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「家庭料理」という戦場 の商品レビュー

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8件のお客様レビュー

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2022/12/13

料理のうまい、まずいという感覚に根ざす部分が、社会的趨勢よりも、人々の選択を左右するという肝心なことについては言及がない。 おふくろの味という意味付け以前に、そのおいしさ(もしくはそのおいしさの商業的記号)が感覚的絶対性において存在するからこそ問題にされているという点は重要だ。...

料理のうまい、まずいという感覚に根ざす部分が、社会的趨勢よりも、人々の選択を左右するという肝心なことについては言及がない。 おふくろの味という意味付け以前に、そのおいしさ(もしくはそのおいしさの商業的記号)が感覚的絶対性において存在するからこそ問題にされているという点は重要だ。 おいしさは社会的なものにより作られるが、その社会的付置により、美味しい、マズイの座標はいつも存在し、変わるだけだ。 コンビニ食はおいしくなって来ている。つまりまずいからこそそうなる。好きに調理したものはうまい。目的が違う(贈与と取引)のだから当然であると説明できる。 贈与自体に価値があるのではなく、それがおいしい、快適だから行うわけで、取引が劣るのは、おいしさに制限がかけられるからである。 だけど、まずいものがおいしくなるという適応的反転もありうる。あるいは、チキンラーメンのおいしさのような、刷り込み的戦略に感化されることもありうるし、また合理性に、経験の広がりが閉ざされることもある。そもそも食うことに価値を置くかどうかでもある。

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2022/04/14

これはおもしろいので皆読みなさい。小林カツ代vs栗原はるみという枠組みで料理研究家たちの歴史を論じ、レシピを自分で作って勝ち負けを決める。

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2022/03/10

コクヨ野外学習センターの久保先生の話がとても面白かったので、読んだのだが、最高に面白かった。栗原はるみVS小林カツ代の料理対決の感想が想像以上に興味深い。ロボットの本も読みたいな。

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2022/01/10

ちょっと衝撃的。家庭料理という日常的な実践に潜む倫理観が、レシピ本の系譜を分析する事で鮮やかに解剖される。その過程は刺激的であると同時に、料理が避けては通れない選択として自らの日常に埋め込まれてるが故に、背筋が凍るような怖さもある。 また、実は私たちは栗原はるみ化してしまっている...

ちょっと衝撃的。家庭料理という日常的な実践に潜む倫理観が、レシピ本の系譜を分析する事で鮮やかに解剖される。その過程は刺激的であると同時に、料理が避けては通れない選択として自らの日常に埋め込まれてるが故に、背筋が凍るような怖さもある。 また、実は私たちは栗原はるみ化してしまっているがためにカツ代のレシピの意外性に心打たれるという話は面白かった。確かに、栗原はるみのレシピは既視感というか、お店で食べられるのを家で再現みたいな感じで重たいなという印象を持つ。

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2021/12/22

いったい生活における「正しい料理、食事(の給仕)」というのはどういうものか?という問いかけを考える本。 料理は「手作り」じゃないと、、、とよく言われるがいったい「手作り」とはどこまでなのか?スーパーで鰤の切り身を買ってきて作る照り焼きと、一匹の鰤を買ってきて、捌いて作る照り焼きと...

いったい生活における「正しい料理、食事(の給仕)」というのはどういうものか?という問いかけを考える本。 料理は「手作り」じゃないと、、、とよく言われるがいったい「手作り」とはどこまでなのか?スーパーで鰤の切り身を買ってきて作る照り焼きと、一匹の鰤を買ってきて、捌いて作る照り焼きと、海まで釣りに行って釣ってきた鰤を使った照り焼きと、これらはみな「手作り」と言えるのか?そもそも「手作り」という定義自体が実は非常に曖昧で、捉え方によって変動するのではないか? そういう問いかけから始まって、いわゆる「家庭料理」というものが、いつ日本に生まれ、認知され、変容していったのか?という流れを90年代に手間のかかつた家庭料理の時短レシピを考案した小林カツ代と、外食して食べるものだった「洋食」系のレシピを家庭に導入し、その垢抜けて落ち着きのある家庭の主婦というイメージを確立した栗原はるみという二人の了解研究家を中心に、その二人の果たした役割と、それ以前、それ以後の家庭料理の変遷を詳しく語った作品。

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2021/01/21

書店で見かけて興味を持ち、図書館で探した。 思った以上に本格的な社会学のテキスト。 パラ読みして通読できないまま返却日になってしまった。 著者が、過去の料理雑誌のレシピ(マッシュポテトに魚を巻いて揚げる)をを見て、とても手のかかるものだったので、美味しいけど今の自分の生活ス...

書店で見かけて興味を持ち、図書館で探した。 思った以上に本格的な社会学のテキスト。 パラ読みして通読できないまま返却日になってしまった。 著者が、過去の料理雑誌のレシピ(マッシュポテトに魚を巻いて揚げる)をを見て、とても手のかかるものだったので、美味しいけど今の自分の生活スタイルに合わない、などの感想を述べているあたり、拾い読みながら興味深かった。 時間があれば再読したい。

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2020/09/10

家庭料理の遍歴を分析 栗原はるみさんと小林カツ代さんのレシピで対決してみたり おもしろかった さて、あなたは明日なにを食べるのだろうか?

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2020/03/09

新型コロナウィルス問題が全国の「こども食堂」を直撃している、という報道を先週NHK朝のニュースで見ました。その中のインタビューでシングルマザーが一食300円では「こども食堂」の提供するようなバランスのいい家庭的な食事を用意することは出来ない、と切々と訴えていました。今や「家庭料理...

新型コロナウィルス問題が全国の「こども食堂」を直撃している、という報道を先週NHK朝のニュースで見ました。その中のインタビューでシングルマザーが一食300円では「こども食堂」の提供するようなバランスのいい家庭的な食事を用意することは出来ない、と切々と訴えていました。今や「家庭料理」という概念の居場所は家庭というパーソナル空間からNPOというパブリック空間に移っているのかもしれません。その「家庭料理」の戦後史を著者の専門領域である社会学的分析を縦糸に、趣味領域である調理実践&実食レポートを横糸に考察する刺激的な本でした。1960~70年代の江上トミ、土井勝時代を「家庭料理」のモダン、1980~90年代の小林カツ代、栗原はるみ時代をポストモダン、そして2000~10年代をノンモダンとする分析はとても腑に落ちました。特にノンモダン時代の小林カツ代の遺伝子はケンタロウじゃなくクックパッドに受け継がれ、栗原はるみの遺伝子は栗原心平じゃなくて光文社マートに受け継がれているという指摘には痺れました。終章「おわりにー暮らしはデザインできるか?」に書かれている「ノンモダニズムとは、私たちがすでに部分的に足を踏み入れつつあるノンモダンな暮らしに対応する学問的な知のあり方である。」と書かれています。2020年以降のノンモダンな「暮らし」はいったいどんな「家庭料理」を創り上げるのでしょうか?「家庭料理」の未来は「家庭」の未来と共にあるはず。ここに来て、本書のサブタイトルである「暮らしはデザインできるか?」が効いてきます。「暮らし(図)を分析する知(地)という図式が、分析(図)を駆動する暮らし(地)という図式に転倒されていく。」(P26)この主張があるからこその縦糸と横糸の構成であり、学問と暮らしの行ったり来たりが、この本の最大の独自性だと思いました。

Posted byブクログ