骸骨巡礼 の商品レビュー
2019/10/23読了 お墓を通して、西欧と本邦の身体感、文化的視点の違いを考察されている。面白いのだが、エッセイを読む際の問題は、著者の皆さんも読書家でいらっしゃるから、大概は他の本の話も出てきて、それが読みたくなる事である。この度も、『身体巡礼』と合わせて、シュテファン・ツ...
2019/10/23読了 お墓を通して、西欧と本邦の身体感、文化的視点の違いを考察されている。面白いのだが、エッセイを読む際の問題は、著者の皆さんも読書家でいらっしゃるから、大概は他の本の話も出てきて、それが読みたくなる事である。この度も、『身体巡礼』と合わせて、シュテファン・ツヴァイク『昨日の世界』を注文してしまうのだった。
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いいです。西欧特有のもの、万民に通じること、渾然一体となって、我々に迫ってくる。養老さんの守備範囲の広さには、関心するばかり。虫と解剖をやるとこうなるのか。多分違うのだろう。彼の思考は、楽しい。難しいことをわかりやすく、わかりやすいことを楽しくである。
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骸骨あるいは死者を媒介とすることで,自分というものを客観視し,フィルタの掛からない人という生命体を俯瞰する,そんな論考ではなかろうか.
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骸骨は過去であり、お墓は情報を象徴している。ピラミッドは代を経るごとに小さくなり、ヒエログリフ、すなわち文字情報の割合が増えていく。その方が死者を示すのに簡易であるから。墓地とは、人間たちが情報化された還元の果て。しかし、理性や意識によって筋の通される文字情報という領域から、納骨...
骸骨は過去であり、お墓は情報を象徴している。ピラミッドは代を経るごとに小さくなり、ヒエログリフ、すなわち文字情報の割合が増えていく。その方が死者を示すのに簡易であるから。墓地とは、人間たちが情報化された還元の果て。しかし、理性や意識によって筋の通される文字情報という領域から、納骨堂は、感覚の動員を強制する体験の余地を残す。「言葉にならないもの」への儚い憧憬。
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どこかで読んだことあったかなあ・・・と、それは「身体巡礼」前作であった。それくらい、もう前に読んだものは記憶に残っていない。まあ、養老先生が、ヨーロッパの墓を見て回っているということくらいは覚えていた。いつもの養老節に、へぇーとかふーんとか思っているうちに最後にたどり着き、結局覚...
どこかで読んだことあったかなあ・・・と、それは「身体巡礼」前作であった。それくらい、もう前に読んだものは記憶に残っていない。まあ、養老先生が、ヨーロッパの墓を見て回っているということくらいは覚えていた。いつもの養老節に、へぇーとかふーんとか思っているうちに最後にたどり着き、結局覚えているのは、イタリアのホテルでだまされそうになったことと、ポルトガルとスペインがそれぞれの言語でしゃべっていても何となく話が通じるくらいなのに、大変仲が悪い、ということくらい。しかし、この頭蓋骨が整然と並ぶ写真を見ると圧倒されるのだ。これがあって、第二次世界大戦ではイタリアやフランスは戦争にあまり積極的ではなかったとか。もしそうならば、世界中の人に広島の原爆資料館を訪ねてみてほしいとも思う。ただ、現代の戦争では骨なんて残らないのかもしれない。というか、この納骨堂の骨はどうやって取り出したのか。それについての記述はなかったように思うが。焼くわけではないのだなあ。ミイラのようになるのか。焼かれたあとの骨でも、そこに何かがあるような気がする。だから、骨壺に向かって手を合わせる。お墓に入ってしまえば、ときどきは会いに行かないとと思ったりもする。形がそのまま残っている頭蓋骨を前にして人はどのように感じるのだろうか。生前の姿を想像したりするのだろうか。お墓参りに行かないと・・・
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