沈黙する教室 の商品レビュー
映画化もされている。(『僕たちは希望という名の列車に乗った』(2018)まだ観ていないけど汗)彼らの行動が問題になるまでの前日譚が長くて集中力が続かん自分には取っ付きにくかった。その中にあちらの戦後史も含まれていたから単純に予習も必要だったのかも笑 あとは実話とはいえ、軽い人物紹...
映画化もされている。(『僕たちは希望という名の列車に乗った』(2018)まだ観ていないけど汗)彼らの行動が問題になるまでの前日譚が長くて集中力が続かん自分には取っ付きにくかった。その中にあちらの戦後史も含まれていたから単純に予習も必要だったのかも笑 あとは実話とはいえ、軽い人物紹介を巻頭にでもまとめておいてほしかった… (今の感覚だけど)黙祷ひとつで国民教育省大臣を教室に召喚するとか普通にやり過ぎ。しかも親の職業や立場にまで偏見をぶっ込むあたり本当にトップの人間かと疑いたくなる。(個人情報まで利用しようと企むところも) あと歴史に明るくなくても大臣に限らず名前の前に「同志」を付ける等あちこちソビエトに感化されているのが感じ取れる…東西の内情など知りもしなかったから色々衝撃。 生徒達の大半は生活に困窮していないけど我々から見て、何か得体の知れないものを内に秘めているように見えた。明記はされていなかったけど日頃から無意識に西側を求めていたのか。 「自由に、望むように生きなさい。ただし人間でいなさい」 全員退学処分になったのには仰天したし家族の動揺を想像すると暴挙としか思えなかったけど、それが自由へと一直線に結びついてくれたのが一番の救い。(それに東西の壁ができる前の話だからかすんなり逃亡出来ている) 形式は回想録だけど、記事や政府側の報告書もまじえているから何というか、サラサラとは読みにくい。著者が当事者だからかどうしても淡々と終わってしまうのか? ここまでくどくど書いたけど、大事な青春時代の節目に故郷を捨てて新しい土地で再スタートを切った者や結局離れなかった生徒の行く末が心配だった。壁が出来ていたらもっと面倒なことになっていたのかな。 大まかな流れが分かった反面、脳内で映像化できなかった分があるけどそこは映画で補えば良いか。
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“私たちがやったことに、どんな意味があったのだろう? 沈黙した――それだけだ。もし現在のシュトルコーや、ドイツのどこか他の場所にある高校で沈黙を行っても、それは生徒たちの個人的な経験となるだけだろう。語る価値はない。だが独裁制の下では違う。じっと黙り込んでいる間、独裁者たちは注意...
“私たちがやったことに、どんな意味があったのだろう? 沈黙した――それだけだ。もし現在のシュトルコーや、ドイツのどこか他の場所にある高校で沈黙を行っても、それは生徒たちの個人的な経験となるだけだろう。語る価値はない。だが独裁制の下では違う。じっと黙り込んでいる間、独裁者たちは注意深く耳を澄ましている。沈黙という言葉の意味を理解するまで。”(p.103)
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1956年。ベルリンは東西に分かれて統治されていたが、そこにまだ壁はなかったが、紛れもなく冷戦時代に入っていた時代の実話。 10月、ハンガリーでソ連統治に反抗する国民が蜂起した。ソ連は軍隊を投入し、鎮圧した。このことは東ドイツでは報道されなかったが、東側に向けた西ドイツのラジオ放...
1956年。ベルリンは東西に分かれて統治されていたが、そこにまだ壁はなかったが、紛れもなく冷戦時代に入っていた時代の実話。 10月、ハンガリーでソ連統治に反抗する国民が蜂起した。ソ連は軍隊を投入し、鎮圧した。このことは東ドイツでは報道されなかったが、東側に向けた西ドイツのラジオ放送では(ある意味プロパガンダではあったが)そのことも放送されていた。 当時の東ドイツでは、壁こそなかったが、その放送を聞くことさえ反革命的行為であり、罪だった。しかし、東ベルリンに近い小さな街に住む高校生たちは、その放送を聞いて西側の世界を知ろうとしていた。 そして、ラジオ放送がハンガリー動乱で有名なハンガリーのサッカー選手が亡くなった(誤報だった)と聞いた時、クラス全員で授業を5分間だけボイコットし、黙祷を捧げた。 それは高校生の罪のない、ある意味若気の至りとも言える行動だった。 しかし、この出来事が中央に報告されると、どんどんエスカレートし、ついには教育省の大臣が直接来て、反革命的行為をした生徒を詰問し、黙祷の首謀者を明かさなければ全員退学とすると宣言した。 行き場をなくした生徒たちは、クラス全員で西側へ逃亡することを決意する。大切な親や兄弟、恋人を残して、、、。
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日本は誰もが“西側”だと思っているが、終戦後にもしかしたらソ連の勢力によって一部が社会主義化していたかもしれないと考えれば、この話は「遠い国の話」とも言えなくなる。 さらに、政治家による不当な圧力という点を考えれば、半世紀以上前の東ドイツで実際にあったエピソードと、今の日本の高校...
日本は誰もが“西側”だと思っているが、終戦後にもしかしたらソ連の勢力によって一部が社会主義化していたかもしれないと考えれば、この話は「遠い国の話」とも言えなくなる。 さらに、政治家による不当な圧力という点を考えれば、半世紀以上前の東ドイツで実際にあったエピソードと、今の日本の高校生が遭遇した次のエピソードに重なるようにも思え、現代日本の私たちにとっても“当事者性”を多く含むとも考えられる。 >2019年9月、大学入学共通テストで導入されようとしていた英語民間試験について、ツイッターで高校3年生(18歳)だと名乗る投稿者が、学校での昼食中に「いまの政権の問題はたくさん話しました」などと書いたツイートに、柴山昌彦文部科学大臣が「こうした行為は適切でしょうか?」とリツイートした。 日本でのツイッターの件は批判も擁護も入り乱れていたので一通り自分なりに目を通したが、私はどちらが正当でどちらが間違っているかの議論とするのは論のすり替えであり、この問題は、いみじくもこの本のタイトルに当てられた「沈黙」を、大臣が高校生に結果的に課すような形になっていると見える点にあると考えている。 そう、つまり西側と東側のどちらが正しかったのかという議論は(特に今となっては)時機を逸していて不要と私は思う。 それよりもこの本で読み取るべきなのは、「沈黙」の強制に対して、私たちはいかに主張し抵抗し、自己実現すべきかについてである。 この本の著者は1956年の黙祷の実際の当事者であった(当時の東ドイツの)高校3年生だが、「沈黙」の強制に対して彼ら彼女らがどのように考えどのように行動したかを読み解くという視点に立てば、日本と異なる政治的背景や遠い国での社会的事情といった難しい要素に惑わされず、今の日本の私たちに共通する問題がこの本には含まれるとして読み進めることができると信じる。 現代日本に住む私たちがいろいろな場面で数々の「沈黙」を強いられているというのは議論を待たないと思うので、自分たちの胸に手を置きながら、当時のドイツの高校生がどう考えてどう行動したかの記述に対し、私たちに押しつけられた「沈黙」を突き破るための考察として当たってほしい。 最後にこの本のP415に出てくる、男子クラスメイトの1人だった者の後日談が示唆に富むと思うのであげておく。 「団体じゃなかったよ、俺たちは。チームでもなかった。俺たちは俺たちだったな。 それで、あそこで、あいつらは話してるよな。あのシュトルコーの生徒たちが何をやったんだよって。 ああ、たしかに、俺たちがやったことは何だったんだろうな。 でもな、あいつらがやらなかったことなんだぜ。」
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あまり整理がつかないまま収集した東ドイツ時代の資料を長々と寄せ集めているので、400頁を超える厚みにかかわらず重複するところが多くて、凝縮されたものではない。加えて前半はやや訳文がこなれていないところが感じられて読みにくさもある。ただ、後半になると、多少日本語もこなれてきて読みや...
あまり整理がつかないまま収集した東ドイツ時代の資料を長々と寄せ集めているので、400頁を超える厚みにかかわらず重複するところが多くて、凝縮されたものではない。加えて前半はやや訳文がこなれていないところが感じられて読みにくさもある。ただ、後半になると、多少日本語もこなれてきて読みやすくなる。しかし、校正が足りておらず、誤字がいくつかあるのが残念。 2024年6月22日追記 アマゾンプライムで、映画化されたものを見る。 本よりも整理されていて、時代の流れがよほどわかりやすい。
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(映画「僕たちは希望という名の電車に乗った」のレビュー) 若者の危なっかしい青さ、失敗を知る大人の諦観。 抑えられない自己主張に目覚めた若者の気持ちと 子を想う親の気持ち。 彼等の結末はどうなるのか、 自分は親としてどう行動するだろうか、 ハラハラしながら観ました。 1956年、ベルリンの壁が立つ前の東ドイツの進学校。 若者の青い正義感とクラス仲間のノリでやった 授業中の2分間の黙祷。 同じ共産圏国ハンガリーで起きた反ソ連運動で 命を落とした若者達に捧げた黙祷だった。 進学校の若者達がノリで行った軽はずみな行動と言動は、 戦争の傷癒えぬ大人達を苛立たせ、 防共に必死の政府を刺激してしまう。 教育省大臣まで学校に乗り込んで、 黙祷の提案者を差し出さなければ全員進学の道を閉ざすと言う。 因みにこの話、原作者の体験を元にした実話とのこと。 多くが労働者階級の家庭だった彼等は、家族の期待を背負っていた。 クラス全員で上手く言い逃れようとしたが、 政府の追及は、仲間割れを誘うなど厳しさを増していく。 理解者だった大人が逮捕連行され、彼等の進退はいよいよ極まる。 親は「英雄にならないでくれ。お前は大事な我が子なんだ」と言う。 軽はずみだったとはいえ、元々の正義感は本心。 仲間を差し出すのか、家族を思い身を守るのか。 彼等が最後に出した結論は、正義を貫くことだった。 熱いね。 日本の学生運動も社会への反骨と仲間同士のノリだったのだろうか。 エリートとしての将来を閉ざされた彼等は 新たな希望を持って家族と別れ西ドイツへ渡った。 青いね。けれどこれが太古から人間が本来持つ 若者の姿なのかもね。 映画はここで終わった。 彼等の未来が明るかったこと、壁が崩壊して家族と再会できたことを願うばかりだ。 後日談では、西も東も大差はなかったらしいが。 残るも環境を替えるも自己責任なのよね。人生って。
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映画の補完に。 こちらはノンフィクション。当時の写真も掲載されていて、なんの変哲もない高校生の生活がそこにあったんだと感慨深い。それが時代に翻弄されて・・・、いや、翻弄されるのを拒み、自分の道を選び取った様が淡々と綴られている。 映画より、教師の立場なども克明に描かれているところが印象深かった。ゲオルグ・シュヴェアツ校長も、事件を契機に降格される。 「私は党員だ。私は、党に釈明しなければならなくなる。党がそう要請してきている」 とあるように、黙祷を行った生徒だけでなく、教師にも呵責な責めが、さらなる上層から課されてきている。中間(?)の者も苦しい立場にあったのだろう。 さらに本書は、映画では語られなかった、亡命後のことにも触れられている。 1956年の一年間にDDRから西ベルリンへ逃げてきた人数は15万人にも及ぶらしい。そして西側でも、各マスメディアは、そのクラスの生徒たちの逃亡を、「月をまたいで報道し続けた。」とあるように、イデオロギー対立する両陣営は、どちらもどちらというところか。世論を喚起して、防共に努めていたということだ。 故に、それなりに彼らのような亡命者を保護、支援する体制も整えられていたことも判る。 時を経て、崩壊したのは社会主義陣営だったということは、現代の視点からは知れることだが、勝利した西側に理想郷があったのかどうかは分からない。後年の証言ではあるけど、印象的なものがあった 「私も一度西側へ行きました。ですが、何度も聞かされていた物質的豊かさを、驚いて見るということはありませんでした。あちらのマーケットで見かけた人は、ほんの少ししかオレンジを買えなかった。ああ、そうなの、と思いました。ここにも貧しい人はいるのね、と。普遍的な豊かさなんて、嘘ですよ」 モノが溢れていることと、本当の豊かさの違い、あるいは、格差の存在を示唆しているようで興味深い。 我々が今見ているこの豊かな世界も「嘘ですよ」と言われた気がした。我々は我々で、新たな道を見つけ出さなければならないのかもしれない。 1956年のDDRで、我が子を送り出した親の言葉が蘇る。 「いい?正しい道はたった一つなの。その道を行きなさい。逃げて」
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