに、大変興味深い。首尾一貫性なく簡略化した漢字について著者が悲憤を洩らしているところなどは肯けるのであるが、ここまで学習により浸透してしまった以上、どうしようもないだろう。教育の恐さである。 ワープロ、PC、スマホと、漢字変換がどんどん簡単になってきた以上、表記ローマ字化の議論はもはや出ないであろう。漢字とこれからも付き合って行く上で、これまでの議論の歴史を知る上で、本書は有意義だと思う。

Posted byブクログ

2020/04/23

・阿辻哲次「戦後日本漢字史」(ちくま学芸文庫)を読んだ。本書で最も良いと思つた一文は、「点を一つとれば、それだけで国民が正しい漢字を書けるようになる、とでもいうのだろうか。 日本国民もずいぶんとなめられたものである。」(138頁)であつた。これは「臭」の下が本来は「犬」であつたの...

・阿辻哲次「戦後日本漢字史」(ちくま学芸文庫)を読んだ。本書で最も良いと思つた一文は、「点を一つとれば、それだけで国民が正しい漢字を書けるようになる、とでもいうのだろうか。 日本国民もずいぶんとなめられたものである。」(138頁)であつた。これは「臭」の下が本来は「犬」であつたのが、戦後の漢字改革で「大」に改められた ことを言つてゐる。 「漢字は形が複雑で、覚えるのも書くのも大変だから、できるだけ簡単な形にして」(14頁)、児童の学習負担軽減と印刷の労力軽減をといつて行はれたことであつた。指令はGHQから出た。拒みやうはない。それに乗つて、戦前からの仮名文字論者やローマ字論者が活躍して行はれたのが戦後の国語国字改革であつ た。その最も分かり易い例の一つがこの「犬」か「大」の問題であつた。この結果として、私達は現在「臭」を使つてゐる。この路線は現在に至るまで変はらな い。実際、私達はなめられたのである。「民主主義と自由の権化である占領軍の幹部がデータの改竄を依頼するというのは尋常ではなく 云々」(55頁)、これは国字改革に先立つて行はれた全国識字能力調査の結果に関してであつた。この時の非識字者が2.1%であつたことを漢字改革の妨げになると危惧して、占領軍側から調査委員会のメンバーにクレームがついた。しかし、これは後の国語学の大家柴田武によつて突つぱねられた。これがなかつたら戦後の漢字改革がどうなつてゐたか。占領軍はこれさへも通ると思つてゐたのだから、日本を相当になめてゐたのである。戦後の日本漢字史は、このやうに「ずいぶんとなめられ」てゐた占領軍の漢字政策からの脱却を目指す歴史であつた。 ・著者阿辻氏の戦後の漢字問題に於ける立場は、先の引用からも分かるやうに保守的だと言へる。先の引用に続いてかう述べる。「『当用漢字字体表』によって規範とされた字体には、このやうに文字学的に大きな問題をはらむものがたくさん含まれている。(中略)いまとなってはそれら若干の『問題字』をあげつらって、字体の変更を議論することは決して現実的とは思えない。すでに手遅れとなっているのが、私には非常に残念でならない。」(138頁)このやうな戦後の漢字改革批判に類する表現は他にもある。「字体表における字体の選定は(中略)誤解をおそれずにいえば、ごく少数の人による密室での作業であって、その結果に対する外部からの意見はまったく反映されることがなかったようだ。」(124 頁)これなども、あのいかにも不徹底な、所謂新字体がいかなるものであるかを教へてくれる。要するにああであらねばない必然性などはない。「似ているから一緒にしてしまった」(同前)だけのことであつた。そして、似て非なる問題が「印刷字形と手書き字形」(191頁)の問題である。ごく簡単に言へば、印刷された通りに書くかどうかといふ問題である。「教科書や辞書に印刷されているのが『正しい』字形であり、テストの答案などではその通りに書かないといけな い、という認識が蔓延しているように見受けられる。云々」(192~193頁)とあるやうに、これはもちろん印刷された通りに書く必要はない。習慣とデザインの問題である。はねようがはねまいが「字種としては完全に同じである」(192頁)。こんな当然なことを不明にしたのが戦後の漢字改革であつた。現在は目安になつた(これだけでも「脱却」である!)常用漢字表に至るまでにも様々な問題があつた。それらを丁寧にときほぐしてくれる。 さすが中国文学者、漢字で飯を食ふだけのことはあると言つては失礼であらうか。多くの人に読んでもらひたい書である。

Posted byブクログ