治部の礎 の商品レビュー
〝日の本の国の礎〟とは…。
2023年9月読了。 個人的に、「石田三成」が大好きである。自身の論理が冴え渡り過ぎて、其を理解に及ばない人達と「仲良く」する事が苦手だった、戦に不器用な、同じ職場に居たらさぞかし煙たがられる人だったと思っているが、その一途さえ故の儚さが、この武将の堪らない魅力であろうとず...
2023年9月読了。 個人的に、「石田三成」が大好きである。自身の論理が冴え渡り過ぎて、其を理解に及ばない人達と「仲良く」する事が苦手だった、戦に不器用な、同じ職場に居たらさぞかし煙たがられる人だったと思っているが、その一途さえ故の儚さが、この武将の堪らない魅力であろうとずっと思ってきた。 秀吉の朝鮮出兵は、この小説にもある通り、秀吉独自の発案ではなく、当時から「遠い脅威」の臭いのする〝南蛮〟と云う勢力が攻めてくる前に、〝日本,中国,朝鮮を一つの国として固めておくこと〟が、来るべき未来の南蛮との戦いに「力を発揮する時が必ず来る」と云う、信長の発想が先にあったのだと感ずる。 国内統一も終わりきらないまま、秀吉が直ぐに朝鮮行きを決めたのは、南蛮の力を、それだけ〝国家存亡の危機〟と捉えていたからではないか。しかし、信長も秀吉もその事にばかり焦るあまり、結果として国政をしくじったのである。 確か、秀吉統治の時点で火縄銃の数は、日本が世界一に成っていた筈だが、南蛮人の「地球の反対側からやってくる」と云う勇気と猛々しい野心は、〝天下人〟の肝を冷やさせるのに充分であったろう。 先ずは貿易程度で付き合うが、いつか必ず「牙を向いてくる日がある」事を、二人の敏い天下人は察知していたのだろう。 家康は幸いにして、先人二人の失敗を見ており、「戦わずとも〝鎖国〟してしまえば良い」と考えたのだろう。しかしそれは家康が聡かったから、その策が当たったのではない。 先人二人による〝日本国の武士は恐ろしい〟事を宣教師達の眼にしっかりと焼き付けさせて、本国へ「日本へはそう簡単に手を出すな」と云う報告が伝えられたからであろう。 つまり、信長,秀吉の治世無くして、徳川政権も有り得なかったのである。 そんな〝日の本の国の礎〟たらんと、石田三成も考えていたのなら、自分としては嬉しいことこの上無い。 そんなことを考えさせられた一冊だった。 それから、西軍で〝動かなかった者達〟の言い訳を、一通り読んでみたいとつくづくと思う。
左衛門佐
本書の三成は秀吉の忠義ではなく、日の本をよくすることが動機になっている。朝鮮出兵などの秀吉の暴走をどう押しとどめるかに苦慮している。三成が愚痴を言うとしたら、秀吉の悪口ばかりになりそうである。秀吉の暴走を押しとどめる際には徳川家康と協力することもあった。三成と家康は以心伝心で協力...
本書の三成は秀吉の忠義ではなく、日の本をよくすることが動機になっている。朝鮮出兵などの秀吉の暴走をどう押しとどめるかに苦慮している。三成が愚痴を言うとしたら、秀吉の悪口ばかりになりそうである。秀吉の暴走を押しとどめる際には徳川家康と協力することもあった。三成と家康は以心伝心で協力した。 秀吉の天下は元々、織田家を簒奪することで成立した。三成は「天下は一人の天下に非ず、天下は天下の天下なり」の精神で正当化している。それならば秀吉没後は家康を新たな天下人として仕えても良かったのではないか。家康を毛嫌いすることはなかったのではないか。秀頼を託されたということはあるとしても、織田秀信(三法師)のような生き方もあったのではないか。
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日本の安寧をもたらす者が秀吉と信じ秀吉の汚名や失策を一身に受けて天下万民を想う石田三成。しかし三成の求める理想は秀吉の死と共に家康の手によって瓦解してゆく。
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とても心に残る一冊でした。個人的には大谷吉継がとても好きなので、三成と吉継の友情が多く描かれていて嬉しかった。 冷徹で生真面目すぎる三成の印象を覆してくれます。本当に良い一冊でした!
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
多くの作品の中で描かれがちな豊臣第一としての姿ではなく、見方によっては豊臣家さえも道具として使っているように描かれており、全く新しい石田三成像だった。
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秀吉が死ぬまでが面白い。此処が描きたかったんだろうな。関ヶ原は意外とあっさり。 まぁ、描き尽くされた感が有るからね。でもクライマックスは其処なんだから、もう少し力を入れて欲しかったかな。
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石田三成。 感情よりも規律を優先する官僚。人間味は感じられず、冷徹で完璧主義者のイメージ。 彼が、どうしてそのような行動原理を持つに至ったのか、なぜ最後まで家康と敵対し破滅に至ったのか。このなかでは、秀吉への忠義心があったからこそ、という形になっています。 汚れ役は自分が請け負...
石田三成。 感情よりも規律を優先する官僚。人間味は感じられず、冷徹で完璧主義者のイメージ。 彼が、どうしてそのような行動原理を持つに至ったのか、なぜ最後まで家康と敵対し破滅に至ったのか。このなかでは、秀吉への忠義心があったからこそ、という形になっています。 汚れ役は自分が請け負い、天下人たる秀吉には一点の曇りをも与えないという自己犠牲。 理解者の少なさと、あえて理解を求めなかった三成の性格が孤立を深めていき、破滅へと繋がっていったのでしょう。 徳川に対して協力してゆくべきだった、福島・加藤のような武将たちとも分かり合えなかったのが、辛いところですね。 最初から生じていた隙間は、どこまでも埋まることはなかった。歩み寄れるタイミングはあったのですが、その機会をあえて捨ててしまったような感があります。 三成がなにを考えた上での行動か、を話し合う機会があれば。それが豊臣の未来、秀吉への赤心から出ているもの、ということを理解することができていれば、関ヶ原の結末は変わっていたのではないか、と思います。 ま、三成に対してはいつも思うことであるんですけどね、
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「治部」と言えば、かの石田三成のことである。昔の武士に関しては、「〇〇殿」とか「〇〇様」というような姓や名前で呼ばれるよりも、官職等に因んだ呼ばれ方をすることが多かったようだ。かの石田三成は「治部少輔」という官職を与えられていて、それに因んで“治部”、場合によって“殿”や“様”が...
「治部」と言えば、かの石田三成のことである。昔の武士に関しては、「〇〇殿」とか「〇〇様」というような姓や名前で呼ばれるよりも、官職等に因んだ呼ばれ方をすることが多かったようだ。かの石田三成は「治部少輔」という官職を与えられていて、それに因んで“治部”、場合によって“殿”や“様”が末尾に添えられるという呼ばれ方であったようだ。本作の題名はそこから「治部の…」というようになっている訳だ。更に、官職ということでは律令制度の上で「治部省」というモノが存在し、そこの次官というようなことで従五位に相当する「少輔」が在って、「治部少輔」という官職は永い間に存在していた訳だが、江戸時代以降には「あの石田三成」ということで「治部少輔」が用いられ、彼の代名詞のようになっていたようだ… 「石田三成」という人物は、様々な作品の劇中人物として登場している。史上の人物には毀誉褒貶が様々である訳で、色々な作品の劇中人物として色々な描かれ方が在ると思う。本作での石田三成?“悪評”のようなモノは甘んじて受けながら、政権安定を飽くまでも支えようとする人物として描かれる。そういう様が、寧ろ心地好いような感だった… 石田三成は豊臣政権の天下統一を支え続け、豊臣秀吉が世を去った後の安定を目指し、結局は関ヶ原合戦の首謀者となって処刑されてしまう。その経過の「底流に在ったのは何か?」ということが本作では描かれる。なかなかに「熱い」というような内容だったような気がする。 或いは?今の時代こそ、「本作の治部」のような、「自身の悪名は甘んじて受ける他方で、何とか政権を…」という人物が求められるのかもしれない…或いは、「そのようになり得る?」という人達に「過大な期待?」ということになっているのかもしれない…そんなことも思いながら本作を愉しんだ…
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