悔悟 の商品レビュー
よろしい、お前はクンダリニーの覚醒をした。ーが、それがどうしたというんだ?と何故トルストイの様に思わなかったのか
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事件当事者による著作物です。自身の活動を理性的に分析され、その問題について丁寧に記述されています。物理専攻である著者のその論旨は論理的に明確で、その反省と再発させない思いが記述中随所にあります。行為は叱責されるべきですが、その反省の思いは現代のカルトに興味のある若者に伝えるべきと...
事件当事者による著作物です。自身の活動を理性的に分析され、その問題について丁寧に記述されています。物理専攻である著者のその論旨は論理的に明確で、その反省と再発させない思いが記述中随所にあります。行為は叱責されるべきですが、その反省の思いは現代のカルトに興味のある若者に伝えるべきと感じました。自身の行為の反省から、再発させない思いが十分感じました。本書を読み終え著者は、優秀な人物であったことが想像できました。自業自得なのかもしれませんが、偶然の出会いで本結果になってしまった事は残念です。
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物理を専攻した人間なのに…というのは別に珍しくもないのかも知れない。手記によれば獄中で「間違っていた」と自覚したのは本当だし,後悔・猛省してもいる。それでもスピリチュアルなものから逃れられないという物悲しさ…。切ない。 “オウムの教義や麻原から心が離れた今、私は無信仰の状態にあり...
物理を専攻した人間なのに…というのは別に珍しくもないのかも知れない。手記によれば獄中で「間違っていた」と自覚したのは本当だし,後悔・猛省してもいる。それでもスピリチュアルなものから逃れられないという物悲しさ…。切ない。 “オウムの教義や麻原から心が離れた今、私は無信仰の状態にあります。しかし、宗教の価値は認めています。信仰によって人格を高められた方々が多数いらっしゃるからです。人間には超越的存在を感じる資質が備わっているのでしょう” p.66
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p59 信徒の見地からは、教義の世界が幻覚的経験によって現実として知覚され、加えて、周囲の人たちもその世界観に合致した思考や行動をしていたため、教団の規範も現実的に写っていたのです。つまり、教団内では教義そのものの世界が実現しており、信徒はその中に没入している状態でした。 p82 信徒は教義どおりの宗教的経験をしていたために、教義の世界観を現実のこととして認識していました。現代人が三悪趣に転生することも、それを救済する能力を麻原が具有することも、麻原が説く教えは一切が現実でした。そのために信徒は、破壊的活動を命じる麻原の指示に従ったのです。人々の救済と認識して。 p83 信徒にとって、教義は現実だった p41 当時、私は街中を歩いたり、会話をするなどして非信徒の方と接したりすると、苦界に転生するカルマが移ってくるのを感じました。この感覚の後には、気味悪い暗い世界のヴィジョン(非常に鮮明な、記憶に残る夢)や自分が奇妙な生物になったヴィジョン…などを見ました。 p124 私は広告をはじめとして情報によっては、接すると頭痛などの心身の変調がおきたのです。 p65 現在、私はオウムの教義や麻原の神格を全否定しています。その正当性の根拠だった宗教的経験について、脳内神経伝達物質が活性過剰な状態で起こる幻覚的現象として理解しており、教義のいう意味はないと考えているからです。 p204 西田公昭立正大学教授によると、いわゆる「思考停止」は次のような状態です。ふなわち、カルトによるマインドコントールの影響下にある会員は、カルト側が指示した課題達成の枠内では自由な思考が自発的に働きますが、指示を越えたり、指示に反する思考に及んだりしようとすると、途端に強烈な恐怖感が生じ、自由な思考が停止します。そのために、仮に良心の呵責に触れたり、教義に矛盾していると感じたりしても、カルト側の指示は正しいことである、あるいは救済であるなどと自己説得して、課題達成のみに思考を集中させようとします。また「思考停止」は、カルトに関して疑うことを拒む防御反応でもあります。
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高村薫の合田雄一郎シリーズ新作が出版された。「冷血」文庫化で予想した通りだ。それに挑むためには、未読の「太陽を曳く馬」を読まなくてはならず、そのためには最近の新書「生死の覚悟」も紐解かなくてはならず、その準備として高村薫が序文を寄せている本書を手に取った。 何故ならば、「太陽」...
高村薫の合田雄一郎シリーズ新作が出版された。「冷血」文庫化で予想した通りだ。それに挑むためには、未読の「太陽を曳く馬」を読まなくてはならず、そのためには最近の新書「生死の覚悟」も紐解かなくてはならず、その準備として高村薫が序文を寄せている本書を手に取った。 何故ならば、「太陽」はおそらくオウム事件を契機に書かれたものだし、その根幹には仏教の死生観があり、オウムの真実に近づくためには、やはり犯行者本人の肉声に触れておいた方がいいからである。 「(オウム犯人の死刑は)裁いた側にも裁かれた側にも大きな不全感をのこした。なぜなら、私たち一般社会の側は事件の本質が宗教行為であった事実に蓋をするほかはなく、一方の信者たちは宗教の側からの弁明がほとんど社会に届けられないまま、一般の犯罪者として処断されたからである」(高村薫序文より)「宗教の側からの弁明」とは何か? 主な構成は4pの自筆の「被害者への謝罪文」、約55pに渡る女学院大学生に対する「カルトへの入会防止講義」への冊子原稿、100p以上に渡る武装化の経緯を書いた手記(未完)である。いくら時間があったからと言っても、私は先ず、内容よりも先に、論理的に真摯に文章を書いている広瀬の知性に瞠目した。それが何故、この狂気の所業に結びつくのか? 重要な事を箇条書きする。 (1)高校生時点で「真理は何処にも無い」と、早熟な知性は諦めていた。 (2)大学院の時に、麻原彰晃の本を読んだ後に「宗教的体験」をすることにより、真理はあると確信してしまう。 (3)「ヴァジラヤーナの救済の教え」(救済出来ない人を呪殺し、仏国土に導引する)を実行することが使命になってしまい、ポア(大量殺人)もそのための手段となってしまう。 ザクッと書けばそういう経緯で、一連のオウム事件が起きたのだと私は理解した。「手記」は、しかし武装化、サリン事件、逮捕、獄中生活、脱会の経緯については書かれていない。昨年に死刑執行されてしまったたからである。「手記」の多くは客観的な教義批判になっていて、私はスルーした。しかし、「弟子の暴走説」と「洗脳で思考停止になっていた説」をキチンと批判していたのは貴重である。 この優秀な知性でさえ、ボタンを掛け違えれば、ここまでの事を犯す。そこには「カルトだから」の一言では済ませてはいけない内容があると思う。
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