人体完全ガイド 改訂第2版 の商品レビュー
知れば知るほど、この自分という実体が、思うがままに期待するままにちゃんと動くという当たり前を、動き続けてくれるという前提を当然のこととして、ただただ反応するように生きていくだけということがどこか性に合わない心地がしてくる。 体が働くために様々なシステムが出来上がっている。それは...
知れば知るほど、この自分という実体が、思うがままに期待するままにちゃんと動くという当たり前を、動き続けてくれるという前提を当然のこととして、ただただ反応するように生きていくだけということがどこか性に合わない心地がしてくる。 体が働くために様々なシステムが出来上がっている。それは、生み出されたからにはある一定の期間を生き続けるために絶え間なく機能し続けるサイクルを維持していくように、この体が出来上がっているということだ。なぜ生きるのかなんてむずかしいことを問いかけてみれば、それは生命というもののサイクルで捉える限り、繰り返し誕生してくる「生」を同じように次に繋いでいくことこそがそもそもの設計図に刻み込まれているから、という答えが一番腑に落ちることじゃないだろうか。 人間という「もの」を分解してみる。生きるという活動を継続していくために、この体が働く。まずは、一つ一つの細胞が生きているのだけれど、だんだんにそれぞれが集合して、部位を作りだす。部位を組み立てて役割を分担して、一つの人体という機能が統合的に廻りはじめるように動き出すように設計図が描かれている。人体を動かすためにエネルギーの摂取とその分配が体内で起こる。それは血液という循環するメカニズムを支えにして、体外から取り込んだ生きるために必要な様々な要素を必要な様々な形に変性して変換して、編成し続けるという機能の働きとその連鎖、連動によって齎されている。これら一つ一つのパーツの働きが、人体という全体の一部としても適切に機能させるように、監督するシステムが働いている。自律的な信号のやり取りと、人間の感情、感性、という「意識」が働くことによって紡ぎだされる自発的な信号とのやり取りを組み合わせながら、無意識的な維持と反応と、意識的なことによる振る舞いが人体という姿を表出させていく。人体という容れ物がそれ一つとして成り立つことと、その人体が取り囲まれている世界、環境というものとの関係の中で、このひとつの「生」が継続していくことのためにも、それらの機能は成り立ち、築き上げられてきた。「生きる」というあたかも主体的であるかのような発露と、生きるための受動的な反応的な発露の両方の結果として人はこの世界に立ち上がり、それを継続させていこうと毎日を過ごしている。 でも、そんなことにはほとんど意識は向かない。向いていかない。なぜなら、それでいいと、そういう風であるために人体のシステムを培われてきたからだ。 生命が誕生する過程を、一つの細胞が母体内でまがりなりにも人の姿になっていく過程を見させられて、その凄さに圧倒される。でも、決してそれだけじゃない。いま何気なくこの瞬間を生きている、この自分を成り立たせている、この目には映らない、自分の持っているシステムの、あくまで潜在的でいてくれるその当たり前さにこそ、凄さを感じる。 自分のことすらわかっていない。とてもじゃないがほとんどを認識できていない。なのに、そのことに平気でいられる。ほとんど何も知らないくせに、たくさんのことを分かったつもりになっている。その全体を把握できていると簡単に思い込むことができる。 ブラックボックスに取り囲まれていく自分に気づくことすらできないでいる。 そういう意識に触れるにつれ、そんなのは嫌だ、と強く認識する自分がいる。 ちゃんと分かっていきたい。 自分がどうなっているのか、そして、どうしようとしているのか。出力だけが必要なのではない。選択し手に入れることだけが生きていることなのではけっしてない。どうして、と投げかける。その過程の中に、自分を通して見てはじめて浮かび上がってくるものがあることを分かっているからだ。 ここに気付く「ずれ」が、ぼくとぼく以外とを隔てている。世界をまったく違うものに見せている原因なのだ。
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文系の自分にもわかりやすく、周りの大切な人たちの弱ってゆく各機関を勉強目的に購入。良い。 もちろん、自分のためにも活用したい。
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親知らずや足の腓骨、手の長掌筋など、退化して、不要になっている部位が存在していることに驚いた。 しかし、人間に毛がない理由は未だ解明されていないらしい。奥深い(毛だけに) あと、トップアスリートは少ない心拍数で生体を維持できるということは興味深かった。
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