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プラヴィエクとそのほかの時代 の商品レビュー

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2024/09/01

登場人物とその周りでの出来事が第三者目線で数ページずつ語られて少しずつ話が進んでいく。この著者のスタイルらしい。 時代は1914年〜1980年代まで。 「ゲームの時」は意味がわからなかったし黒い川と白い川も何かの意味があるのか分からなかった。 「面白いよ」と万人に勧めるタイプの本...

登場人物とその周りでの出来事が第三者目線で数ページずつ語られて少しずつ話が進んでいく。この著者のスタイルらしい。 時代は1914年〜1980年代まで。 「ゲームの時」は意味がわからなかったし黒い川と白い川も何かの意味があるのか分からなかった。 「面白いよ」と万人に勧めるタイプの本ではないが、不思議と引き込まれて読んでしまった。

Posted byブクログ

2021/06/25

絶対に一読じゃ全てを理解できないし、ポーランドについてほとんど知らないけどなんでだか好きなんですよねえ。

Posted byブクログ

2021/05/14

ずっと気になっていた人で、なかなか手に取らなく、ノーベル賞を受賞してますます手にとりずらくなり遠のいてしまっていたが、思いの外良かった。思っていたのと違った。他のポーランド作家は、掴みづらいながらも、意思が強い雰囲気で、凝った作品なんだろうなー、と思っていたが、書く側の目線が上か...

ずっと気になっていた人で、なかなか手に取らなく、ノーベル賞を受賞してますます手にとりずらくなり遠のいてしまっていたが、思いの外良かった。思っていたのと違った。他のポーランド作家は、掴みづらいながらも、意思が強い雰囲気で、凝った作品なんだろうなー、と思っていたが、書く側の目線が上からの人じゃなくて、読む側、大衆に寄り添った姿勢が、感じられた。そもそもポーランドをよく知らないが、結構メキシコ的、南米的な雰囲気も感じられた。非常に信頼置ける作者ということがわかり、また別の作品も読んでみようと思った。

Posted byブクログ

2020/12/17

20世紀ポーランドの架空の村プラヴィエクを舞台に、ニェビェスキ家とボスキ家を中心に84の断章で綴られる物語。ポーランドと言えば「蜂起」「アウシュビッツ」「民主化運動」等の単語を連想させるが、この物語で誰かがその渦の中にいる事はない。女性中心の目線で書かれている事から、エルの死はユ...

20世紀ポーランドの架空の村プラヴィエクを舞台に、ニェビェスキ家とボスキ家を中心に84の断章で綴られる物語。ポーランドと言えば「蜂起」「アウシュビッツ」「民主化運動」等の単語を連想させるが、この物語で誰かがその渦の中にいる事はない。女性中心の目線で書かれている事から、エルの死はユダヤ人虐殺に繋がりスターリンの死より子供の病気が大切という目線になるのだろう。ポーランドの近代史をなぞりながらも神や天使が登場する。ゲームの時の神様の話は、共産主義下でキリスト教が弾圧されていた事を考えると領主が没頭するのも想像出来ない事はない。

Posted byブクログ

2020/10/04

中欧のプラヴィエクという村が舞台。 戦争が起こり侵略され、体制が変わり持ち物を没収される。 村の人たちは激動の歴史の中、地道に生き抜き、しっかりとその跡を残していく。 人間も変化するし、神も聖人ではない。 そうやって世界は続いていく。

Posted byブクログ

2020/10/04

プラヴィエクがポーランドの縮図だと本文に明記されていないのにそれだと理解させてくれる文章力に感嘆の意を禁じ得ない。ルタはイズィドゥルに「境界の先は何もない」と言った。それはドイツ軍が、それからソ連軍が蹂躙する前にあった、ポーランドがポーランドとして存在していた神話にそのままそっく...

プラヴィエクがポーランドの縮図だと本文に明記されていないのにそれだと理解させてくれる文章力に感嘆の意を禁じ得ない。ルタはイズィドゥルに「境界の先は何もない」と言った。それはドイツ軍が、それからソ連軍が蹂躙する前にあった、ポーランドがポーランドとして存在していた神話にそのままそっくりなり得る。そして、ミシャ、ゲノヴェファ、ミハウ、パヴェウをはじめとする人間たちが確かにそこに存在していたのだという無言の叫びがその神話を通して聞こえてくるようである。さらに神話は過去に連なる歴史としてだけでなく、新約の奇跡のようにクウォスカという人物を通して確かに現実として見せている。そうしているのは、失われたcountryがそこに存在していたことを強調させる効果があるからだと思われる。この小説はそのように、抽象的概念を用いて行われる一種の存在証明の役割を担っているのであろう。そこにはプロパガンダも、ヒエラルキーも存在しない。平面上の一部として見るのではなく、それそのものを見る。そのためには、オルガ・トカルチュクがこの時代に書く必要があったし、それ以外のどのような手段を持ってしても書かれることはあり得なかったのだ。

Posted byブクログ