南方熊楠のロンドン の商品レビュー
熊楠自身を中心に書かれたこれまでの評伝に対し、著者は、一九世紀末から二〇世紀初頭の学術雑誌という場のなかに熊楠を位置づけようと試みている。彼の論文は、熊楠自身が随筆で書いているように海外でやんややんやと大絶賛されていたわけではないけれども、東洋からの情報提供者としてそれなりに名...
熊楠自身を中心に書かれたこれまでの評伝に対し、著者は、一九世紀末から二〇世紀初頭の学術雑誌という場のなかに熊楠を位置づけようと試みている。彼の論文は、熊楠自身が随筆で書いているように海外でやんややんやと大絶賛されていたわけではないけれども、東洋からの情報提供者としてそれなりに名を知られており、彼の情報を必要としていた人々もいたこと。自由奔放で豪胆に書き散らしたわけではなく、自身が活躍できる場を冷静に見極め、チャンスをものにするべく戦略的に活動していたこと。読んでいくうちに、著者の描く熊楠像が浮かび上がってくる。ただ、あとがき(pp275-280)で、熊楠は研究対象や書籍に愛がなかったのでは? と書かれているけれども、それはどうかなあ。
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19世紀、科学の世界では、アマチュアに対して、scientistsというプロが出現してきた。科学週刊誌Natureがイギリスで創刊されたのは1869年、アマとプロが混在する時代だった。南方熊楠は1893年からNature誌に51篇の論文を発表する(同じくイギリスで出ていたNote...
19世紀、科学の世界では、アマチュアに対して、scientistsというプロが出現してきた。科学週刊誌Natureがイギリスで創刊されたのは1869年、アマとプロが混在する時代だった。南方熊楠は1893年からNature誌に51篇の論文を発表する(同じくイギリスで出ていたNotes and Queries誌にも324篇!)。驚くような論文数だ。 熊楠は研究者(プロ)なのか、インフォーマント(アマチュア)なのか。この疑問を起点にして、著者は、熊楠の論文がなぜ(どう)受け入れられたのかを厖大な資料をもとに論述してゆく。19世紀後半の科学ジャーナリズムの変容も書かれていて、ひじょうにおもしろい。海外からの投稿や応答には相当の時間がかかったはずだが、当時の世界の郵便事情(料金や日数)も詳しく解説されている。 とくに興味をそそられたのが「あとがき」。熊楠、その日常はきわめて単調なルーティンワークからなっていた、キノコは食べなかった(研究していたのに)、読書家だったがフィクションは読まなかった、などなど。熊楠にとって、論文を執筆することだけが目的だったのではないか。はたして彼に学問に対する愛はあったのか。解き明かしたい疑問がさらりと書いてある。
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