普通の人びと 増補 の商品レビュー
図書館で借りた。 『普通の人びと』と聞いて、何を思い浮かぶだろうか。表紙やサブタイトル「ホロコーストと第101警察予備大隊」となればピンとくる人は多いだろう。第2次世界大戦のナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺に関するドキュメンタリー・レポートだ。 当然ながら楽しい話やウキウキする話...
図書館で借りた。 『普通の人びと』と聞いて、何を思い浮かぶだろうか。表紙やサブタイトル「ホロコーストと第101警察予備大隊」となればピンとくる人は多いだろう。第2次世界大戦のナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺に関するドキュメンタリー・レポートだ。 当然ながら楽しい話やウキウキする話ではない。生々しく、悲劇的な歴史だ。 ざっくりとユダヤ人虐殺について知っていることはあっても、具体的な中身について知らない人も多いのではないだろうか。アウシュビッツという名の強制収容所があったことくらいは私も知っていたが、それ以上は知らなかった。 私がこの本から得られた発見は、ナチス側の一担当から見た観点。意外と警備は薄かったりだとか、トップのアイヒマン以下、どのようにこなしていたのかというのを薄っすら感じとることができた。実行側であっても、人間模様があることは留めておきたいものだ。それこそ2024年現在、「ロシア・ロシア人は全員悪者である」という偏見を持ってはいけない。 負の歴史ではあるが、教養として知っておきたい事項の一つ。
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メモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1788725187074240940?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw
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初刷をはじめ途中までは第4SS警察擲弾兵師団を「警察近衛師団」という意味不明な「訳語」を使っていた。第三帝国時代の研究書の翻訳にはマニア向けの知識は必要だといういい例だ。どうしてそういう「訳語」が生まれるのかは知らないけれど。 増補で記されたページで読み取れるように著者やホロ...
初刷をはじめ途中までは第4SS警察擲弾兵師団を「警察近衛師団」という意味不明な「訳語」を使っていた。第三帝国時代の研究書の翻訳にはマニア向けの知識は必要だといういい例だ。どうしてそういう「訳語」が生まれるのかは知らないけれど。 増補で記されたページで読み取れるように著者やホロコースト記念館、ヤド・ヴァシェムなどは第三帝国時代の制服について知識がなかったらしいので被写体が着ている制服が持つ意味を見抜けなかったようだ。特に399頁の写真とバー=ゾウバーの「モサド・ファイル」に掲載された写真は明らかに連続写真なのにヤド・ヴァシェムはポーランドなのかチェコなのか、映っているユダヤ人は誰なのか無茶苦茶な「写真鑑定」をしている。第三帝国時代を「制服の帝国」を評した書名の本があるようにヒトラーから強制収容所の囚人に至るまで決められた制服があり、それらがマイナーチェンジを繰り返した上に勲章や記章類が沢山あるので被写体が着ている制服がどこの所属なのか、身に着けている勲章や記章類がいつ制定されたものなかが分かれば、ある程度は時期を見分ける事が出来るものだ。 ダニエル・ゴールドハーゲンは偽書「断片」を見抜けないのでガス室のある「マイダネクにはユダヤ人の子ども向けの保育園があった」と見做しているようだ。それではゲットーと強制収容所の区別がつかないし、第三帝国時代の警察はSSと一体化している事も知らないフォーサイスの「オデッサ・ファイル」といい勝負だ。 これは行動部隊でも言える事だが警察部隊は「殺す」事が目的なので強制収容所の幹部や看守達と違って「殺される」側からは顔も名前も覚える事が出来ないので「零時」の後に英軍占領下の警察で勤務出来るのだろう。
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何百万人ものユダヤ人を虐殺したのだから処刑に関与した人間は極悪人ばかりだと思いたいが、この本を読むとそうではないというのが良くわかる。 組織の歯車に収まってしまうとおぞましい程の蛮行も気にならなくなり、しまいには効率的で淡々とした殺戮者となってしまう。そこには順応への圧力や面子を...
何百万人ものユダヤ人を虐殺したのだから処刑に関与した人間は極悪人ばかりだと思いたいが、この本を読むとそうではないというのが良くわかる。 組織の歯車に収まってしまうとおぞましい程の蛮行も気にならなくなり、しまいには効率的で淡々とした殺戮者となってしまう。そこには順応への圧力や面子を失うことの恐れなど自分にも見に覚えのあることが関係しており、けして他人事として切り捨ててはいけない問題だと思いました。
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BRUTUS202111合本掲載 評者:田野大輔(社会学、歴史学) 東洋経済2022430掲載 評者:田野大輔(歴史社会学)
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その仕事はしたくないって? あのね,あなたがしなければ結局誰かがやることになるんですよ。しかもあなたがそうやってその仕事を否定すれば,頑張っている先輩や同期の努力を踏みにじり,いろんな人に迷惑がかかる。それでもいいの?
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原著初版1992年、あとがきを加えた第2版が1998年、更に「25年の後で」という文章が2017年追加された。 ナチスのユダヤ人大虐殺を扱った著書として非常に有名で、いろんなところで言及されており、とりわけ社会心理学系の本にはあの有名なミルグラム実験と共に、よく引用される。 ...
原著初版1992年、あとがきを加えた第2版が1998年、更に「25年の後で」という文章が2017年追加された。 ナチスのユダヤ人大虐殺を扱った著書として非常に有名で、いろんなところで言及されており、とりわけ社会心理学系の本にはあの有名なミルグラム実験と共に、よく引用される。 普通に善良なドイツ市民が無残な虐殺を行ったというテーマで、それはハンナ・アーレントの「凡庸な悪」というテーマにも隣接しそうだが、本書を通じアーレントへの言及は全く無い。 歴史上の限定的なプロセスについてのルポルタージュになっており、中心的に記述されるのは、30代から40代の至極普通のドイツ男性の寄せ集め500名ほどで編成された「第101警察予備大隊」が、ポーランドにおけるユダヤ人虐殺を遂行する経緯である。歴史上の事実をたどりながら、考察は当然心理学的な部門にもまたがってゆくだろう。 ポーランド内の様々な街をたどってユダヤ人たちを銃殺していく。労働力になりそうな男性の一部は労務のほうに送り込まれるが、病人・老人・女性・子どもたちは即刻射殺される。隊員たちは当初殺人行為にかなりの抵抗感を持つが、作戦が重ねられるにつれ次第に麻痺してゆくようだ。より効率的に・殺戮者の心理的負担も減らすべく、ガスで一気に殺す絶滅収容所に送り込むようになるが、それでも、大量射殺行為は延々と続く。何百人、何千人と一気に殺され、その数字を見ていく内に読んでいるこちらも麻痺していく。 この大隊の司令官はヒューマニスティックな人物で、殺戮に当たって涙を流したりする。隊員の1割ほどは「こんな仕事は私には耐えられません」と申し出てそれが意外にも許され、別の任務に回されることがあったようだ。変に真面目な日本軍なら決して許されなかったろう。 大量殺戮の行われた日の夜は隊員に酒がふるまわれ、みんな大いに飲んで思考を麻痺させた。考えこむ隙を与えず、機械的な作業を続行させるのである。 著者の解釈によるとこの大隊に属するドイツ人たちはもともと、反ユダヤ思想に染め上がった人々ではないのだが、命令に従う組織集団として、黙々と虐殺を実行していったのだった。先述のように良心の責めに我慢できず作戦から外してもらうことも可能だったのだけれども、状況的に、自分が殺人に参加しなかったとしてもそれでユダヤ人の命が幾らか救われるわけではなく、単に自分の担当する殺人行為を他の仲間に押しつけるだけになるので、いろいろ計算してみて結局多くの者は粛々と虐殺をこなしていったらしい。ちなみにユダヤ人だけでなく、丸腰の一般のポーランド人も相当数射殺されている。 殺戮に嬉々として・快楽を感じつつ参加したのは、本書中ではたった一人の士官だけであり、こういう心性の方が例外である。だが、ほとんどの隊員が膨大な射殺を行ったことに変わりはない。 著者の考察によると、当時の一般的なドイツ人の多くは、反ユダヤ思想に洗脳されていたわけではなかった。ナチスによる障害者や老人、そしてユダヤ人の殺戮が始まった時、そのことに気づきながらも、多くのドイツ市民はユダヤ人たちの運命に「無関心」を決め込んだ、というのが著者の分析だ。この冷淡な「無関心」こそが、ナチスの傍若無人な悪行を支えたのである。日本人も国政選挙に当たって無関心による沈黙を守ったり、なんだかんだ言い訳をしながら敢えて投票を棄権したりするような人間が多く、それは特徴ある日本の「あきらめ」の文化傾向の現れでもあるが、このような層こそが、政治の悪を支えているのだと気づく者は少ない。「朝鮮人皆殺し」などと書いたプラカードを掲げてデモが行われても、それを全然取り締まらないのが日本である。どこかで一歩すすめば、虐殺が繰り返されるだろう。日本の近年の中央官僚たちが文書の改ざんや隠蔽を大々的に行って悔いず、一方良心が咎めて自殺した同僚に対しても平然として鉄面皮を決め込む状態も、ある意味、野蛮な時代の到来を証明している。 本編の最後に、著者はこう書いている。 「すべての現代社会において、生活の複雑さ、それによってもたらされる専門化と官僚制化、これらのものによって、公的政策を遂行する際の個人的責任感覚は希薄になってゆくのである。ほとんどすべての社会集団において、仲間集団は人びとの行動に恐るべき圧力を行使し、道徳的規範を制定する。第101警察予備大隊の隊員たちが、これまで述べてきたような状況下で殺戮者になることができたのだとすれば、どのような人びとの集団ならそうならないと言えるのであろうか。」(P.304) 史実を具体的に記述しつつ、人間性についての極めて重大な疑惑を思索させる、やはりこれは優れた書物であった。
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あとがきの半ばくらいから皮肉キレッキレで笑った。P328「死の行進に幅広い関心をもたらしたのは、ゴールドハーゲンの著作の欠陥を補うに足る功績の一つである」この一文好きすぎる
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辛かった。そして最後の問いかけが重かった。 「どのような人びとの集団ならそうならないと言えるのであろうか。」
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ナチスドイツによるユダヤ人の大量虐殺。前線投入されない一般市民から成る警察大隊。市井の人々はどのように虐殺に加担したか。衝撃のノンフィクション。
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