教え学ぶ技術 の商品レビュー
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オックスフォード大学では、人に何の分野の勉強をしているのかを聞くときに、What do you study? と聞かずに、What do you read? と聞く。勉強することは、読むこと。
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楽しいのは、第Ⅱ部のやりとり。 一番印象に残ったのは、“クェスチョンはあってもパズルが無い”というオックスフォードの言い方。確かにそうだ。 学びが深まるためには、そういう知的な面白さが必要だ。 それから、問をブレイクダウンしていくうちに、抽象化したキーワードが浮かび上がって...
楽しいのは、第Ⅱ部のやりとり。 一番印象に残ったのは、“クェスチョンはあってもパズルが無い”というオックスフォードの言い方。確かにそうだ。 学びが深まるためには、そういう知的な面白さが必要だ。 それから、問をブレイクダウンしていくうちに、抽象化したキーワードが浮かび上がってくるプロセス。
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何かの書評から手に取ったが、とても興味深い本に巡り会えて感謝。この本のテーマは表紙の言葉で、「学校や大学での学習や研究の場面だけでなく、仕事の場や社会生活の上でも、一面的な見方にとらわれていたり、安直にわかったつもりで終わってしまう議論にならないためにも、問の立て方と展開の仕方を...
何かの書評から手に取ったが、とても興味深い本に巡り会えて感謝。この本のテーマは表紙の言葉で、「学校や大学での学習や研究の場面だけでなく、仕事の場や社会生活の上でも、一面的な見方にとらわれていたり、安直にわかったつもりで終わってしまう議論にならないためにも、問の立て方と展開の仕方を身につけることは役立つ思考力の要なのだ。」とある。オックスフォード大学で行われているチュートリアルという形式の、先生と生徒の一対一の学びを実際に行い、テーマにある問の立て方と展開の仕方を詳細している。先生はもちろん、生徒もレベルが高く、対話形式のまま記載されているので分かりやすい。最後に、少し時間をおいて生徒が振り返った内容もあり、こちらもポイントの理解を深めるのに効果的。
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教えるとは、学ぶとはどういう営みなのか。教師が生徒に教えるという上から下へに知識を授けるというような方法をイメージしがちな気がするのだが、果たして本当にそのようなことが可能なのだろうか。自身の経験を思い起こしてみると、教師に教えてもらうことがなかったとは言わないが、本当に学ぶとい...
教えるとは、学ぶとはどういう営みなのか。教師が生徒に教えるという上から下へに知識を授けるというような方法をイメージしがちな気がするのだが、果たして本当にそのようなことが可能なのだろうか。自身の経験を思い起こしてみると、教師に教えてもらうことがなかったとは言わないが、本当に学ぶということは自分で本を読み、話を聞き、調べ、自分の頭で考え、書き記し、まとめ、テストへの回答や文章にするなど何らかの仕方で出力する過程を経ることで学びとしてきたように思う。それゆえ、教師とは教える存在というよりも、生徒が学ぶ方向づけをし、学習のペースを崩さないように見守り、時に調整をしてくれるコーチのような存在なのではないかと考えていた。 本書はオックスフォード大学で実施されているチュートリアルという教師と学生が一対一、あるいは教師一人に対して学生が二、三人で構成する個人指導を文章で再現している。チュートリアルとは、「毎週、小論文を書くための問い(エッセイ・クエスチョンと呼ばれる)と、それに回答するために読むべき課題文献リストが渡される。毎週10冊ほどの著書や論文である。それらを読んだ上で、小論文を執筆する。エッセイでは、教員が出したエッセイ・クエスチョンに、文献リストに示された文献を使って、学生が自分なりの議論を展開し、回答を与える。そして、実際のチュートリアルの時間には、学生が事前に提出したエッセイをもとに、教員との間で質疑応答や議論が行われる」というものだそうだ。 この概要の説明を読んだだけでも、何と贅沢な時間だろうと感じた。そして、そのチュートリアルの再現である本書を読んで、その嫉妬にも似た憧れの感覚はますます強くなった。羨ましい。教員と学生とのやりとりにより、当初学生が発した問いが様々な手法、見方で分解され、より深い問いへと導かれていく様は、学生本人にしてみたら手に汗握る緊張の連続かもしれないが、しかしそれは視野を拡げてくれるとても貴重な経験になる。日常感じ、発された素朴な問いをメタ化し、5w1hで分解し、whyを重ねるなどし、発展させることで、深化させるのだ。教員はそれを導くだけで、実際に深化させるのは学生本人であるところが魅力的である。
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日本人が議論をできない理由は、 日本語に言霊という言葉が、 あるように、言説と人格が切り離せないからに、 他ならない。決して、論理的思考が得意じゃない というわけではない。狭い国土で、ほぼ単一民族で沢山の人が生きていくにあたって、いつしかできたコミュニケーションスタイルだからだと...
日本人が議論をできない理由は、 日本語に言霊という言葉が、 あるように、言説と人格が切り離せないからに、 他ならない。決して、論理的思考が得意じゃない というわけではない。狭い国土で、ほぼ単一民族で沢山の人が生きていくにあたって、いつしかできたコミュニケーションスタイルだからだと思う。 もし、何かの場で、三角ロジック等の矛盾をつくような議論展開になったら、言った本人の人格が疑われるのが日本だ。日本人は、議論が出来ないというより、する必要性がないからだ。これは、英語が出来ない日本人にも、全く当てはまる論理で、 出来ないから、出来るようにしようとか、ダメだから、改善しようというのは、暴論もいいとこで、机上の空論に他ならない。 最後に、教え学ぶ技術とは、偏差値を受験システムに組み込んでいる日本では、決して機能しない。 それこそイギリスの何とかスクールなら、存分に効果をはっきするだろうが。日本では、ずっと、勉強を頑張っていることを、いかに他人に悟られないようにして、馬鹿を装って、成績を維持しなければいけないという、到底、普通の先進諸国では、理解出来ない状況に、学生が置かれているからだ。心の状況は、常に他人からの評価に怯えている。他人に教え、学ぶなんて、まず不可能。 ただし、日本でも一部のエリート校は、教え学ぶ技術に長けた生徒が多い。なぜなら、彼らは、偏差値教育の覇者で、これ以上、点数上げても、何も、意味がないとわかっているからだ。 そんな教え学ぶ技術に長けている彼らが官僚になって、日本を陰でぐちゃぐちゃにしている。彼らは、みんな単体では、「良い人」だが、集団になると、「とても悪い人」になる。なぜなら、偏差値教育のトップに立った後の競争は、いかに、他人を蹴落とすかに、命懸けになり、また徒党を組んで、美味しい思いをするように、彼ら得意の教え学ぶ技術で、天下り先を大量に作る。結果、今、日本は、どうしようもない国になっている。 文科省は、2020年に指導要領を大きく変えて、新しい教育を提言し、大学教授などのインテリ層は、それに追随しているが、彼らに教育を語る資格は、あるのかとそもそも思う。彼らは、刈谷教授と同じで、非常に頭がいいし、弁が立つ。しかし、現場の実態というのは、恐らく想像できないだろう。 企業マネジメントでいうなら、BCGとかの分析、管理手法で、バシッと結果が出ますよ、と超優秀なコンサルタントに任せるみたいだ。この20年で、いったいいくつの日本企業が世界的な会社になったか、ほぼゼロである。
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こういう本が必要とされているとは思うが、 「先生」がそんなに威張るほど、抽象化に長けていないような…。 ソクラテス的な問答の下りも、かなり不親切で (自分は分かっている、前提に立っているから?) 「生徒」が気の毒になる。
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うまく議論できない原因として「問いを意識出来ていない」があると前置きし、問いを使いこなす技術を解説。 本書では、先生役と生徒役に分かれて授業を行い、その会話内容を台本のように書き起こしてあります。 授業とは、オックスフォード大で実施されている「チュートリアル」「スーパービジョン...
うまく議論できない原因として「問いを意識出来ていない」があると前置きし、問いを使いこなす技術を解説。 本書では、先生役と生徒役に分かれて授業を行い、その会話内容を台本のように書き起こしてあります。 授業とは、オックスフォード大で実施されている「チュートリアル」「スーパービジョン」の紙上再現です。 先生役、生徒役の二人が授業を通して、問いを分解・言い換え・発展・収束させるなどの扱い方、問いへの答え方をみせています。 ◎感想 むかし「知的複眼思考法」も面白く読んだな〜と思いながら購入しました。 チュートリアル、スーパービジョンどちらも、タフな授業だなあと思いました。 チュートリアルでは、生徒役の石澤さんが書いた小論文が(書き直し分も含め)全文掲載されてます。読むだけで一苦労です。 ただ、最終稿はずいぶん読みやすく理解しやすくなっててびっくりします。あの難しいディスカッションを消化して小論文を修正できてるのがすごいです。 印象的なのは、石澤さんの振り返り。 ------------------------ p289 学ぶ自分を見る自分、考える自分を見る自分、そして先生の「教える技術」を見る自分ーそれが、先生から離れた日に、自分自身を先へ進ませてくれるのではないだろうか。 ------------------------ ディスカッションの中でも、似たような内容が出てました。先行研究や参考文献をみるとき、書いた人がどんな論理、構成、書き方をしているか等も分析できると後の自分に活かせるといったことを。 なんというか、学ぶことの広さ深さでかさを感じました。 学べる内容は自分のスケールに縛られるのかと思うと、空恐ろしい。 精進しますー。
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私の所感では、「ロジカルシンキングをどう実践するか」をテーマにした本だと受け取った。「問いを立て、問いを解く技術」の方がふさわしいように思う。 著者のオックスフォード大学での「チュートリアル」の経験をそのまま日本に持ち込んだ。「チュートリアル」とは、欧米の大学の厳しさの代表格で...
私の所感では、「ロジカルシンキングをどう実践するか」をテーマにした本だと受け取った。「問いを立て、問いを解く技術」の方がふさわしいように思う。 著者のオックスフォード大学での「チュートリアル」の経験をそのまま日本に持ち込んだ。「チュートリアル」とは、欧米の大学の厳しさの代表格で、ある課題について大量の図書を読んで小論文を執筆し自分なりの答えを出すというもの。例として、「日本の教育は社会の平等・不平等にどのように貢献したのか」を取り上げている。少人数の学生に大学講師が張り付いて手厚い指導や深い議論を行う。 本書の大半は学生と著者の指導・議論で構成される。
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問いをどうブレイクダウンさせていけるか、様々な角度から問いを問い直すことで、問いが分解されて、新たな視点や切り口、果ては遠くに見えていたものがリンクしたり、当初は見えなかった広さ・深さに光が指していく。 学生時代から「問いを具体化させよ」と学んできたつもりだが、さらにもう一歩踏み...
問いをどうブレイクダウンさせていけるか、様々な角度から問いを問い直すことで、問いが分解されて、新たな視点や切り口、果ては遠くに見えていたものがリンクしたり、当初は見えなかった広さ・深さに光が指していく。 学生時代から「問いを具体化させよ」と学んできたつもりだが、さらにもう一歩踏み込んでいく過程を学ぶことができた。大きな発見や派手な転回があるわけではないが、無意識化されてきたものを対象化させて見つめなおす機会をくれた。 文章のわかりやすさも著者の長所。
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