戦後日記 の商品レビュー
実に勤勉に三島は書き続け、そして鑑賞を続けることを止めない。公開を前提とされた日記だが、三島は弱さに溺れて羽目を外すところを見せようとせずあくまで禁欲的に・熱心にさまざまなことがらをインプットし、そして考え続ける。だが、この世にはもちろん大岡昇平『成城だより』のようにそうしたイン...
実に勤勉に三島は書き続け、そして鑑賞を続けることを止めない。公開を前提とされた日記だが、三島は弱さに溺れて羽目を外すところを見せようとせずあくまで禁欲的に・熱心にさまざまなことがらをインプットし、そして考え続ける。だが、この世にはもちろん大岡昇平『成城だより』のようにそうしたインプットの成果・精華が誰かに宛てて書かれることで生産的な交通の産物となる日記もあるが(ゆえにそうした日記は日記だけで立派に成立する読み物となり、同時に論争的な性質をも帯びるのだが)三島の場合はやはり小説作品にその魅力が託されると見た
Posted by
読者を意識した日記ということになるのだろうか。三島由紀夫の思考の一端に触れることができるがやはり難しく雰囲気理解… それにしても日々のインプットが半端ないと思った。日本の古典から現代文学のみならず外国文学にも造詣が深い。そしていろんなジャンルの観劇をしたり、いろんな文化人と交流し...
読者を意識した日記ということになるのだろうか。三島由紀夫の思考の一端に触れることができるがやはり難しく雰囲気理解… それにしても日々のインプットが半端ないと思った。日本の古典から現代文学のみならず外国文学にも造詣が深い。そしていろんなジャンルの観劇をしたり、いろんな文化人と交流したり、美味しいものたべたり体を鍛えたりとすごい密度の濃い毎日だと思った。この経験値が文筆活動に活かされているのかもしれないが常人には捌ききれないよなぁと。
Posted by
三島が思うままに好きなことを書く、その中身は無邪気な愛しい人間の裸体そのもの。 深夜まで起きて執筆に専念し、昼頃に起きる、よくそんな生活できるな。 一番驚かされたのは人気作家からは想像しづらい健康的な生活志向だった。 俺も日光浴びないとな。
Posted by
昭和23年から42年の間に日記形式で発表された三島由紀夫のエッセイを年代順に採録したものです。 特に「日記」の前半パートは、当時の小説・映画・演劇等を取り上げての芸術批評がかなりのウェイトで語られていて、この部分は、正直、私ごときには理解不能で全く歯が立たない「???」の世...
昭和23年から42年の間に日記形式で発表された三島由紀夫のエッセイを年代順に採録したものです。 特に「日記」の前半パートは、当時の小説・映画・演劇等を取り上げての芸術批評がかなりのウェイトで語られていて、この部分は、正直、私ごときには理解不能で全く歯が立たない「???」の世界でした。 ただ、日記も後半になると、内容も通常の「エッセイ的」テイストのものが多く採録されています。このあたりにくると、三島由紀夫自身の筆による彼の日常の暮らしぶりや交友関係には “時代の寵児”としての三島の面目躍如たる姿が満載で、当時の世相も相俟ってなかなかに興味深いものがありました。
Posted by
戦後の空気が読め興味深く、貴重なもの。 ワクワクしながら、面白く読んだ。 文が長いのには、びっくり。 弱い動物は概して肉が美味いから、 自分は肉がまずくなるようになるぞ とか 太宰治の本読んだ時もおんなじやけど なんか 子どもっぽい 印象が否めない
Posted by
この『戦後日記』は、三島由紀夫が遺した文章の中、“日記”という体裁で綴られ、雑誌等に掲載されたモノを文庫本向けに再編集したモノであるとのことだ。 1925(大正14)年生まれの三島由紀夫は、年齢が「昭和〇年」と一致する。本書には昭和23年から昭和42年のエッセイが収められている。...
この『戦後日記』は、三島由紀夫が遺した文章の中、“日記”という体裁で綴られ、雑誌等に掲載されたモノを文庫本向けに再編集したモノであるとのことだ。 1925(大正14)年生まれの三島由紀夫は、年齢が「昭和〇年」と一致する。本書には昭和23年から昭和42年のエッセイが収められている。23歳の頃から42歳の頃ということになる。大学生の頃から小説作品を世に送り出し、大学卒業後は大蔵省に勤務しながら執筆等の活動をし、やがて大蔵省を退いて専業作家となって行く。本書には大蔵省に在った頃から、専業作家になって、それ以降の時期のエッセイが収められていることになる。 この『戦後日記』に綴られた内容は、なかなかに多岐に亘っている。自身の創作や、積極的に観ていた芝居や映画に関すること、執筆の進捗、交友のこと、結婚や妻の出産、映画出演の際のこと、ボディービルや剣道に取組んでいたこと、小説『宴のあと』を巡る係争のこと等々である。読んでいると、御本人が間近に居合わせて、内容を語る肉声が聞こえて来るような気がした。活き活きした感じに圧倒されたような気もしている。 何時の時代にも「人気作家」という存在は在るのであろうが、三島由紀夫に関しては、ぼんやりと「人気作家」という言葉を聞いて思い浮かべるような程度を大きく飛び越えた、同時代には「(想像を超える)酷く大きな存在感を滲ませた文化人」だったのだと改めて思った。 なかなかに興味深い一冊だ。
Posted by
日記といっても、もちろん作家が書くものであるから公開を前提としているのだろう。前半はかなり思想的なものがあり、やや難解に感じた。中盤、新婚旅行の話がある。このあたりはおもしろい。三島の残っている映像などを見る限りでは、怖くて声などかけられないようであるが、この旅行の際にはかなりい...
日記といっても、もちろん作家が書くものであるから公開を前提としているのだろう。前半はかなり思想的なものがあり、やや難解に感じた。中盤、新婚旅行の話がある。このあたりはおもしろい。三島の残っている映像などを見る限りでは、怖くて声などかけられないようであるが、この旅行の際にはかなりいろいろと話かけられている。それから、新築の家が建つところ、初めての子どもが産まれるところ、そのあたりのエピソードも良い。そして、「鏡子の家」800枚を書き上げていく過程。どうしても村上春樹と比較してしまうのだが、ずいぶんと生活は違うようだ。三島の場合は文壇とのつき合いや観劇などで外に出る機会がとにかく多そうだ。まあ、2人とも日頃から運動をしている点だけは似通っている。ちょっと興味深い記述を3つ引いておこう。30歳のころ。「単なる社会現象に興味のない私は、マンボ風俗なるものにも、スマート・ボールがパチンコに変わった現象にも、一切触れないで了った・・・私は「アドルフ」を読み、その足で文楽の出開帳をききに行く。時には、フランス美術展を見た足で、プロ・レスリングの試合を見に行ったり、マンボを踊って帰って、昆布の茶漬けを喰ったりしかねない。」33歳のころ。「人を退屈させることを怖れてはならぬ。・・・作家の最大の病気は、「読者を退屈させやしないか」という神経症である。小説では或る程度の退屈なしには、読者の精神を冒険に誘い込むことができないように思われる。」39歳のころ。「快晴なら1時間早く起こしてもらって日光浴をする。これが家人には全く理解できない。日光浴は健康のためであろうが、寝不足は不健康のもとである。どうして寝不足を犯してまで、日光浴をするのであるか? 私に言わせれば、健康はもとより大切だが、健康に見えるということはもっと大切だから、そうするのである。これは私のみの倫理ではなく、あの「葉隠」の根本倫理である。」「葉隠入門」も読まないといけない。それから「宴のあと」も。バルザックも。あっそれと太宰のことは本当に嫌いやったんやなあ。
Posted by
「小説家の休暇」「裸体と衣裳」ほか、昭和二十三年から四十二年の間日記形式で発表されたエッセイを年代順に収録。三島による戦後史のドキュメント。
Posted by
先月まで『百鬼園戦後日記』全3巻を刊行していた中公文庫、次の戦後日記シリーズ(なのか?)は三島由紀夫。 本書の中ではけっこうストレートに心情を吐露していると感じられる。この当時はまだ、吉田健一との仲は拗れていなかったんだなぁ……(まぁこの2人、作品を読んだら解るが、どう足掻いても...
先月まで『百鬼園戦後日記』全3巻を刊行していた中公文庫、次の戦後日記シリーズ(なのか?)は三島由紀夫。 本書の中ではけっこうストレートに心情を吐露していると感じられる。この当時はまだ、吉田健一との仲は拗れていなかったんだなぁ……(まぁこの2人、作品を読んだら解るが、どう足掻いても気が合いそうには見えないので、拗れなくてもそのうち疎遠になってしまいそうではある)。 本書からは後に『市ヶ谷で壮絶な死を遂げる三島由紀夫』のイメージは無く、ごく普通に生きている1人の人間の姿が浮かんで来る。結婚や第一子の誕生といった大きなイベントは取り敢えず置いておくと、熱心に原稿を書き(百鬼園先生とはえらい違いだw)、芝居を見、剣道やボディビルに通う。言うなれば普通の日常だろう。 ……ふと、『その死は事故による』という書き出しを思い出した。
Posted by
- 1